火曜日, 12月 27, 2005

ドナドナ

今日、7年間毎日通学でのっていた、ミツビシのトッポとお別れをする。
車検の時期になって、母親がマツダのデミオがほしいと言い出して 買い換えることになった。

思えば、人生最初のマイカーだった(親のお金だけど)。
軽なのに、車内の空間がとても広くて快適だった。
それと、馬力が結構あって、5人のって東京にもいけた。

モノだけれど、愛着があって、お別れをするのはとても悲しい。
将来、もしヒトが意識のある人工物をつくれるようになって、
もし、それが持ち主との間に深い愛着を形成するようになるならば、捨てるということがきっと大問題になるだろう。

ドナドナな気分になった。

博士論文、間に合うのであろうか。時間が足らない。
保坂さんが「小説の自由」とは、小説の展開が、自分の意図から離れて、
小説のそれ自身の自発的な展開によって縛られている状態が
小説の自由だといっていたけれども、
論文が論文そのものの自発的な展開によって書き上がっていく
「論文の自由」モードにはなかなかなれない・・(笑)。

「アイディアの自由」モードにはなれた。電車にのって、
携帯に思いつくままにアイディアを打ち込んでいくと、
1時間で2000文字ぐらいになっていた。最高記録。
これが論文だったらなぁ・・と思う。

でもワーキングメモリーと生成の問題が結びついて、なんだか
とってもすばらしいアイディアを得た!気がする
(いつもこんな調子だけれども)。

とにかく積み重ねていくしかないなーと思う。

火曜日, 12月 20, 2005

Xmax speical 2005

研究室のクリスマススペシャルの日。
アハ・ネズミのイメージが突然思いついて、どうしても頭から離れなくて、
それをflashでアニメーションにする。
今年の優勝商品はiPod Video 60G blackでタナベが優勝した。
ビデオ作品をいつもつくっておもうのは、苦労のわりにはインパクトがたらない。
なんというか、ヒトの感情を揺らすことは難しい。生身の人間が潜在てきに
もっている情報量は膨大だ。タナベの作品は、自分の殻をやぶって
GAPをつくりだすことに成功したインパクトがあったと思う。おめでとう!
お酒を飲みすぎて、かえりの駅をのりこした。あしたから、博士論文をかかないと・・。
祭りがおわって現実につれ戻された気分。ふぅ・・。

月曜日, 12月 05, 2005

踊り場

いつのまにか12月。
論文は登録でとまっていて、まだブラッシュアップ中。
しかし、客観的にみることができなくて苦しい。

プロであるということは、きっと、自分の作品を客観的にみることが
できるということが絶対条件のはずで、これはまずいと思いながら、
時間がすぎていく。

土曜はひたすら眠った。寝るとひらめく確率がたかくなるというデータが
あるけれど、アハは来ず。

ひたすら眠ると夢をみた。普段はあまり夢は覚えているほうではなくて、
惰眠をすると、回復に割かれていた脳のリソースが夢をみることに
まわってくるのかもしれない。夢を覚えているというのはかなり
贅沢なことなのかもしれないなぁと思う。

夢は、銀河鉄道の夜の、近未来版のような感じで、列車に乗っていて、
なかでは、バージェス頁岩で発見された奇妙な動物たちが浮遊していて、
そして、その列車は東京の上空を高速で飛び回っていた。うーん。

今日は、客観視できないのは、きっと、なにか無意識に原因があるに
ちがいないと思い、そうだ、精神分析をしようと思いたつ。

どうも、今の研究の行き詰まり感を正視できないのが問題なようなきがして、
だったらどんなことをしたいの?とひとりブレーンストーミングが
はじまって、アハ連鎖がきて、一日中それにはまる。うーん。

明日からがんばろう・・。

木曜日, 11月 17, 2005

おしまい

SfNの日程が無事終了。

ポスター発表は、無事終わった。
いろいろ問題のある研究で、いろいろ有益な指摘をうけた。
いろいろ考えないとね。

SfNで得られる情報量は膨大だと思う。

理研のあつまりにいったら、
海馬のモデルをしている人と
解剖をやっている人に会って、
あの論文ってどうなの?ときくと、
ダイレクトにあれはだめだねーとか
あれはすごいよ!という返答が
かえってきて、この環境はすごいいいなぁと思う。

これくらい大きい学会になると
たいがいの脳の問題は、だれかがしっているはずで、
英語ができたら、もっとたくさんの情報が集められるはず
なんだけど、それができる英語力がない。
もったいないことをしていると思う。

自分の研究と結ぶつくようなはなしを
みつけることができたら、きっと、それは、
多様な生態系をもった情報の森のなかで、
きらきら光る青い蝶々に出会うようなものなのかもしれない。

学会会場で就活っぽいことをやる。
行きたい研究室の先生にただあいさつをしに
いっただけなんだけれども、いまのところ
ポストは空いてないらしい。グラントがとれたら
とってもいいよとはいわれる。

明日から三日間、NYにいってまいります。

金曜日, 11月 11, 2005

出発

北米神経科学学会出発当日。ワシントンDCへいく。
滋養壮強剤を毎日常飲して、ポスターの準備がなんとか終わって
いまはホッとしている。学会期間中に論文を仕上げなくてはいけなくて、
さらにもう一報かかなくてはいけない可能性大で、
まったく気がぬける状態ではないんだけど、楽しんできたいと思う。

追い詰められてふとわかったのは、”論理”のことで、
”論理”を理解するとかきくと、教科書にかいてあるようなすでに出来上がった
論理の構築物をイメージするけれど、ほんとうはそうではなくて、論理というのは、
混沌のなかから秩序をつくりだす能動的な行為のことをいうのでは
ないのかなぁと思う。だから絶対の論理というのは存在しなくて、
つねに実証にさらされていて、それがサイエンスというものなのだろう。

土曜日, 11月 05, 2005

どつぼ

SFN出発一週間前。
バタバタをとおりこしてジタバタしてる。
学会20日前に新しいシミュレーションを走らせていて
案の定、はまっている。

松岡正剛さんの「オートポイエーシス」のレビューをたまたま見つけて
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1063.html
オートポイエーシスのはなしがいまやっているシミュレーションと
シンクロしてきた。

オートポイエーシスの重要な考えとして、

産出プロセスのネットワークが構成素を産出し、構成要素が
産出するのは産出プロセスのネットワークなのである。つまり自己が自己
を生んでいる。まさに自己創出システムなのである。(抜粋)

というのがあるんだけれども、自発発火と可塑性の関係も

神経回路が自発発火を生み出し、自発発火が神経回路を変えていく

というある種の自己再帰性がある。
だから、自発発火によってそれを生み出している構造は維持できるのか?
というのがひとつの問題で、いまやっているのはそういうことなんだなと
ひとり納得する。

しかし、いつものとおり思考は発散して、

脳の活動が表象を産出し、表象が脳の活動をつくる

という言明にどれくらいの意味があるのか?ということを考えはじめる。
表象を生み出していることに関わっているであろう脳活動の存在は示せるけれど、
逆の、表象が脳活動に影響を与えているというデータは示せ得るのだろうか?

例えば、覚醒中の脳波と睡眠中(意識のない状態)の脳波のパターンは
あきらかにちがう。だから、覚醒中の脳波と意識の存在の間にはなにかしらの
関係があるといえる。そのとき、「表象が脳の活動をつくる」ということを
いうためには、きっと、生成されている意識が、なにから未知の因果法則によって、
精神世界から物質世界へ影響を及ぼすことで、覚醒中の脳波が
生み出されているということを示さなくてはならない。苦しい・・。

いまのところ、脳活動を支配する物理的な因果性はどこまでも物理的世界で
閉じていて、そこに表象や意識がうまれる余地が見あたらないというのがいまの
脳科学の大問題で、とりあえず、オートポイエーシスと意識の随伴現象仮説の話が
つながったところでこの思考はおしまい。

火曜日, 11月 01, 2005

わかっているのにできない脳

11月になった。10月はとうとう日記を一日もかけなかった。
わかっているのにできない脳状態。
とりあえず博士の予備審査はパスをして、でも学振はおちて、
投稿論文をかきつつ、学会のためにシミュレーションを走らせる。

カタチのないものをカタチにすることはむずかしい。
あるひとがクリエイターとは、ひよこからすごい卵料理を
つくるひとなのではないかといっていた。
エジソンは天才とは1パーセントのひらめきと99パーセントの汗という
名言を残したけれど、きっとその1パーセントのひらめきって
ひよこのようなものだったんじゃないかなぁと思う。

未来思考が重要だと思う。
未来とは直感と緻密なロジックによって予測しなくては
ならないものである気がしてきた。
その積極的な思考の組立ての過程のなかになにか得るものがある気がする。
お金がもらえるような、人のこころを動かせるようなことを
もっと意識的に考えないとね。

水曜日, 9月 21, 2005

ペコちゃん




9/18(日)
姪が家にきた。
前屈みになってダッシュができるようになっていた。

ぺこちゃん。
ヒトの表情はトポロジカルにはすべておなじだ。
しかしヒトは進化の過程でコミュニケーションのために、
顔筋がつくりだす微妙な差異にさまざまな感情を割りあててきた。
アートになりえるぐらい、えもいえない感情を引き起こす表情もある。
パレットのなかの絵の具のように、表情から引き起こされる
感情は多様なのだけれども、結局いいたいことは、
このキュートな表情!!
ペコちゃんみたいな舌をだした表情を一般的にかわいいと感じるのには
きっと理由がある・・と思う。

姪はいまは22ヶ月。
うちには一つだけ洋間があって、そこにファービー人形が
鎮座しているんだけども、姪はファービーをひどく
怖れていて、前回きたときも今回も洋間には決して入ろうとしない。
姪はなにかを記憶している。
ヒトの意識的に想起できる記憶システムは通常3歳ぐらいで完成する。
だから姪の記憶は無意識の記憶といえるかもしれない。
でも、なにかが確実に蓄積していて、姪のこれからのあらゆる行動の基盤になっていく。
「三つ子の魂百まで」というのはきっとこのことなのだろう。
ふと思うに、大人だって日々、膨大な無意識の学習をしているのではないかと思う。
意識で想起できる記憶しか気がついてないだけで、実はその背後で
膨大な無意識の学習が進行しているにちがいない・・と思う。

何歳からヒトは夢をみるのか?
お義姉さんに聞くと、姪はなんと寝言をいうらしい。
そして、たまに夢遊病のように
ぱっと起きて部屋のすみで何かごちゃごちゃやってきてから
またねることがあるという。
おそらく夢をみていると思われる。でも
決して、あとから思い出すことのできない夢。

せいふぁうたき




9/13(火)
沖縄本島の「せいふぁうたき」というところにいった。
沖縄の巫女様のことをユタといって、
せいふぁうたきは、そのユタたちの聖地だったところ。
そして写真は、礼拝する場所だったところ。
この空間はすごい。というかやばい。

光がすごい。
狭い空間にさしてくる柔らかい日差しの感じ。
そして奥の部屋の左をみると急に視界が開けて、海が広がる。
光がつくりだす暗い茂みと青い海のコントラスト。
そして俺は気がつかなかったんだけど、この空間を蝶が飛んでいたらしい。
今回の旅で一番印象がのこったのはこの場所だった。

渡嘉敷島


To the beach

9/11(日) & 12(月)
研究室の合宿で沖縄の渡嘉敷島にいった。
3年前にいったことがあって、今回で2回目。

那覇からフェリーで渡嘉敷島にわたる。
海は脳のメタファーの宝庫だなぁと思う。
去年は、あれくるう海をみて、
海+整流=自発発火
と思ったけれど今年は
脳のシンボルはモーゼの杖だ!
と思う。脳のなかにシンボルのような非連続的なものをつくりだすためには
モーゼが杖をかかげて海をまっぶたつにわったように、
この海のような連続的な神経ネットワークを
なにかしら方法で切らなければならない

今回も阿波連ビーチにいった。
ビーチまで一本の道路があるんだけど
道路のさきにエメナルドグリーンの海がひろがっていて、
その道路からの風景をみたら、あーまたきてよかったと思う。

