月曜日, 4月 30, 2007

英語耳


TOEICの得点が限りなく満点に近くて、10コ以上の外国語を操り、


英語の講師もしていて


今年から社会人から研究室の学生になったトシマさんが


研究室の学生の英語力パワーアップのために無料の英語レクチャーを


開いてくれていて、それを聴きに御茶の水の明大のリバティービルへ行った。





外人と対面したとき、軽い会話(small talk)をするための


いくつかのパターンを教わる。





徹底的に、単語の発音の仕方を修正される。





たとえば、


youの前には「い」入れて発音する気持ち ex: you いーユー


nの単語の前には「ん」を入れる気持ち  ex: notは、んーノット


sの単語の前には「す」を入れる気持ち  ex: sendは、すーセンド


beenは、ビーンではなくベン


behindは、米国ではビィ・ハインドではなくて、バ・ハインド





などなど、1単語1単語についてネイティブの発音方法を丁寧に教えてもらう。


そして、それを何度も何度も発音してみるという練習を繰り返した。





そうしたら、行きの車のなかで神経科学者のラマチャンドランの


BBCの英語の講演トークをiPodに入れて聴いていたのだけれど





Lecture 5: Neuroscience - the New Philosophy


http://www.bbc.co.uk/radio4/reith2003/lecture5.shtml





帰りも同じトークを聴いたら、聞こえかたが全然違っていることに気がついた。


行きの車のなかでは、連続する英語の音に対して、


そこから一生懸命、単語を切り出しているイメージだったんだけど


帰りの車のなかでは、連続する英語の音に対して、


それを自分で発音するためにとるであろう口の動きを無意識にイメージしていた!!


つまり、聞き取れる音が増えていた!!





こっこれは!!と思って家に帰ってから


昔、話題になっていたので買ったけれど一度も読まなかった


英語耳」という本を手に取る。


ずっと忘れていたんだけれど、


表紙に「発音できない音は聞き取れない。」と書いてあって


そうか、このことだったのか!と思った。


これから毎日付属のCDを聴きながら母音と子音の発音練習をしようと決心。





どうでもいいけれど、なにかを掴んだときに、開眼するっていうけれど


なんで、開耳ってないんだろうとかと思ってググってみたら9670件のヒットがあった。


すでに造語として流通しているらしい。。みんな考えることは同じか・・。



土曜日, 4月 28, 2007

コンサート


ハープ奏者の友人のコンサートをききに、めぐろパーシモンホールへ。


ハープとヴァイオリンとピアノが協奏するコンサートで


初物づくしでとても面白った。





席の場所からピアノの鍵盤がよく見えて、


ピアノ奏者の指の動きってこんなに超絶技巧なんだーと思ったり


ヴァイオリンってこんなに感情の機微を表現できる楽器だったんだーと思ったり


ハープとヴァイオリンの協奏曲をきいていたら


その絶妙なハーモニーにとても感動したんだけれど


ハープの音色がとても不思議な感じがすることに気がついて、


ヴァイオリンが「剛」でぐいぐいおしていくイメージだとすると


ハープは「柔」で全体を包み込みこんでいるようなイメージが湧いた!





ハープの音色というと経験的に連想してしまうのが、


任天堂の「ゼルダの伝説」というゲームの「妖精の泉」という


体力を回復してくれる場所で流れるこの曲で


http://home9.highway.ne.jp/atelier/izumi..mid


俺の頭の中では、ハープの音色と妖精のような癒しのようなイメージが


結びついてしまっていたのだけれど





ハープとピアノによる「ヒナステラ」の「ハープ協奏曲」の第3楽章を聴いたら


現代音楽風でとても不思議な曲なんだけど、


とてもパッションあふれていて、こんな表現もできるんだーという感覚が新鮮だった!





感情を音に変換できる能力ってすごいことだなーと思う。


いつも思うことなんだけれど、楽器の演奏者ってカッコいい!と思った。


月曜日, 4月 23, 2007

ポーカー犬とジョークを思いつく思考のプロセス


某大先生と松本人志さんの対談のmp3を某ルートからゲットして


聞いたら、超おもしろくて、脳科学的に特に面白かったのが、


コントのとき、松本さんは台本をかいたことはなくて


すべて即興で、しかも、しゃべるまえに頭のなかに


おちのイメージがはっきり浮かんでいるらしい。





昔、松本さんの「哲学」という本に以下のような


驚くべき記述があったことを思い出した。






松本人志 「哲学」より抜粋


 僕は、「いつも何かを考えながら喋っているように見える」と人からいわれることがある。


 たしかに、そうかもしれない。


 自分の感覚でいうと、頭の中に何個か考えがあって、そして、その場でそのうちのどれを喋ろうかと選んでいる感じなのだ。






これはどういうことなんだ!?と思う。





最近、山田一成さんと佐藤雅彦さんの共著「やまだ眼(がん)」という本を


思わず買ってしまったら、佐藤さんがボケを以下のように分析していて


鋭い!と思った。






山田一成 佐藤雅彦 「やまだ眼」より抜粋


漫才で、つっこみに対してぼけた話をして客を笑わせる役がぼけである。とても意図的で頭脳的な所為である。ダウンタウンの松本や爆笑問題の太田光が典型である。彼らは一見とぼけているが、今その場でみんなが何を思っているか誰よりも知っている。だから確信的に、場違いな言動ができる。






ロジカルに考えるならば、


意外性があるとか予測を裏切るというのは


まず予測の存在を前提としていて


脳はそこからちょっと外れているときに


意外性があると認識するようにできている





だから、狙って、ぼける=相手の予測を裏切るためには


「A」というはなしのとき、相手はつぎに「B」が来ると予想している


ということに気がついている必要があって


その上で、「B」のかわりに「C」「D」「E」・・のどれを言おう?