海でシュノーケリングをした。
浮き輪を借りて、足がぜんぜん届かないところまで泳いでいく。
魚がたくさんいて、魚肉ソーセージをあげると群がってきて、
魚とたわむれる。
体長が50センチぐらいある巨大な魚がいて
小さい熱帯魚を押しのけて魚肉ソーセージを独り占めしていた。
小さい魚は早すぎるけど、その大きな魚は触ることができた。
足に食いついてこないかとびくびくしながらエサをあげてスリリングだった。

夕方は岩の上にすわって夕日が沈むのをみるができた。
とてもきれいだった。
夕日を眺めながら、この感動はなんなんだろう?と考えて
夕日を眺めにいくチンパンジーのはなしを思い出した。
ある科学者の報告によると、その野生のチンパンジーは
かならず夕刻になると群から離れて
ひとり木に登って夕日を眺めていたのだという。
チンパンジーが夕日を見ているときに感じているであろう”美”と
いま自分が感じている”美”はどれくらい同じなのだろうか、とか思う。

夜のビーチ。
都会は明るいから、月がどれくらい明るいのかわらかないんだけど
夜のビーチは完全な闇夜で、月がおおきな街灯のように、
海を照らしていて、月ってこんなに明るかったんだ!と思った。
すごい暗い闇のなかに、月明かりで
とおくにちょっと暗い山がシルエットで浮かんでいて
そして波の音がたえず聞こえているのがすごくよくて
ずっと眺めていた。

月が沈むと星空が広がっていて、
浜辺でねっころがって星を眺めた。

はじめて気がついたんだけども
流れ星が流れる頻度はかなり高い
二日間で3つみた
視野は狭いから満天の空でたまたまその場所をみてないと
流れ星をみることはできない
まわりで寝ていた人たちが「みた!」と叫ぶのをカウントしていると
どうも10分に一回は流れている気がした。ポアソン過程だなぁと思う。

朝のビーチ。
朝、早起きしてビーチにいった。朝のビーチはひんやりしている。
ビーチの左側には大きな山があって、日の出をおくらせている。
太陽はでてないんだけど曇りの暗さではない明るさがあって、
ひんやりしていて、その空気の質がとてもいい。
山から太陽がでてくるにつれて、ひなたが右側の浜辺からだんだん
左側の浜辺に向かってくる。浜辺がひなたで覆われるまえの
そのひんやりした空気の感じがとてもよかった。

happy land




9/11(日)
旅行にいく日。
朝6時、駅へむかう途中で
座架依橋の上で朝日を拝む。
思わず車を運転しながら
携帯のシャッターをきった。

土曜日, 8月 27, 2005

スーパーくちばし

台風がすぎて暑い一日だった。
朝、日経新聞のやさしい経済学で
企業が組織改革で自立分権型経営を重視した結果、
部分最適化が蔓延してしまったという記事をよんで
これは脳の問題そのものだ!というAhaがきて、
一日、自発発火をもつスモールワールドネットワークにおける
全体最適化と部分最適化の問題を考えていた。

概念の砂場で概念をこねこねいじって遊んでいる・・そんな感じがする。

金出さんの本を読み返していたら、英語の上達法がかいてあった。
脳の活動をさげて、日本語に決して翻訳しないこと。
英語を英語のまま理解する。前から理解していく。
これがポイントらしい。

それで、この頃、BBCのラマチャンドランのトークの
The Artful Brainをずっと聴いている。
スーパーくちばしの話がとてもいいと思う。
セグロカモメのくちばしは黄色くて先っぽに赤い点がある。

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/kamome/segurokamome.htm

ヒナがどうやって母親を認識しているのかを調べた科学者がいて、ヒナは
黄色いくちばし+赤い点というパターンを母親と認識していることをつきとめた。
長い進化の歴史で、セグロカモメの脳の神経回路には
黄色いくちばしに赤い点というパターンを検出するモジュールが発達したらしい。
次に、科学者は、赤い線を3本引いた黄色い棒をヒナにみせたらしい。
すると、ヒナは通常のくちばしよりも激しくその棒をつっついたのだという!
赤い3本線つきの黄色い棒はヒナにとって「スーパーくちばし」だったのだ!!
もしもセグロカモメのアートギャラリーがあったら、みんなきっと
その赤い3本線つきの黄色い棒を見て大喜びするにちがいない。
そして、ラマチャンドランは、ヒトがキュビズムや抽象的な現代アートをみて
心が動かされる理由も、まさにこれと同じなのではないか?と推論する。
ヒトの脳にも、ある抽象パターンに対してつよく反応する部位があって、
それがヒトにリアルな絵よりもキュビズムの絵のほうがいいと思わせる・・らしい。

金曜日, 8月 26, 2005

まとめ日記2



8/20(土)
地元海老名のビナウォークへ行く。ちんちん電車が走ってた。
おわってしまう前に見よう見ようと思っていたエピソード3をみにいった。
アクションはすごい爽快なのに、なんで人間ドラマには感情がぜんぜん揺れないんだろう・・と思いつつ、でも謎がすべて明らかになってとてもよかった。

ユニクロにいったら、コラボTシャツがなくなっていて、秋物になっていたのをみて
夏の終わりを感じた。

8/21(日)
保坂和志の「季節の記憶」をよんだ。
子育てをしている主人公の視点が認知科学の視点そのもので、おもしろかった。

8/24(水)
須賀敦子の「ヴェネツィアの宿」をよんだ。
最初のペンギンをめざしたひとりの女性の人生を
そのまま追体験したような気分がしてとてもよかった。

8/25(木)
研究の解析がいきづまっていて、かつ台風がきていて東京にいくのを断念して
家にいた。こういうときはかならず一日中ねてしまう。
布団に寝っころがりながら考えようとしてねっころがると
いつのまにか寝ている。そして気持ちがよくてずっと寝てしまう。

最近の脳科学の知見によると、
脳は寝ているときも決してなにもしてないわけではない。
寝ている間も脳は記憶を整理しようとしている。
そしてただ整理しているのではなくて、さまざまな心像を
ひとつにまとめよう、まとめようと、なにか
ひらめきがおきやすいように情報処理をしてくれているらしい。
だから、膨大なパラメータをもつ問題に出会ったときは、
とりあえずすべての情報をアタマのなかにインプットしたあとは
寝てしまえばいい・・。ほんとうか!

まとめ日記




8/19(金)
暑い一日。
すずかけにいく。
汗ばむなかこの坂道が、まるで試練の坂のように感じられて
写真をとった。

うえだ君と夕食をたべる。
五反田の歩道橋の下にはメニューが麻婆豆腐一品だけという
お店があるんだけども、5年間五反田に通っていて一回しか行ったことがなかった。
そのお店にいったらとても美味しいことが判明する。

芸大生というか芸術を専攻するひとたちがまなぶデッサンについて
おどろきの事実をしった。
ヒト(というか猫もサルもみんな)の視覚システムは環境の中から
図と地を分離して図に注意がむかうようにできている。
それでAha! pictureのダルメシアンの犬とかをみると
はじめは単なる点の集まりにしかみえなくて、点のあつまりがつくりだす犬の図が
生成されない状態がつづくんだけども、どうもデッサンをみにつけるというのは、
意識的に世界を図と地を融合した状態でみられるように脳を訓練することらしい。
図と地に分離する以前の、そして遠近感もすべて一つの面につぶれたようなフラットな視覚世界。つまり、世界を意識的にAha! pictureのように眺めることがデッサンで身につけなくてはならないスキルなのだという。
これはすごいことだ・・と思う。

土曜日, 8月 13, 2005

ピタゴラ装置

佐藤雅彦さんの研究室の展示会をみに銀座へいった。

上映会で、ピタゴラスイッチのピタゴラ装置の映像をまとめてみることができた。
さまざまな仕掛けのある通路をボールが転がっていき、
ボールがころがることで、さまざまな仕掛けがオンになって、動きがつながっていく。

むかし、映画のグーニーズでもピタゴラ装置のようなワンシーンがあって
大好きだった。

きっと、あーいう物理的な因果の連鎖にとても惹かれるのは
その動きの連鎖のなかに、脳がひらめきを感じるからではなかろうか?

ピタゴラ装置をつくるには、脳が予測する展開をいい意味で裏切らなければ
いけないはずで、つくる人はすごいひらめきが要ると思う。
そして人は、ボールと仕掛けがつくりだす、その創造的な因果の連鎖を見ることで、
きっとそのつくった人の脳が感じたであろう”思考のひらめき”を
追体験しているにちがいない・・と思う。

プラチナ・チケットの佐藤さんとボスのトークショーをみることができた。
佐藤さんがふってくる魔球のようなアタックをボスがすべてちゃんと返しているところがおもしろかった。
佐藤さんは脳が気持ちいいを感じることができるルールを探究している人だった。
自分の感覚やひらめきによりそっていて、かつ非常に客観的に分析して、
ルールを見つけてしまうところがすごいなーと思う
話を聞いていたら、ムクムクとインスピレーションが湧いてきて、なにかmovieをつくりたくなった!

金曜日, 8月 12, 2005

夏のある一日

無気力。
11時に研究所につく。
ラボのメンバーはだれもいない。
無気力で眠くてうとうとしているとTさんが出勤。
うきうきモードでNewコンピュータのセットアップをしている模様。

午後3時、なにもしないよりはましと思い、
ラマチャンドランの「脳の中の幽霊、ふたたび」
をおもむろによみはじめる。なんておもしろいんだ!
共感覚の研究をアートの普遍性や言語の起源につなげてしまうところがすごいと思う。
メタファーと創造性についていろいろ考える。

午後5時。セキネとオマケイが重役出勤。

午後6時。だんだん、やるきがわいてくる。
シミュレーションの解析を少々。

いつのまにか午後8時。帰宅。

夜、NHKで「そして日本は焦土となった~都市爆撃の真実」をみた。

焼夷弾が降伏を早めると思い、アメリカは都市の縦断爆撃を計画する。
将校のなかには、無差別爆撃をしたらアメリカの信頼をなくすと主張し、軍事基地のピンポイント爆撃にこだわった人もいたという。しかし、アメリカは無差別爆撃を実行した。
はじめに軍事基地のあるおもだった10都市ぐらいを爆撃し、その後、ドイツでの無差別爆撃は効果がないという報告があったにもかかわらず、軍事基地のない都市も、人々が疎開した先の小さな都市も無差別爆撃をつづけることになる。結局六十ぐらいの都市がターゲットになった。その間、メディアには、アメリカ軍は無差別爆撃をするつもりはない、軍事基地をピンポイント爆撃する方針はかわってないといっていたという。そして、戦後の裁判でも無差別爆撃の罪を問われることはなかった。

子どもを肩に乗せた親子の形をした炭が道路に転がっている写真とか、B29からの映像で、爆弾がぱらぱらおちていく。長撮りで、十数秒秒みていると、眼下で爆弾が炸裂して地面がピカピカひかっていた。

そういう衝撃の映像をみていたら涙がでてきた。

結局、アメリカ軍の本質は今も昔もかわらないのだなと思う。おなじ軍隊がずっと存続しているんだから当たり前か。情動に従うならば、いまのイスラム社会のように怒るのが当然なきがする。しかし、ゲーム理論的にみると、いまの日本の選択はきっとナッシュ均衡にちがいない。日本は感情をもたない合理的なプレイヤーとして意志決定を下している・・おそらくそういうことなのだろう。

水曜日, 8月 10, 2005

重力を体感する

研究所の1階のエレベーターに乗って
3階ボタンを押して
なにを思ったのか、突然ふくろはぎを鍛えようと思い
片足つま先立ちでかかとの上げ下げ運動をはじめたら
エレベータの上昇とともに急激にGがかかるのが
ふくろはぎを通して体感できた!体が重たく感じた。
これは発見だ!(笑)

火曜日, 8月 02, 2005

皇帝ペンギン

映画の皇帝ペンギンをみた。
皇帝ペンギンの生態を追ったドキュメント。

皇帝ペンギンは子育てのために海から百キロあまり離れた陸地をめざす。
そこでパートナーを選ぶんだけど、皇帝ペンギンは、雄の数よりも雌の数のほうが多いので、雄を巡って雌が闘っていた!といっても手(ヒレ?)でお互いの体をたたきあうだけなんだけど、雄は呆然と見守っていた・・(笑)。

雌が子育てをすべてする鳥の場合、雌にパートナー選びの選択権があって、優れた雄が1人勝ちする形態が多いんだけど、皇帝ペンギンは一匹の雄が必ず一匹の雌の卵を守らないといけないのでこういう自体になるのだろう。進化論の性淘汰の理論では、雌の好みが種の形態の進化を促進させるというけれど、そして男女の比率は当然変動しているんだろうけども、皇帝ペンギンはどうやってこのスタイルを進化させてきたのだろうか?ゲーム理論的にみると、きっと奇跡的な均衡解に収束しているにちがいない・・。

雌は卵を生んだ後、二ヶ月ほど雄に卵をあずかってもらい、産卵でエネルギーをつかった雌はまた海にもどってエサをたべる。

そのときの雌から雄に卵をわたすシーンがよかった。
極寒の南極では、数秒放置しておくだけで卵は死んでしまう。それで雌はなるべく素早く卵を雄に渡さなくてはならない。

ある若いカップルはうまく受け渡しができなくて卵を死なせてしまう。
そのシーンのあと、ふたたび、雌から卵をわたされて、雄は卵を地面につけたまま、モソモソしている。そのままじゃまた卵死なないの?とハラハラして見ていると、突然、両足の内側で卵をはさみこんでヒョイっと上にもちあげ卵全体を体で包み込む。その瞬間、ジーんときた。

あとブリザードのなか、雄は卵を抱きながらじっと耐えるシーンもよかった。

個体は厳しい自然に敗れて次々に死んでいくけど、種として生き延びていく。
映画はふつうひとりの主人公の体験を描くけど、この映画は個体はつぎつぎに死んでいく。でも種としては生き延びていく。まるでサイエンスのようだけど感動があって映画として成立しているところがすごいなーと思った。

土曜日, 7月 30, 2005

ひぐらし




久しぶりの日記。

2週間ぐらい前に齋藤孝の「書く力」という本を読んだんだけど、
いい文章を書くためには異なる3つのキーコンセプトをつなげる!と書いてあって
そうか!と思い、いつも3つのことをつなげようとして挫折していた。

あとAha!センテンスをずっと考えていて、なにか思いついたら日記に書こうと思っていたら、いつの間にか時がたっている。そして、いまだにグッとくる文は思いつけず・・。

なにはともあれ今日は博士中間発表の日ですずかけキャンパスに行った。

たまにしか行かない研究室(写真)。
不思議な空間。ヒグラシがたくさん鳴いていて、窓から吹き込んでくる風もとても心地よくて、なんだか田舎に帰ったような気分になった。これは一回性の空間・・・、そんな気がして写真をとる。

中間発表はうまくいく。いつもプレゼンはうまく説明できないもどかしさがあるんだけど、今日は会心のできであった!帰りのエレベータで審査員のN先生に「今日の発表は好評だったよ」と珍しくお褒めのお言葉をいただく。けむまき計画ここに完成せり(ニヤり)。

土曜日, 7月 16, 2005

石焼きタッカルビ丼




金曜日はチェゴやの日。セキネとチェゴる。

先週もセキネとチェゴってユケジャンクッパをたべた。
その記憶が昨日のことのように感じられてぞっとする。

今日は石焼きタッカルビ丼をオーダー。
でてきたタッカルビ丼のジュージューグツグツ音に衝撃をうける!
かき混ぜて鉄板の上に広げる。
辛さ控えめ。鉄板にはりついたおこげが美味しかった。

金曜日, 7月 15, 2005

就活

就活を兼ねて某企業の研究所を見学。
脳の基礎研究をしている。
部屋で話を聞いていると、扉の外がわをあやしい人工音声を発する2足歩行ロボットが横切っていく。さすがだ・・。

エンジニアなら誰でも夢見る、脳全体のシミュレーション計画を推進しているらしい!!

この世には理論では解明できないが、技術としては可能なものが存在する。とりあえずだめでも作ってみようじゃないかという姿勢は、さすがH社だなぁと思う。

鳥の翼にしてもヒトの巨大化した脳にしても、生物の技術革新はすべて理論的な理解なしに、進化というエンジニアリング的プロセスによって生みだされてきた。

そしてその背後にある創発の原理をみんな知りたがっている。

無数のミッシングリングを乗り越えて、脳の創発の原理を見つけだすことはできるのか?それが問題だ。

木曜日, 7月 14, 2005

飛人


Piet

Piet Hutが研究所にきた。
日本語では初都(ハット)飛人(ピート)とかくらしい(笑)。

プリンストン高等研究所で天文学の研究をしていて(いまは認知科学の研究もいしているらしいが)、一年のうち半分は共同研究で世界中の研究所に滞在しているのだという。なんてすばらしい生活スタイルなんだ!

トークを聞いた。

サイエンスが扱っているのは客観的に記述できる現象。そして、いま脳科学が扱っているのは客観的に記述できる主観性。でも、私はつねに誰とも共有できない<私>という体験をずっとしているわけで、それをPietはAppearanceとよんでいた。このAppearanceを科学的に扱うことこそが次世代の科学がプレイクスルーしなくてはならない目標なのだという。

17世紀にニュートン物理学がうまれてそのあと150年かかって、熱力学や熱力学第二法則が生まれた。その間の150年間、人々は、日々コーヒーにミルクを入れたときに広がったクリームが決して元のミルクのかたまりに戻ることはないという不可逆的な現象を目のあたりにしながら、それがニュートン物理学では説明できないことに気がついてなかった。それは現在の、意識はいまの科学の枠組ではまったく扱えてないのだけれど、ほとんどの人はそれがいかに深刻な問題であるかということに気がついてない状況に通ずるものがあるという。

未来の科学はいまの延長線上ではないところにある。しかし、今のところ、それがどーいうものであるのかは、過去にもとづくアナロジーでしか推測することができない。しかし、そこはかならず存在する。そして、そこに行こうと絶えず意識しなければ決してそこにたどりつくことはないのではないか。そういうはなしだった。

水曜日, 7月 13, 2005

ストロガッツのシンクを読みおわる。ストロガッツはワッツと一緒に自然界に偏在するスモールワールドネットワークを発見した人で、ほかにもホタルの発光や心臓の不整脈や体のサーカディアン・リズムやジョセフソン素子とか、本当にいろいろな分野の研究をしていて、でも、それらすべての研究は「同期」という現象でつながっている。業界の狭い文脈によりかかって研究するのではなく、そういったメタなテーマを思考の軸にすえて研究するのって格好いい!と思う。

test

BloggerのAtomをFeedBurnerでRSSに変換するとmixiに登録できるらしいので試してみる。

火曜日, 7月 12, 2005

talk

リケンのフカイ研にインフォーマルなトークをしにいった。
フカイさんに1時間から90分はなしていいよと言われたので
土日を費やして気合いの50枚パワポを作成。といっても目次の繰り返してがあるので実質45枚ぐらい。
聴衆はフカイ研とアマリ研のポスドクの人たちが10人ぐらいいた。

同じ業界人は質問が厳しい。
Reviewで紹介した論文を実際に追試したことがあって、この人の結果は怪しいよと教えてくれる優しい人。
使っているホジキン・ハックレイ方程式のチャンネルについて込み入った議論。
気にしていた競合論文をだしてきてあの論文とこの研究ってなにがちがうの?ときいてくる人。
従来の理論の示唆する結果はこーなるはずだけど、このモデルではどーなの?ときかれて、そんな理論あったんだ!と思ったり。
このネットワークはすもーる・わーるどじゃないと思うと率直なアドバイスをくれる人。

頭のいいひとたちだなーと思う。
このコンテクストで勝負しても勝てない・・気がする。
ベクトルをかえたい。けど変えるまえにいまの研究で論文をだしたい。
あっと気がついたらもう半年たってるじゃん!!

フカイさんからは、あーいろいろやってるんだねーといわれ好感触をえることができた気がする。
全部説明するのに2時間半かかってくたくたになった。よく全部きいてくれたなぁと思う。感謝。

土曜日, 7月 09, 2005

航空券

夏の研究室旅行のために超割の航空券をとった。
9時半から受け付け開始なんだけど、
みんなが一斉にアクセスするためにWEBサイトになかなかつながらない。
つながらないうちにみるみるチケットがなくなっていく。
その焦りとプレッシャーのなか、メッセンジャーで連絡をとりながら
なんとか研究室のメンバー全員分のチケットを確保するとほっとする。
今年は沖縄の離島へいく予定。

火曜日, 7月 05, 2005

明日のためのその1

英語をレベルアップさせる方法を考えた。

英語で英語を理解する頭の状態をどうやってつくるかが問題で、
そのために英語を聞くことが日常の一部となるように日常のなかに組み込む必要があると思う。

iTuneを4.9にヴァージョン・アップしてPodcastをつかってみた。

すばらしい!!

車の中でラジオ感覚で英語を聞きたいときに、好きな番組をiPodにダウンロードして聞こうと思う。

 聞き流し教材とともに、なにを言っているのかがわかる教材も必要だなーと思い、
BBCのラマチャンドランのトークが使えるのではないかとふと思う。

http://www.bbc.co.uk/radio4/reith2003/lecture1.shtml


昔、ストリーミングをPCに取り込んですでにmp3になっている。
話している内容が全文公開されているので、分からない単語はそれを見ればわかる。
トークが5つあるので、

聞く → 聞き取れなかった単語を調べる → 聞く → 調べる・・・・(無限ループ)

を1つのトークのなかで繰り返して、それを5つ分繰り返せば、
なにか脳に変化があるのではないかと思う。インドなまりが身に付くかも知れない(笑)。
たとえくせのある英語でも、脳科学の用語が身に付く点はメリット大だと思う。
あと英文を暗記するぐらい音読すれば英語のプレゼンにも役立つのではないかと思う。

金曜日, 7月 01, 2005

コンタクト


取り出されたコンタクトレンズ

ずっと左目に違和感を感じていて、朝、海老名のビナウォークにある眼科にいって充血した左目をみてもらう。
するとやっぱりコンタクトレンズの破片が左目に残っていた!!
はじめは先生もただの充血ですねといったんだけど、もっとよーくみてくださいとお願いしたら、先生が、「あっ!あるある!!それも大きいね!」とおどろいていた。簡単にとってくれた。
びっくりしたけど、安心する。
3日間もずっと目の中に入っていたと思うとぞっとした。
チバビジョンのレンズを使ってみたんだけども、どうも俺の目には合わないようだ。
恐ろしくて二度とつけられないであろう。

久しぶりに新宿の二郎ラーメンにいって豚入りラーメンをたべた。

研究所にいく。Tononiの気になる論文を調べるきにはなれずに、記憶が変容してしまう前に書かねばならないと思い、ひたすら旅行の日記をかいていた。

旅行日記

6月24日(金)

成田空港へ。
空港でオンゾーとタナベのアドバイスをもとにクジャクのデザインのswatchを買った。いい買い物をした!と思う。

飛行機の中でワインをこぼす。ワインで湿ったジーパンが気持ち悪かった。
ロサンゼルス空港についたらボスとタヤさんが待っていた。
シャトルバスでパサデナへ。

Saga motor hotelに荷物を置いたあと、学会会場のカリフォルニア工科大学に歩いて向かう。
アメリカの大学は緑の芝生が美しいと思う。
ホテルと道路を挟んだ向かい側にシティ・カレッジがあってちょうど卒業式だった。黒い礼服を着た卒業生たちが喜んでいる姿を横目でみながらカルテクを目指す。

まずはカルテクの購買へ。ボスはアインシュタインTシャツを買いたかったみたいだが、どうもグッとくるデザインがなかったようだった。

そのあと、学会の会場にいく。Dehaeneのtalkをきく。英語のhearingは苦手なんだけど、Dehaeneの論文はいくつか読んだことがあるので、スライドをみるだけでだいたい言っていることがわかった。globalなneural networkのmodelをつくって意識のシミュレーションを行っていた。こーいうのりもありなんだなというに気がついたのがひとつの発見だった。

その後、夕食をたべにメキシコ料理店へ。前菜で出たアボカドをすりつぶしたサラダをナンにのせて食べる料理にはまる。

その後、ボスの泊まっているホテルの部屋でワインをのむ。
すべらない話大会をする。なんでこんなにネタがないのであろう。google desktop searchのように脳のエピソード記憶に再インデックス化をかけないと・・。


6月25日(土)

7時に起床。
ホテルの中庭にあるプールサイドで朝食を食べる。とても気持ちがいい。
カラフルなシスコーンを食べたらとても懐かしい味がした。

カルテクへ歩いて向かう。
Susan Greenfield, Christof Koch, Fred Gage, Allan Hobson, Steven Laureysのtalkをきく。

どれも興味深いんだけど、Hearingがさっぱりできない。スライドで60パーセントぐらいは理解する。Hearingさえできればすごい効率よく情報収集ができるはずでもったいないなと思う。英語力のなさに危機感をもつ。

ポスター会場は屋外に設置されていて、噴水の周りにボードが並べられている。名前のアルファベットが後ろの人は、奥のスペースにイーゼルが並べられてあって、用意されてい画用紙にA4のポスターをぺたぺた貼って物差しで補強してイーゼルにセロテープで固定した。

サラダバーで昼食を食べる。トロント大の馬なんとかさんも一緒だった。

ポスターセッション。ケーキや飲み物が用意されていて、お菓子をたべながらポスターを聞いてまわることができる。コロナビールを飲みながらポスターを見て回る。自分のポスターに興味をもって聞いてくれたのは1人だけだった。メンフィス大学のComputational Dynamics Labのディレクターの人で、端から端まで説明を聞いてくれて、丁寧に自分の論文のreferenceを教えてくれた。similarなの?と聞いたらrelatedだと言われて安心する。この方向は正しいと思うよと言われてちょっとうれしかった。

高そうなレストランで夕食を食べた。エスカルゴの天ぷらもステーキも美味だった。


6月26日(日)

7時に起床。
今日もプールサイドで朝食をたべた。
セキネは、飛行機の機内食で出る魚の形をした醤油入れとか、去年のロサンゼルス空港で食べたスシボーイの箸とか、どうしょうもないものをコレクションするのが趣味らしい。それで女優のかんだガムはファンにとってどれくらいの価値があるのか?ということが話題になる。例えば、小倉優子のかんだガムはファンにとってどれくらいの価値があるのであろう??味が残っていた方が価値があるのであろうか?かんだ回数で値段はかわるのだろうか?かんだときの年齢で年代ものとしてのプレミアがつくのだろうか?そしてあまり考えたくないけど、購入したファンは果たしてそれをかむのだろうか・・??年代の違うガムを混ぜたブレンドものが出てくるにちがいない、マネージャーがかむのを手伝ってしまうにちがいない・・などなど。どーしょうもないネタなんだけど、すばらしい広がりをみせ、胃がよじれるぐらい笑う。

Randolph Blake, Geoffrey Boynton, David Leopold, Shimojoさんのtalkを聞いた。Vision研究のトレンドがなんとなくわかる。

休憩時間に木陰にあるベンチで休んでいて、昨日、寝るときセキネと議論をしていて、セキネがゲーム理論を説明するのを聞きながら、おれは相づちを打ちながら眠ってしまったんだけど、セキネはそのことに気がつかず3分間も眠っている俺に説明し続けてくれていたことを知って、また胃がよじれるぐらい笑う。

昼食でZono sushiという寿司屋さんに行ってカリフォルニア・ロールを食べた。舌の上でアボガドがとろける食感に感動する。

ボスと別れて、オールド・パサデナに向かう。
スーパーマーケットで買い物をする。セキネの目が輝いていた。
スーパーの外で休んでいて、アドレナリン・ラッシュという精力剤ドリンクを飲んだら元気が出た!ハチミツ入りのGreen Teaはじつは美味しい飲み物であることに気がつく(笑)

今日着ていたユニクロTシャツの話をしていて、企業コラボのTシャツで太陽と雲とぐるぐる巻きの幾何学模様が組み合わさっていて格好いいデザインだと思って着ていたんだけれど、実はコラボの企業がフマキラーという殺虫剤の企業で、ずっと格好いいと思っていたぐるぐる巻きの幾何学模様は、実は蚊取り線香を表していて、雲は煙で、太陽は蚊取り線香についた火で、そして、ずっと謎だった太陽から上に伸びているにょろにょろの線は、実は蚊取り線香から立ち登る煙だったことにオンゾーのつっこみで気がついて、また胃がよじれるぐらい笑ってしまった。今日は笑いの敷居値が低い不思議な一日だった。

夕食はチベット料理をたべる。生まれた初めてチベット料理を食べたけれど美味しかった!

夜、左目のコンタクトレンズを外し損ねて2つに折れて重なったレンズが目から取れずに大騒ぎする。セキネの協力を得てなんとか取ることに成功するものにまだ目に違和感がのこる。気持ち悪い・・。


6月27日(月)

今日も7時に起床。

Giulio Tononiのtalkを聞いた。
おそらく今回の学会で一番おもしろいtalkだったと思う。
絶望と希望がまざった複雑な気分。
絶望的だったのは、俺の研究の上位互換のような論文が去年発表されていたことをしったこと。
希望は、EEGとTMSの同時計測をしているのをみて、脳のネットワークと動的なダイナミクスの解析ができる気がしたこと。

質問タイムで「中国語の部屋」で有名な哲学者のジョン・サールが質問していて、そのあと議論で会場がすごい熱気に包まれておもしろかった。その議論に自分も英語で加われないのがとても悲しかった。

午後、シモジョウ研の見学をさせていただいた。
Visionの研究が中心だと思っていたら、最近はクロス・モダリティの研究や、意志決定の研究がメインのようだった。
現在使用できるあらゆる計測装置とアイディアを駆使し、新しい知見を積みかさねていこうとしている姿勢にとても感動した。

ポスドクの話を聞いたら、厳しいことを言われた。語学留学でアプライしてくる人が結構いるらしく、一生をかけるに値するテーマをすでに見つけていて、それをするために来る人以外は断っているらしい。そもそも日本人の研究室を選ぶこと自体、甘えがあっておすすめできないと言われる。

クロス・モダリティの研究は自発発火と関係があり、意志決定の研究は、心の理論と関係していて、いまの問題意識をもとにサイコロジーの研究をすることって可能なんだ!という感覚はなんだかとても新鮮だった。でも、本当にやりたいことで選ぶんだったら、いまの問題意識にダイレクトにアクセスできそうなTononiの研究室とかを目指すべきなのかなとも思う。

その後、シモジョウ研の学生のtalkを1つ聞いたあと、シモジョウさんに御礼をいって会場をあとにする。

カリフォルニアといえばビーチ!という夢を叶えるべく、チョウさんも加わって、6人でタクシーを借りてベニスビーチにいくことにする。タクシーを呼んでも40分以上来なくて、殺人的な太陽光線のもと、ひからびそうになる。そんな困難にもめげずに、一堂は海を目指したのであった。

40分かけてベニスビーチに到着!さんさんと降り注ぐ力強い太陽光線の下、砂浜で遊んだ。
海は冷たくて入れなかったけど、ビーチと太陽というカリフォルニアのイメージを体験できて満足する。
海辺に面したカフェで夕食をたべつつ、日が暮れるのを眺めていた。


6月28日(火)

帰国する日。
7時にホテルを出発してタクシーでロサンゼルス空港に向かう。

ロサンゼルス空港のスシボーイで食い納めにカリフォルニア・ロールを食べた。やはりアボカドの食感がすばらしいと思う。フィラデルフィア・ロールもサーモンと生クリームが組み合わさっていて美味しかった。

そして日本へ。なんだかとても蒸し暑い・・。

参加した皆様、お疲れさまでした。楽しい旅でした。

金曜日, 6月 24, 2005

出発前

久しぶりに日記をかく。
明日からASSC(Association for the Scientific Studies of Consciousness)という意識の学会に出席するためにカリフォルニア工科大学にいく。
ポスター発表をしてきまする。

カリフォルニアというと西海岸でビーチを想起するんだけれど、
向こうでは最低気温が13度前後、最高気温が22度前後らしい。
泳げないじゃん!!

カルテクをみることで、研究者として生きていくということに対して前向きになれたらいいなと思う。

日曜日, 6月 12, 2005

溜め日記




6/3
 学振pdをだした。理研pdもだした。NIPSは間に合わなかった。一週間に3回も理研にいった。
 研究所でオープンハウス用にポスターをつくった。T所長の無反応に落ち込む。
 深夜、日本対バーレーンをみた。負けられない試合。その追いつめられた感じに共感して真剣に応援する。勝ってよかった。

6/4
 千葉県精神科医療センター開設20 周年記念学術集会なる会に出席。生の計見さんをみた。ボスの講演をきいた。生の池田さんをみた。その圧倒的なトークに衝撃をうける(笑)。パネルディスカッションはゆるかった。なんというか、もっとリアリティの生成メカニズムについての議論を期待していたのに、いつのまにか自分の危うい精神体験を語る会になっていて、みなさん、だいじょーぶですか~?という感じだった(笑)。ボスの講演に2000円はらったようなものかなと思う。

6/5
 うまれてはじめて東京ドームへいって、うまれてはじめてライブでプロ野球をみた。巨人対ソフトバンク。バックネット裏7列目。テレビに映るかなとドキドキしていたら、3列目までしか映ってなかった。残念。
 
 9回表、ショート二岡の一塁への送球ミスからピンチをつくり、満塁策をとるものにヒットを打たれて2点入れられる。その間に周りの巨人ファンの不満が爆発し、草野球してるんじゃねーとヤジがとんだり、後ろの席でアベは野球センスがないと熱く語り出す観客がいたりして、あー、野球を愛しているのだなぁと思う。みるもの全てが新鮮でおもしろかった。

 家に帰ってからポスターをつくった。先行研究の実験状況を説明するすばらしい猫の絵をかいた(上の絵)。でも周りの人からはトトロもどきと言われる。 

6/8
 オープンハウス1日目。シンポジウムの日。満席に近い大入りだった。マイクかがりにかこつけて、すべての人のトークを聞く。自分のやっている研究をいかに一般の人に理解してもらうか?そういう視点からきくとどのはなしも非常に興味深かった。文脈力が重要だなーと思う。

 終わって研究所にもどってきたらS条さんに研究を説明する機会があった。とても興味をもって聞いてもらえてやや自信を回復する。

 今日は誕生日で28歳になった。


6/9
 オープンハウス2日目。社員向けのデモ展示の日。バイトで忙しく動き回る。
 密かに就職活動もかねていて、上の階にあるロボット研究所の研究者に自分の研究を説明した。しかし、途中で中年のおじさんが割り込んできて予知夢について語りはじめる。唖然としているうちに、その研究者の人はどこかにいってしまったのであった。ガッテム!! 
 
6/10
 オープンハウス3日目。一般の人向けのデモ展示の日。今日も大入りで忙しかった。
 某社の脳研究所のボスがやってきていて自分の研究を説明する機会に恵まれた。どうも同じような研究をやっているらしくて感触はよかった。文脈力の必要性を痛感していて、自分の研究を脳の創造性の研究に結びつけるロジックを考えて話すようにしたら受けがよかった。

日曜日, 5月 22, 2005

たからくじ

NIPSにだすことを決意。
ここ2週間のうちに
学振と理研ポスドクとNIPSの締め切りがある。
どれかひとつでも通れば就職問題が大きく前進する。
しかしどれも通らない可能性がいちばん高い。
宝くじは買わないと当たらない。
だから出すしかないだろう。

木曜日, 5月 19, 2005

ニッチ

理研へ研究室の見学にいく。
フカイさんにはじめてお会いした。
同じ業界だからか、とても話が合った。はじめてなのに居心地がいい。
もしいまの研究をポスドクでもつづけるならばこの研究室がいいなと思う。

一方で、なんというか、いまの研究をポスドクでもやりたいの?という問題がある。
この方向でほんとうに脳は理解できるのだろうか?よくわからない。

パソコンの父、アラン・ケイは「未来を予測する最良の方法は、未来を発明することである」といった。すでにあるニッチで競争するよりも、新しいニッチをつくりだすことのほうが重要な気がする。どんなニッチを心に描くのか?それが問題だ。

火曜日, 5月 17, 2005

つづき

久しぶりに小林秀雄の「信じることと知ること」と「信ずることと考えること」を聞いた。きくたびに新しい発見があるのはすごいことだなと思う。

信じるということ。
サイエンスでいえば、自分の直感を信じないとなにもはじまらない。
そして信じるということは責任をとること。
そして迷う。でも迷うからこそ人生に意味が生まれる。

きっとそうやって崖を登って行くしかないのだろう。

月曜日, 5月 16, 2005

ワタシ

 6月にあたまに就職関係の締め切りがいろいろあるのだれど論文はそれまでにはもう間に合わないだろう。なので開き直ってポスドクの研究計画を練るための知識を仕入れはじめる。ここ二日間は、論文を中断して、河本英夫さんの「オートポイエーシス」という本を読んでいた。
 プリゴジンのゆらぎ、ハーケンのシナジェティックス、自己組織化、創発システムなどたくさんの頭の中で関係が整理できないキーワードがあったのだけれども、この本はそれをシステム論の歴史として解説していて、ここまで体系立ててすごいな・・と思いながら読んだ。


数日前、新聞に短歌の歌集をだした斉藤斎藤さんの紹介があって

「たとえば斎藤茂吉みたいにコッテリした『われ』でいける時代ではない。みんなむき出しで放り出されて、『私って何?』を構築しなきゃならない」

という文に妙に惹かれた。

最近、人生についてよく考えるようになって、養老さんの「考えるヒト」の

人生は崖の途中に貼りついているようなものである。手を離せば、落っこちてしまう。そうかといって、上に登るのは疲れる。もう登る余力もない。それでも登るしかない。それが人生だ。そう思っておけば間違いない。

というくだりを読んで妙に安心する。

崖に貼りついていて、ふと気がつくと鼻の先のくぼみに一輪の花が咲いていて、思わずそれに見とれる。そういうことが大切なのかもしれないとふと思う。

日曜日, 5月 08, 2005

omelet2




ふたたびランチをたべに「ラピュタ」へ。
今日はシーフード・オムレツをたべた。

ネットでしらべると美味しいオムレツをつくるHow toサイトがたくさんあった。便利な世の中だな・・。
http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/2003q3/20030903.html
http://www.delicious.ne.jp/html/toku01/kiji01/kiji01_0203_01.htm

土曜日, 5月 07, 2005

darts

ひさしぶりにオクサワのカラキ亭へ飲みにゆく。
雨のなか6時頃いくとお客さんはひとりもいなかった。飲む約束をしていた友人たちに連絡してみると仕事で8時ごろになりそうと言われる。なにもすることがないので論文を読んでいると、マスターが「ダーツする?」と聞いてきて、戸棚を開くとダーツの的が出てくる。

生まれて初めてダーツをしたのだけれども、なんておもしろいんだ!
最初は全然、ダーツが的に刺さらなかった。毎回、精神状態が変わるし、ダーツの持ち方もフォームもかわってしまって、むずかしいのだけれど、だんだんコツがわかってきて、狙いたい数字を狙えるようになってくると、はまりだす。ヒトと競争をしているとさらに白熱してくる。的に当たるか当たらないかに一喜一憂する感じがとても新鮮だった。

「New darts life」というdartsの専門雑誌があることを知る。ここにまたひとつ、奥の深い世界があった・・と思う。

金曜日, 5月 06, 2005

焼け石に水

ゴールデンウィークはずっと家に籠もって論文をかいていた。ようやく骨組みができた気がする。
膨大な時間をかけて、数行の文章をひねりだす。意識的になにか考えているというよりは、こんな感じかな・・と必要そうなことをリストアップして、無意識のうちにまとまってくるのをずっと待っている。ちょっと考えては休み、ちょっと考えては休んでいて、頭をつかっているきが全然しない。意識的にグイグイとまとめるにはどうしたらよいのだろうか?それが問題だ。

火曜日, 5月 03, 2005

omelet




 最近、母親のオムレツの腕が上がっていて、近所の美味しいオムライスのお店で食べたオムレツに感動して研究をはじめたらしい。それで、そのお店にブランチをたべにいってきた。
 名前はラピュタという名のお店で、どこかで聞いたことがある名前だなと思って入ったら、店内にアニメのラビュタの絵が飾ってあった。このことか・・。
 ほーれんそうのオムライスをオーダー。かなり待ったのだけれど、わくわく感があって、こーいうささやかなわくわく感って重要だなと思う。
 オムライスはとても美味しかった!肉厚のオムレツの中は黄身がとろとろしていて、すごい!と思う。どうやったらこんな風につくれるのだろう?オムレツといえども奥が深い・・と思う。

月曜日, 5月 02, 2005

はるうらら

近所の中華料理屋でブランチをたべようと車を走らせていて、春の柔らかい差日差しをぼーっと見ていたら、とつぜん、

ひさかたの 光のどけき 春の日に
静心(しづごころ)なく 花の散るらむ

という歌が頭に浮かんできた。

小学生のとき塾で百人一首の暗記をさせられた。歌の内容など理解せずにただひたすら語感をたよりに暗記していた。

意味もわからず暗記していた歌がとつぜん十数年ぶりに頭のなかに浮かんできて、
くちずさみながらきっとこの歌はこんな春の日に詠まれたに違いないと思う。
それで家に帰って意味をしらべてみたら紀友則の歌で前半の句はやはりそういう意味だった!
こういう経験はなんだかとてもうれしい。

日曜日, 5月 01, 2005

hop step slip

4/28(木)
武者利光さんの話を聞きにすずかけキャンパスへ。
とてもおもしろい講演だった。

EEGで10コの電極からデータをとる。2個の電極間の相関を計算すると45個の組み合わせがあり、さらに3つの周波数帯でわけると135個の相関係数がでてくる。その135個のデータに135×4のマトリックスをかけてストレス・喜び・リラックス・落ち込みを表す4つの指標に線形変換できることを発見したらしい。

普通の人に好きな音楽を聴かすと、ストレスはほぼ一定の値をとって遷移し、喜びと落ち込みはお互いにシーソーのようにゼロサムの関係を保って時間遷移する。音楽を聴いているとき感情は喜びと悲しみの間を揺らいでいる・・ようだ。

おもしろいと思ったのは、自閉症の子供がなにかにはまっているときの感情を測定すると、ストレスと喜びが一定の値をフラットに保ったまま時間遷移するらしい。自閉症の子供がなにかに集中しているとき、脳の中は喜びに満ちている!!ことが示唆される。

 武者さんは値がフリーズすると表現されていた。感情がある相でフリーズするということ。日常会話をしているとき、ノーマルなヒトはつねに相手の心をマインド・リーディングしている。そのときもし例えば怒りの感情で心が一杯だったら、相手の言動をすべて怒りという色眼鏡を通して理解してしまうおそれがある。相手の気持ちを読むためには自分の情動はひとつの相にフリーズしていてはだめで、オープンでなくてはならない。そして、相手の感情に動的に適応するためには、自分の情動はつねに揺らいでいるほうが都合がいいのかもしれない。

そのほかにも認知症の早期診断のはなしもおもしろかった。脳波の分布の形から正常と認知症の区別ができることを発見したらしい。正常のヒトの頭のα・β波の空間分布の等高線の曲線はなめらかなのだけれど、認知症のヒトはあちこちでカクカクになっている。でも、アートセラピーをさせるとそれが2時間しかしてないもかかわらず正常の脳波にもどるらしい!でも一週間すると元のカクカクにもどってしまうらしい。脳のダイナミクスと可塑性の関係についていろいろ考えさせれられるデータであるなと思う。

4/29(金)
いとこの家族がきて恒例の家族テニスの日。一年ぶりにテニスをした。ちょっとうまくなっていた。運動記憶、おそるべし。

り三に通っているいとこはいま解剖の授業があるらしい。壁に耳をつけて、「壁に耳あり」事件は本当にあったらしい・・。「障子に目あり」が起きなくてよかった・・。脂肪よりも神経繊維って強度があるので、組織を引っ張ると脂肪だけがちぎれて、神経繊維をとりだすことができるとか、まだ顔をみてないけれどももし顔をみてしまったらきっと解剖できなくなると思うとか、いろいろリアルな話を聞かせてくれた。

4/30(土)
ここ2日、論文執筆を中断して、ジェフ・ホーキンスの「考える脳、考えるコンピューター」を読んでいた。とてもおもしろかった。自発発火の研究から、脳の活動にウチもソトもないことは明らかだ。視覚野ですら外部入力がなくとも自発的に活動をしている。そこから示唆されることは脳のなかには外界を取り込んだなんらかの内部モデルがあるということなのだけれども、ではその内部モデルって何?というのがずっと問題になっている。ひとつの流れとして認知とは外界の入力と内部の予測のマッチングであるという仮説があって、複雑系のヒトのリカレントネットワークモデルとか、ベイジアン・ネットワークとか、いろいろ理論が提案されてきたのだけれど、脳は本当にそんなことやってるの?という疑問がずっとある。ホーキンスは神経生理学に基づいた枠組みを提唱した。そこがこの本のえらいところだと思う。「現象学的意識」はこれではだめだと思うが、大きな枠組みを提案していておもしろい。それでいけるところまでいってみればいいのだと思う。

木曜日, 4月 28, 2005

Design For Mind

ボスの部屋に置かれていたアイボを拾って学生部屋にもってきた。
充電させてからスイッチをおす。ダラリと垂れ下がった首が持ち上がり、アイボが動き出す。

マインド・リーディングの空回りという形容がぴったりくるような印象をもつ。
なにかいろいろやっている。いろいろ気持ち(?)を汲み取ることもできる。でもクロック数があわない。アイボはなにか動作をひとつやっている間に、あーかな、こーかなとこちらがたくさんの解釈を投影して一方通行で疲れてしまう。

ふと小さいころを思い出した。小さいころ恐竜型ロボットのゾイドが大好きだった。ゾイドにはモーターが入っていて、一方向に歩くことができる。小さいころ、遊びながらいつもゾイドが自律的に動いてくれるところを想像していた。幼心に、ゾイドに心的な因果性を持たせたいと思っていた記憶がある。

その問題がいま目の前にあると思った。アイボに心的な因果性を感じさせるにはどうすればいいのか?双方向のインタラクションを成立させなければならない。本物の犬とのひらきはまだまだ大きすぎる気がして、というか哺乳類は無理な気がするので、まずは爬虫類からはじめたらどうなるのか?たとえばカメとくらべるとどうなのだろう?ヒトとカメの間に成立するインタラクションとヒトとアイボの間に成立するインタラクションをくらべてみたらおもしろいのかもやしれぬ・・と思う。爬虫類系のペット愛好家のヒトにアイボの感想を聞いたらおもしろいのかもしれない。

火曜日, 4月 26, 2005

再開

ひさしぶりに日記をかく。継続は力というけれどモチベーションが続かず。

論文を執筆中。今日は131word書いた。methodから書き始めて、まだmethod。同じようなことを説明している論文を2,3集めて、使えそうな構文を抽出し、単語は別の論文からとってきて微妙に変える。日本語のように適当に書き出して推敲していくことができない。表現をひとつひとつ吟味して組み立てていく感じ。英語がここまでボトルネックになるとは思ってなかった。

その裏でアイディア・メモで内部モデルと自発発火の関係を考えていたら日本語で3000字になった。SfNのネタを考えなくてはならない。衝動的に「考える脳 考えるコンピューター」をアマゾンで発注。

最近、バロン・コーエンの「共感する女脳、システム化する男脳」を読んでいる。男の脳はシステム化にすぐれていて女の脳は共感にすぐれているという仮説を検証している。仮説を検証するために膨大な研究例を集めているところにおどろく!これが経験科学の精神なのであろうかと思う。「心の理論」の知識が再構築していく感じがとても楽しい。

木曜日, 3月 31, 2005

携帯電話に夢中


mobile phone 

 一週間前ぐらいに姪が歩き出したという。そして、最近、携帯電話に夢中らしい。携帯電話をもつと「はい、はい、はい・・」としゃべりだすという。兄の携帯には仕事の電話がよく入ってきていて、いつも「はい、はい、はい」と体育会系のノリで返事をしている様子をどうも真似しているらしい。携帯電話をもつと、こちらのはなしていることとは関係なしに、「はい、はい、はい・・」という(笑)。

 姪は一体なにを学習したのだろうか。携帯電話をもつということ。携帯電話を耳にあてるということ。携帯電話にむかって「はい、はい、はい」ということ。行動のレパートリーを列挙すればこれだけのことだが、報酬システムの視点からみれば真似ることによって生じる親との情動の交流もあるだろう。そしておそらく一番重要なのは「行為の型」の認識なのだと思う。さまざまな複雑な行動の組み合わせを1つの「行為の型」としてまとめ上げること。一歳の幼児の脳の中ではすでに行動のレパートリーの組み合わせをひとつの「行為の型」としてまとめることができる。これはヒト特有の世界をシンボルを通して認識する能力と関係があるのだろうか。でも人間が川で靴下を洗濯するのを見て、洗濯するのを覚えたオラウータンをみたことがあるな・・。

 脳のミラーシステムの研究から、他者の行為を見ているとき、脳の中にはその行為を真似たときに生成されるであろう運動コマンドが、シミュレーションされていることがわかっている。他者の「行為」と自分の「行為」の同一性をいかにして脳は保証しているのか?ということがおそらく一番重要なのだと思う。無数の差異を認識した上で、「同じ」にしてしまうということ。無限の組み合わせと無限の差異を含む行動レパートリーの中から、いかにして抽象的な「行為の型」を抽出することができるのか?他者の行為をみたときに、自分の行為として脳の中でシミュレーションするためには、さまざまな情報の圧縮と抽象化が必要だ。おそらくここいらへんのことが、今のヒューマノイドの研究で、次にできそうで、全然できないことなのではなかろうか。

水曜日, 3月 16, 2005

あれも、これも・・

 最近、いろいろなものが自発発火にみえてきた(笑)。
 脳以外のさまざまな複雑なシステムの中にも脳の自発発火に相当するものがある気がしてきた。細胞のなかのがらくた遺伝子とか、ミツバチのコロニーのなにもしてないハチとか、組織の2:8の原理とかは、実は創発システムのなかのアクティブな要素に対して表裏一体の関係として必然的に現れるインアクティブな要素なのではないか?そしてそこには重要な機能がある・・。
そんなことを考えていたら、急に昆虫の社会がしりたくなった!ウィルソンの社会生物学でも読もう。ってはやく論文まとめろYo!

月曜日, 3月 14, 2005

golden ratio mask

 すすまない。解析方法を考えているうちに一日がすぎていく日々がつづく。
 このコンテクストからはやく脱出したい。
 時間に追われている。忙しいというわけではないが、つぎにやならなくてはならないことが時間軸の未来の方向にむかって積み重なっている。

 親から就職のプレッシャーを強くかけられる。親はポスドクにたいしてはひどく悪いイメージしかもっていなくて、就職しろという。あなたは大学で10人もポスドク雇っているじゃないか!とつっこみをいれたくもなるが、それでさいきんまわりのひとを投資家とみるくせがつきはじめた。お金を投資してもらわなくてはならない。そのためには、結果とビジョンが必要だ。と考えるとやはり論文をはやくしあげなくてはならないと思い、焦ってくる。
 
 そういえば土曜日に、レオナルドダビンチの番組がやっていた。黄金比マスクなるものを考えた整形美容師がいて、美しい顔かどうかは顔を線で分解したときに特定のライン同士が黄金比になっているかどうかでわかるという。
http://www.beautyanalysis.com/index2_mba.htm
レオナルド・ダビンチのスケッチをみると、顔のデッサンにたくさん線が引かれていて、その線同士が黄金比になっていて、どうもダビンチもそのことに気がついていたらしい。
自然界の形には黄金比があふれている。だから脳が黄金比に反応するように進化してきても不思議ではない。それが顔にもあるというのはなかなかおもしろいはなしだなと思う。

水曜日, 3月 09, 2005

いろいろ

 日経新聞にビジョナリーの話がかいてあった。
ビジョナリーの定義は「技術革新の先行きとそれが及ぼす影響を見通す特殊な能力をもつ天才」らしい。古くはスティーブ・ジョブス、最近ではグーグルの創業者であるセルゲイ・ブリンとラリー・ペイジがそうであるという。解任されたHPの元CEO、カーリー・フィオリーナは優秀なCEOではあっかもしれないがすくなくともビジョナリーではなかった。シリコンバレーではそういったビジョナリーの存在が勝ち組になる必要条件として認識されているのだという。
 自分も一日にいろいろアイディアが思い浮かぶけれど、どれも富に結びつくようなものではない。しかしそれが奇跡的に結びついている人たちがいる。そういう道も存在している・・ということを認識することはよいことだなと思う。そういえば「INSANELY GREAT」というマック開発物語の本の存在を思い出した。読みたいけれど時間がない・・。

 GoogleのDesktop SearchとJustsystemのConceptSearchを使い比べてみた。Google Desktop Searchの英語検索はすばらしい。あたまに浮かんでいる資料が一発でみつかる。でも日本語の検索はアホすぎる。ひらがなや漢字を1文字ずつ検索対象にするんじゃない!!一方、ConceptSearchは日本語検索はすばらしい。でも英語の検索はセンスがない。どうでもいいものがひっかかりすぎてつかえない。うーむ。

 原さんとボスのトークをきいていたら原さんが情報整理の話題で「混沌をマネジメントする」といっていていい言葉だなと思う。電子メモに情報が蓄積されるにつれて混沌になることはよいことなのだと思う。脳のなかに存在している無数の概念の重ね合わせ状態を反映して電子メモのなかに混沌が形成される。問題はその混沌をマネジメントしていかにアイディアを生み出すかなのだろう。

月曜日, 3月 07, 2005

いろいろ

しばらく日記をかかないうちにまた日本語力がおちてきた気がする。

論文にまとめないといけないのだがずっと足踏み状態が続いている。
現実逃避でつぎにやりたいことリストの項目ばかりが増えていく。
なぜここまですすまないのか自分でも不思議に思う。
父親には細かいことは気にせず丸め込むことが重要と言われる。

そんなこんなで夏目漱石を読みはじめた。「それから」を読んだらおもしろくて「三四郎」も読み終わった。いま「こころ」をよみはじめた。むかしもいまも悩む問題はたいして変わらないのかもしれないなと思う。

そういえばホフマイヤーの「生命記号論」も飛ばし読みしたのだけれどおもしろかった。
 
意識とは身体の実存的環世界を、肉体が空間的物語的に解釈したものである。

というくだりにぐっときた。

土曜日, 2月 26, 2005

そつてん




芸大の卒展をみに上野の東京都美術館へいった。
油絵、日本画、工芸、彫刻などすべてのジャンルの卒業制作が一堂に展示されていておもしろかった。なんというか、ヒトが感じることのできる表象空間の可能性を脳を並列に並べて一斉にサーチしている感じがして壮観だった。
あたまの中で生成されたなにかを外に取り出せるスキルをもっている人はいいなぁと思う。ふと絵や造形はもう無理かもしれないけれど言葉なら自分もまだ向上の余地があるのではないか?と思う。ポエムですね、ポエム。

ふと思いついたのが「ドーパミンの歌」。

うーん・・(- -)


 NHKの人間ドキュメントを見た。沖縄の水族館にいるイルカのフジはなにかの病気で尾ひれを手術で切り取ってしまって泳げなかったのだけれど、ブリジストンのエンジニアに協力してもらってゴム製の人工尾ひれをつくって泳ぐ力を取り戻していくという話だった。
 手術した直後は仲間から離れて独りぷかーと浮いて泳ぐ気力のなかったフジが人工尾ヒレをつけることで徐々に泳げるようになってゆく。おもしろいと思ったのは、空中ジャンプにかかる負荷に耐えられなくてたびたび人工尾ひれは壊れてしまって開発は難航するのだけれど、一度泳ぐことを思い出したフジは人工尾ひれがない状態でも積極的に泳ぐようになっていた。沖縄の水族館でイルカの認知の研究ができたらいいなぁ・・と思う。

火曜日, 2月 15, 2005

修論発表

M2のタナベの修論発表の日。すすかげ台へ。
立派な発表だったと思う。お疲れさまでした。
ある事柄を想起したあとに、それと競合するような似た事柄を覚えると、想起した事柄の記憶がより不安定になるということは、PTSDの治療の原理としてつかえるだろうし、創造性の問題とも関係していると思う。あるひとつのことを考え続ければ考え続けるほどそれ自体は不安定になって、異なる概念に対してつながりやすくなるのではないか?そんなことを考えていたら記憶の問題はおもしろい!と思う。

アベカワ君の発表。相手に対して生理的な拒否反応と学問的な拒否反応が同時に起こるとヒトは原理主義者モードになる。おそらくそういうことなのだと思う。

夜、3時間ぐらい寝たあとに目がパッチリ醒めて眠れなくなった。酔っていたせいもあるし、ウツ気味だったせいもあるが、研究はまとまるのかとか、このままでいいのだろうかとか、ネガティブなことで頭が一杯になる。そうしているうちにふともしタナベ実験が正しいのならば、このネガティブな想起をした直後に意図的にポジティブな気分を想起させれば、ネガティブな想起が不安定になってるところに、ポジティブな想起が干渉して入れ替わってくれるのではないか?と思いつき、やってみたらかなり効果があって、そのあとすぐ眠りに落ちた。

木曜日, 2月 10, 2005

英語

Feynman Lecture on PhysicsのCDをボスからゲット。早速iPodに入れて聞いてみる。がわからない・・。
ふと竹内さんの「ファインマン物理学を読む」が本棚にあるのを発見。むかし衝動買いしたことを思い出した。読んでいたら量子力学を勉強したくなった。せっかくなので、Feynman Lecture on Physicsの洋書も買って量子力学を勉強して一石二鳥を目指そうかなと思う。

火曜日, 2月 08, 2005

海見えず

解析にフーリエ変換が必要になって、学部4年のときにかなりやったはずなのだけれどきれいさっぱり忘れていて、3日かかってフーリエ変換を勉強、プログラムを書いて、研究の解析をした。
解析してみた結果、また新たにシミュレーションを走らせなくてはならないパラメータ空間が発覚・・。

あの坂を登れば海が見える・・

そんな気分でフーリエ解析を勉強していたけれど、坂を登ったみたらそこに見えたのはまた新しい坂だった・・。

土曜日, 2月 05, 2005

See you


これで見納め

 アーノと最後のランチ。品川プリンスホテル38Fにある味街道五十三次のお寿司屋さんでボスにお寿司をおごってもらう。東京タワーや品川駅や海が一望できてとてもよかった。お寿司もとても美味だった。

 アーノはマツウラさんの評価がずっと気になっていたようで、ボスになにか言ってなかった?と聞いていた。マツウラさんはそういうことを言う人ではないから・・とボスが濁す。同業者の評価を気にしているアーノを見て、ああ、アーノはゲームクリエイターになったのだなぁと思う。

ウチにきたときにアーノにナガシマ結婚式の衝撃女装写真を見せていて、そうしたらおもしろい会話があった。
ボス:「パリにポスドクで行ったら?」
オレ:「きっとパリ症候群になってしまうよ」
サヅカ:「それって女性がなるんでしょ?」
アーノ:「でもヤナちゃんは女性だし(笑)」
おそるべし・・(笑)。

今度フランスに来るのはいつ?と聞かれてスペインで学会があるから行けるとしたらそのときかな・・と一応いっておいた。夏のパリはバカンスでみんなパリを出ていくので静かで劇場とかも空いていてすばらしいらしい。いいかも。

別れ際、アドリーンと両頬にキスをするフランス式のお別れがあるかもしれないとドキドキしていたらなかった。残念(笑)。

水曜日, 2月 02, 2005

ダウン

 風邪を引いた。
 朝起きたらサヅカさんから電話が来て新宿へ。アーノ一家と会う。「つな八」という天ぷら屋さんでランチを食べた。天ぷらは美味だった。でもこの天ぷらが当たったのかどうかわからないが、このときからお腹の調子がおかしくなる。
 その後、銀座へ。ソニービルの4階にあるQUAL1A東京へいく。アーノはQua1iaブランドを知らなかった。テレビは確かに色が違った!インナーイヤーレシーバーを試したかったのだけれどスタッフがいなくてできなかった。残念。スーパーオーディオCDもきいた。元ちとせをこれで聞いてみたかったけれどなかった。これも残念。QUAL1A東京はとてもおもしろい場所だった。
 その後本格的に体調が悪くなり帰宅。電車の中で吐き気とたたかって脂汗をかいた。疲れがたまっていたところに今日の寒さで風邪を引いてしまったようだ。

英語脳

アーノと3日間いた結果、頭の中で英語が飛び交っている。同じ曲を聴き続けた結果、その曲が頭の中でずっと再生中の状態と似ている気がする。どうも英語しか通じない相手と一日中英語を話しているとこうなるようだ。

2年前ジローと京都にいったときもこうなった。でもそのあとなくなってしまって、3ヶ月後ぐらいにボストンにジローに会いにいったときおまえの英語は京都のときがピークだったな・・と言われた。ボストンでは全然言葉が出てこなかった。頭の中で英語がぐるぐるまわっている状態をつくることが重要なのだなと思う。

英語力をのばすチャンス到来!と思いファインマン物理学のトークCDが聞きたくなってボスに買ってもらう。あとボスのiPod shuffleをみたらほしくなった。買おうかな。

いままでスキャナーで取り込んだPDFファイルをOCRで文字認識して透明のテキストを図の上に貼り付けるソフトをいろいろ試す。「読んde!!ココver10」を使うと、ファイルのサイズさえ気にしなければかなり簡単にできることが判明。

そういえばこんなものがあるらしい。
http://www.airpen.jp/shoukai/index.html
これを使えば、手書きのメモをすべて電子化できてしまう。かなり自分の中ではキター!という感じなのだが買うかどうか迷うところだ・・。


火曜日, 2月 01, 2005

ひきつぎ

アーノ一家、我が家出発の日。
朝調べると新宿の小田急の地下の駐車場に大きな荷物を預けられるコインロッカーがあることが判明。そこに荷物をあずけ、小田急のデパ地下でお弁当を買って代々木公園のベンチでランチを食べた。晴れていて気持ちがよかった。
 そのあと明治神宮に参拝。アドリーンもアーノもなんで都会の真ん中にこんなに広々とした空間があるの?と驚いていた。空間の使い方が全然ちがう。ここが散歩コースだったらさぞかしリフレッシュ効果があるであろう・・と思う。

 そのあとボスと合流してボスの友達でゲームクリエイターのマツウラさんにお会いする。引っ越して初めてのナナオン社にお邪魔した。クリエイター同士の挨拶は作品を見せること・・というわけでアーノが持ってきたデモをマツウラさんにお見せした。聞き逃しただけかもしれないが評価はなにも言わなかった気がする・・。マツウラさんが効果音を作曲した最新版アイボをみせてもらったり、マツウラさんが立ち上げた音楽系のソーシャルコミュニケーションネットワーク(SCN)のrecommuniについていろいろと説明を伺う。いまSCNが熱いらしい。SCNの本質は情報を発信する人のまわりに人が集まる・・ということなのかな。情報とはなにか?それが問題だ。アーノがとても喜んでくれてよかったと思う。

 その後、新宿へ。さまよった末に北の宿へ。カニをたべた。北の宿のカニは結構美味しかった。アドリーンはカニが大好きらしくとても喜んでくれてうれしい。
 その後、サヅカさんと会ってアーノ一家とお別れをした。ホストの役を無事に全うできてよかった・・と思う。

月曜日, 1月 31, 2005

first contact


byebye

アーノ一家を地元の八菅神社と宮ヶ瀬ダムに連れていった。
八菅神社は幼い頃から遊びにきていて今まであまり気にしなかったのだけれども、うっそうとした林の中を長い石段が上まで続いている感じがとてもいい感じだなと思う。宮ヶ瀬ダムも湖が緑っぽい青い色をしていてよかった。

家に帰ってきたら兄夫婦がきていた。姪とルーのファーストコンタクトは不発におわる。ルーはナーサリーに行っていて他の子と遊ぶのに慣れているのだけれど、姪はなれていなくて親から離れようとしなかった。残念。

夜は愛甲石田にある日本料理店「都屋」へ両親と一緒にいく。父親が英語を話している姿はなぜか新鮮であった。都屋の料理は高いけどもとてもおいしい。

土曜日, 1月 29, 2005

鎌倉


瑞泉寺

アーノ一家をつれて鎌倉へ行ってきた。
藤沢から江ノ電にのって海を見ながら鎌倉へ。

鶴岡八幡宮→荏柄天神社→鎌倉宮→瑞泉寺→鎌倉武士というそば屋さん→覚園寺→「こ寿々」というわらび餅屋さん→高徳院の大仏

の順でまわる。総歩行距離は5kmぐらいであろうか。とにかく歩いた。2人は歩くのが好きらしい。そういえばパリにいったときも一日中あるいていた気がする。古い町並みがとても気に入ったらしい。

荏柄天神社や覚園寺もよかったのだけれどとくに瑞泉寺がよかったと思う。なんとも言葉にしがたいのだけれども、よいものに触れたという感覚が残る。アーノもアドリーンもとても喜んでくれたのでよかった。

金曜日, 1月 28, 2005

らくえん


hato

芸大の卒展をみにいった。
汚れた校舎の汚れた部屋部屋の中に大きな絵が何枚も展示されていた。
その雰囲気が高校時代の学園祭を想起させていい感じだなと思った。
ここはアートの「楽園」なのだなと思う。
植田君のラブリーな絵を拝み、蓮沼画伯の鳩の絵をみてほほえむ。
昔、伊藤若沖の鶏の水墨画をみてから線のすごみというものがあるということに気がついた。線の世界で勝負をしている人々。彼らの絵にゆるい線はなかった・・と思う。

シミュレーション。パラメータ空間を完全に掴めた気がする。

火曜日, 1月 25, 2005

感想文

天外さんの「運命の法則」をよんだ。
エンジニアの教育を受けてきたせいかとても共感した。エンジニアの本懐ここにありという感じであった。
新しいことをするということは、いかに波に乗るか?という比喩がよくあうきがする。
そこでは運と実力が複雑にからみあう。新しいパラダイムシフトがおこるとき、それを切り開くだけの専門性がなければ前進はできないだろう。一方、いくら努力しても自分の分野には一生パラダイムシフトは起きない可能性もある。
波に翻弄されながらいかに心を平静にたもてるか?いかにすればそういう波とうまくつきあえるのか?創造法とか発想法の本はたくさんあるけれど、いかにそういう行為を人生と調和させるか?ということが言語化されている本はなかなかなくて、そういうところがこの本にはかかれてあっておもしろいと思った。

土曜日, 1月 22, 2005

脳とデザイン

 アーノは今日から北海道へいっている。来週の金曜日からウチに泊まりに来る。

 ゼミの当番の日。朝研究所にいくとなぜか天外伺朗さんの「運命の法則」が机の上に載っかっていた。それもサイン入り!昨日セキネにこんな本があるようだという話をしたら、ボスの部屋に転がって(?)いるのを見つけて置いておいてくれたらしい。早速読まねば(笑)。

 ゼミの後、朝カルへ。ボスと原研哉さんの対談を聞いた。「脳とデザイン」という題で3700円とられたけど、その価値はあったと思う。原さんが「物の潜在性を意識化する」と言っていて、カントもこんなこといってなかったか?と思う。デザインの最先端で活躍している人はある種の哲学者なのだなと思う。infomationとexformationの話とかも意味論・コミュニケーション論の文脈で出てくる話なのだが、それがデザインの文脈で語られていて新鮮だった。デザインの最先端で活躍している人の物に対する考え方・感じ方はなんておもしろいんだ!と思う。しかも、脳科学の世界の問題がそのままパラレルにデザインの世界に存在している!ということがなんとなくわかってエキサイティングであった。

金曜日, 1月 21, 2005

湯葉湯葉湯葉

 アーノ来日四日目。今日は表参道にある豆腐料理店「梅の花」で夕食を食べた。純和風な高級料理店で個室をサヅカさんが予約してくれていた。梅の花というコースが4500円したのだけど、こんなに美味しい豆腐料理は食べたことがない!というぐらい美味しかった。アーノとアドリーンもとても喜んでいた。なんというかとても喜んでいる2人をみていてら、こんなに素晴らしい料理をつくってくれたご先祖様ありがとうという感謝の気持ちでいっぱいになったのであった。昨日まではウツ気味だったのだけれど美味しいものをたべたら元気がでてきた。

木曜日, 1月 20, 2005

Lou


sekine撮影

毎日アーノと夕食を食べる。今日は表参道のとんかつ屋「まい泉」で夕食を食べた。とんかつはさくさくしていて、それでいてじゅわーと口に広がる食感がとてもよかった。ルーは今日も元気全開でアドリーンとアーノは落ち着いて食べる暇がない。子育ては体力勝負なのだな・・と思う。会話はほとんどサヅカさんにまかせていて、たいして英語を話しているわけではないのに頭がとても疲れて電車の中で寝てしまう。接待も体力勝負である。

火曜日, 1月 18, 2005

アーノ来日



 アーノが日本にやってきた。サヅカさんが忙しいのでかわりにホテルまで案内するために赤坂駅へ迎えにいった。ちかごろめっきり英語を話す機会がなくて、かつ電子辞書も忘れていることに気がついて内心どきどきして待っていたら、待ち合わせの5時を15分すぎても現れない。うろうろしていたらアーノから電話がかかってきていま赤坂見附駅にいるよ!といわれ赤坂見附駅へダッシュする。
 
 3年ぶりにアーノとアドリーンと再会。アドリーンはあいかわらず凛としていた。ルーはベビーカーの中で眠っていた。とったホテルはいま人気のウィークリーマンションで、一泊二人で1万2千円でとてもよい部屋だった。ベビーカーからルーを起こしているのを見ていたらなんとルーが歩き出すではないか!姪と月齢がほとんど同じなのでおどろいた。うちの姪はまだ歩く気がぜんぜんない。ルーはラ!ラ!ラ!とことばをはっしたり歌らしきものを口ずさむ。うちの姪よりもいろんなことができるな・・と思う。
 
 その後、サヅカさんとその彼女と合流して、和風居酒屋、箸丸へ。サヅカ・アーノトークを聞いていた。まだまだあのスピードにはついていけない・・。ルーはご機嫌であった。アーノが日本に滞在している間にすこしでも英語が上達すればいいなぁと思う。

月曜日, 1月 17, 2005

Reality

 正月に放送されていた佐藤雅彦さんの番組をビデオみた。
"animation for concept"というコンセプトで、映像によって「考え方」を理解してもらうことをねらっていて、すばらしいと思った。(以下抜粋)
 
・・entertainmentからinterestへ。これまでのentertainmentの作品では、みる私たちが受動的に娯楽を与えられてました。それとは異なり「考え方」をもとにした作品では、それに接する私たちが主体的に作品に関わるよう導いてくれます。分かる楽しさ、知りたい気持ち、つまり、interestを重視する方向へ。見る人と表現の新しい関係を提案しているのです・・

hotwiredに「ゲームに熱中しすぎて現実との区別が曖昧に」という記事があって
http://hotwired.goo.ne.jp/news/20050113202.html

何にリアリティを与えるのか?という問題があると思った。
脳が感じるリアリティは現実の日常の生活だけではない。脳はなんにでもリアリティを感じることができる能力を持っている。問題は、感覚レベルの脳活動にリアリティを与えるのか?抽象レベルの脳活動にリアリティを与えるのか?ということで、

例えば、ゲームでは、特にカーレースとか、フライト・シミュレーターでは、脳の感覚レベルの脳活動にリアリティを与える。これらのゲームの体験は感覚入力・運動出力・情動の報酬が密接に絡み合っているのだけれども、それを体験することによって、世の中の見方が変化するようなものが得られることは稀なのではなかろうか。その理由はそれらの刺激が主に脳の動物的な部分しか活性化させてないからなのだと思う。
 
 もしも日常の生活に影響を与えるようななにかをつくりたいならば、脳の抽象レベルの脳活動にリアリティが形成されるようデザインする必要があると思う。さまざまな日常で経験する具体的な体験をある共通の「見方」「考え方」でくくれるような、抽象レベルの知識に脳がリアリティをもてたとき、ヒトの創造性は活性化されるのではなかろうか。

そんなことを考えていたら、佐藤さんの方向はすばらしいのではなかろうかと思った。

地震対策

 昨日地震の番組がやっていて、鎌倉の大仏には昔は大仏殿があったことを知る。それが明応四年(1495)の大津波で流されてしまったらしい。海から1キロも離れているのになんと津波は川を逆流して大仏殿を流してしまったらしい!大仏の肩がすこしへっこんでいるのは、そのとき柱が倒れたときについたものだという。
 明日からフランス人の友人アーノが奥さんと子供と一緒に観光で日本にやってくる。うちにも3泊する予定で、もしそのとき鎌倉にいくことになったら教えてあげようと思う。

 東海地震は30年以内に80%の確率で起きると言われていて、関東直下の地震はなんと2005年±5の確率で起きると予測している研究者がいるらしい。これはやばいなぁと思い始めていろいろとシミュレーションを始める。

 とりあえず簡単にできることとしてパソコンのバックアップを毎日取るということを考えて、フラッシュメモリーがほしいと思い、いろいろ調べたら、1GBのコンパクトフラッシュが8000円で買えるらしい。これは安い!と思ったのだけれど、でもどうせならiPod shuffleを買ったほうが得じゃないか?と思いはじめて調べたら1Gタイプが16000円だった。でもiPod shuffleは液晶がないのでパソコン内でiTuneのライブラリーを充実させてないとあまりうれしくなくて、俺のPCのハードディスクの大部分は研究データに占められていてiTuneのライブラリは全然ない。それでiPod shuffleを買ってもうれしくないなーと思い始めて買うのを断念。そんなことを考えていたら半日が過ぎていた・・。

もし電車の中で地震が起きて、バックをなくしてしまったら、PCの中のデータはすべて消える・・。
もし家が地震で火事になったら、家にある本やバックアップのデータがすべて消える・・。

なんでパソコンのデータのことばかりなんだ!と自分につっこみをいれつつ、でも考えておいたほうが良い問題がたくさんある気がした。

金曜日, 1月 14, 2005

blueprint

 地元の図書館で湯川秀樹全集4の「科学文明と創造」を借りた。湯川秀樹はかなり創造性について発言していて「同定の理論」と言っている。要はひらめきは比喩によって支えられているということで、それはいま考えているメタファーネットワークにつながる・・と思う。あと小林秀雄全集から小林秀雄と湯川秀樹の対談をコピーした。

 考えを整理しているうちに、ついにpaperのブループリントが頭の中で完成!!したっぽい。オチがつきそう。「spatialな確率共鳴」でいくしかないかな。

木曜日, 1月 13, 2005

微速前進

 朝起きたら鬱だった。脳内麻薬がきれて禁断症状っぽい。
 余計なことを考えずに無心に本テーマである自発発火の研究をしていたら波に乗り出した。
 タナベがおもしろい結果をだしたっぽい(^0^)/。後輩はみんな優秀ですね。
 最近いろいろ今後の進路のことについて考える。「新しい分野を切り拓く」というイメージをなによりも大事にしたいと思ふ。

水曜日, 1月 12, 2005

high tension

頭が脳内麻薬でラリラリ状態。頭がよく回る。かといって本テーマではなくて副テーマについて考えているときになる。なんというか考えるに値する素晴らしい問題がある!・・ような気がしている。これは躁状態か。現実逃避ともいう。ファインマンのエッセイ、「ご冗談でしょう、ファインマンさん」にあるファインマンが遊びで計算を始めると止まらなくなるというくだりを思い出した。(以下抜粋)

 僕は引き続きぐらぐらする動きの方程式をつくりだしたあげく、相対性理論では電子の軌道がどのようにして動き始めるかを考えた。しかし電気力学にはディラック方程式があり、量子電気力学があるではないか。こうして僕は自分でもきがつかないうちに(あっという間だった)、ロスアラモスに行くために中止した、あの僕のお気に入りの問題を相手に「遊び(遊びというよりほんとうは仕事だったが)」はじめていたのだった。それは僕の卒論に似たタイプの、あの旧式ですばらしい問題ばかりだった。・・・こうなると努力なんぞというものはぜんぜん要らなかった。こういうものを相手に遊ぶのは実に楽なのだ。びんのコルク栓でも抜いたようなもので、すべてがすらすらと流れ出しはじめた。この流れを止められるものなら止めてみようと思ったぐらいだ。そのときは何の重要性もなかったことだが、結果としては非常に大切なことを僕はやっていたのだ。後でノーベル賞をもらうもとになったダイアグラム(ファインマン・ダイアグラム)も何もかも、僕がぐらぐらする皿を見て遊び半分にやりはじめた計算がそのそもの発端だったのである。

 もしも自分の脳が物理の数式にリアリティを感じることができたのならばきっとこれに近い状態になれたのかもしれない。残念ながら、自分の頭は、どちらかというと、統合失調症のヒトが、思い出したくない嫌な記憶を隠すために新しい偽の記憶をどんどん作り出してしまうというスクリーン・メモリーの状態に近い気がする・・。ふぅ。

火曜日, 1月 11, 2005

いろいろ

 自分と同じことをしているかもしれない論文を読むのは苦痛である。とてもストレスがかかる。それでだらだらと読んでいたら連休が終わってしまった。でもまだ読めてない。

 金曜日の夜、計見さんの「統合失調症あるいは精神分裂病」という本をアマゾンでオーダーしたら日曜日に届いた。昨日、新聞で「進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線」という本を天外さんが絶賛していたのでオーダーしたら、翌日の今日届いた。なんて速いんだ!でも読む暇がない。

 日経新聞の「美の美」という欄でセザンヌが紹介されていてとてもよかった。(以下抜粋)

・・・セザンヌは3次元の現実世界を、いかに2次元の平面空間に収めるかと言うことをとことん追求した人である。・・・セザンヌは、こうした表現物の巧みなデフォルメを駆使する2次元空間の革命的表現者であり、創始者であった。ピカソはもちろん、ブラックもマチスもその追随者となった。・・・

 セザンヌは表象の革命者だったことがとても新鮮だった。紹介されていた「マンシーの橋」はオルセー美術館にあるらしい。2年前に行ったけれどまったく覚えてない・・。もったいないことをした。
 セザンヌが3次元の現実世界を、いかに2次元の平面空間に収めるかということをとことん追求したように、脳科学者は、現実の世界をいかに「イデアの世界」に収めるかということをとことん考えなくてはならないのではなかろうかとふと思う。

金曜日, 1月 07, 2005

停滞

 「情報は物理である」という言葉にひかれてLandauとBennetの日本語の資料を集めにスズカケとオオオカヤマの図書館をまわった。シセンでねぎ胆湯麺を食べた。

 白髪の抜け毛を生まれて初めてみた。まじまじとみた。とっておくべきかすててしまうべきかとても迷ったけれど捨ててしまった。

 明日のゼミの準備をした。論文を読んでいると「A」というデータと「Not A」というデータがある。悩ましい。

木曜日, 1月 06, 2005

微妙に前進

電車の中で脳の創造性における意識・理性・情動の関係を表すおもしろい図式を思いついた。
これをゼミで発表すればpaperのためのfigureの遅れを許してもらえるであろうか・・。

やっと、自発発火に頭がカムバック。生理学の論文のデータを眺めていたら、考えるとっかかりを得る。

水曜日, 1月 05, 2005

氷が融けたら温暖化

 東工大名誉教授の森政弘さんの本:「機械部品の幕の内弁当 ロボット博士の創造への扉」がアマゾンから届いた。
 おもしろい話がかいてあって、昔、森さんが東工大で授業をしていたときしばしば学生に「氷が融けたらなんになる?」と質問していたらしい。そうすると誰にきいても東工大生は「水です!」と答えたという。森さんは「氷が融けたら春になる」ぐらいなぜ言えない?と思ったらしい。

 養老さんの「考えるヒト」に、科学の実証とは脳の中の規則と、外の世界の規則を対応させる行為である、とかいてあって、この言葉にいたく感動してそれからずっと脳の中の規則について考えていた。脳の中の規則では、氷が融けたら春になってかまわない!それを水にしてしまうのは外の世界の規則にばかり注意が向いているからだろう。もしも、笑いの法則というものがあるのなら、それは脳の中の規則がそのような性質をもつ、ということができるだろう。それは外の世界の規則とはまったく対応してないのだけれど、脳の中の規則のなかには確かに実在するなにかなのだ・・と思った。

火曜日, 1月 04, 2005

小さなウェブ

google desktop searchにうつつをぬかしているうちに一日がおわる。
どうも*.txtにかかれている日本語はindex化してくれないらしく、検索してもひっかからない。つかう意味がない!と思いながらもいじっていると、どうも*.txtの中の英語の単語を検索で引っかけて、IEで*.txtを開くと、google desktop searchはそれをhtmlと認識してくれて中の日本語もindex化してくれることが判明。でも数千あるtxtファイルをすべてその方法で開くのは不可能なので、次のversionに期待するしかないという感じである。

パソコンの中に情報をためていくと、パソコンのなかに小さなウェブができあがってくる。問題なのは検索して表示するときの優先順位をどうやって計算するかで、googleはページの被リンク数をつかって優先順位を計算しているのだけれど、それはウェブがリンク構造でできているから可能なのであって、PC内のデータ間にはそのような明確なリンク構造はない。頭の中の記憶&概念のネットワークだけが、PC内のデータ群にウェブ構造があることを保証する。なので、どんどんパソコンの中にデータを蓄えていって、PCの中の小さなウェブがどんどん拡大しつづけたとき、PC内を検索したときにどうやって優先順位を計算するか?は重要な問題になるのではなかろうか。




月曜日, 1月 03, 2005

いろいろ

 朝日新聞の正月版の「ひらめきの一瞬」という特集で川上弘美さんの文章がよかった。以下抜粋。

 小説は架空の物語。考えるときは自分のまわりを空白にする。テレビや電話など普通の生活から離れ、家で寝そべって何もせず、じっとしています。
 書き出しが浮かぶと内容が追いかけ、それを文章が追いかけてくる。でも、感じたことを言葉に定着させるのはけっこう論理的な作業だし、書き上げるには構築も必要。その意味で小説を書くには理屈っぽい面があった方がいいかもしれない。
 ただ、科学でもノーベル賞のような大発見は偶然や直感によるものが多いという。小説でも役に立たないことや好奇心の積み重ねから、たまたまうまく書けることもある。通じるところがあるのではないでしょうか。

 小説が書きたくていいと思ったのではなくて(笑)、言語化するときの内観がリアルに描写されていて、創作というのは無意識と意識の共同作業なのだということが感じられて面白いと思う。

 電子メモ考察。1つのアイディアは同時に2つ以上のカテゴリーに属する場合があって、それは今つかっている「紙 copi」というソフトでは、1つのアイディアが1つのカテゴリーにしか属せないから、うまく整理できなくなっている。ジャングル化している。1つのアイディアをもってきたときに、それがもつ多義的なつながりを動的に整理して視覚化することはできないのだろうか?
 そんなことを考えながらネットを調べていたら、googleの「DeskTop Search」が日本語対応であることを知る!これはすばらしいかも。

日曜日, 1月 02, 2005

元旦

 新年あけました。今年は博士3年目。勝負の年。あと人生の分岐点の年。研究者として食べていける道が見つかればいいのだが。

はやく論文、まとめないと。年が明けて焦り始めた。

畑村さんの創造学によると、創造には抽象化のレベルと具象化のレベルがあって、双方を行ったり来たりしないといけないんだけれども、「アイディアのぷよぷよ連鎖」はきっと抽象化のレベルの話だったのだと思う。今年はいかに具象化・具体化するか?の問題について考えようと思ふ。

とりあえず英語で論文をかくスキルを身につけないと。