という候補を思いつかなければならない。





でも、この「AのつぎはBが来る」という規則は、普通、


常識とか固定観念と呼ばれていて、無意識下に沈んでいて、


思考とはふつう、そのような無意識下の規則の上を自動的に流れていくものなので


狙ってぼけるためには、まずそのような無意識になってしまっている


「A→B」という規則に意識的に気がつかなければならなくて


その状態が、佐藤さんの


「今その場でみんなが何を思っているか誰よりも知っている」


ということなのだと思う。





それで、話はやや飛ぶんだけれど


どうすればこれに気がつけるようになるか?ということを考えてみた!





それで思い出したのが、昔読んでいた


「頭が良くなるジョーク」というメルマガで


http://www.melma.com/backnumber_94862_629357/


これはジョークのオチの部分が空白に何が入るかを考える


ことで頭を良くしようという趣旨のメルマガで


これを「まとも」にやると、


まず常識的な答えはどうなるかを片っ端から考えた上で、


そこからはずれるとはどういうことか?ということを


自然に考えるようになる気がしてやってみた。





たとえばこの問題。






<問題>


 ある酒場でポーカーをやっている犬がいた。それを見た客が驚いてこう言った。


「こいつはすごい! ポーカーができるなんて何て賢い犬なんだ」


 すると、一緒にポーカーをしていた男が答えた。


「いや、そんなにすごくもないよ。だって……」


 さて、男はこのあと何と続けたでしょう?






むむむ。思いついたことを片っ端から書いてみると・・





1「あたりまえだろ?」


2「犬なんだから」


3「本当は見ているだけなんだから」


4「こいつはポーカー犬なのさ」


5「トランプをながめているだけなんだから」


6「こいつはトランプが好きなんだから」


7「犬でも模様はわかるのさ」


8「こいつは俺の犬なんだから」





・・・なんのひねりもなーい!!


なんてつまらないことしか思いつかないんだ!


と嘆きつつ、ふと操作されてるのかも・・と思って





9 「こいつは、おれの命令通りに動いているのさ」


10「なかに人間がはいっているのさ」


11「こいつは犬に似た人間なのだ」


12「こいつのなかみはアイボなのさ」





これまた全然おもしろくなーい!!と思ふ。





しょうがないので、もっと飛んでみようと思って





13「こいつは宇宙からやってきた宇宙犬なのだ!」


14「こいつは脳をいじられてIQが100もあるのさ」


15「こいつはいつもポーカーフェイスなんだから」





・・・同じところをグルグル回っている。。





わからない!!





こういうときは、問題を整理するために


可能性を列挙してみようと思い立つ。





1「犬」という言葉を疑って


・犬がスーパー犬であるという可能性


・犬に擬人化の設定がされている可能性


2「ポーカー」という言葉を疑って


・ 犬は普通で、かつ擬人化とかはなく現実的な設定で、ポーカーをするという行為を別の意味で解釈できる可能性


・ ポーカーをやっているようでいて、見せかけとか、実はやってない可能性


・ 犬は実はポーカーをしてなくて、誤解している可能性。


3 ダジャレでオチる可能性





うーん・・とまたしばらく考えてみたけれど


オチらしいオチを思いつかなかったので


答えを見ることに。。





答えは、





「いいカードが来ると、うれしくて尻尾を振ってしまうんだ」





がーーーん!!


そんなオチなんかい!!犬がポーカーをふつうにやってんじゃん!!


ムキーッ!!と思う。





冷静になって分析してみると


「犬」「ポーカー」には注意が向いていたけれど


「賢い」には向いてなかったことに気がつく。





「ポーカー」ができる「犬」というのは前提にしてよくて


その上で、「賢い」という意味をどうとるか?と考えなくてはいけなくて





「ポーカー」における「賢い」とはなにか?→ポーカーフェイスができること


犬はヒトと違ってウソがつけない→ポーカーフェイスができない→感情を隠せない


→嬉しいと感情が出てしまう→いいカードが来ると嬉しくて尻尾を振ってしまう!!


という連鎖が頭の中で起こると、このオチにたどりつけることがわかった。





うーむ。。難しいなり。。





でも、こうして、あーでもない、こーでもないと徹底的に考えてみると


オチを掘り当てるプロセスそれ自体になんだかリアリティを感じるようになってきて


頭が良くなった気がした!(当社比だけども。。)


おすすめ!











最後に、保坂さんが「言葉の外へ」という本のなかで



 疑問を出すことは答えることよりも難しい。たとえば、リンゴが落ちるのを見てニュートンは万有引力を発見したとされているけれど、発見つまり答えより先に、「何故落ちるのか?」という疑問があった。ニュートンは、「何故落ちるのか?」という疑問を出すことのできた人だったのだ。


 小説は万有引力のようなたった一つの答えを出すものではない。小説の中でリンゴが落ちたら、「リンゴにも意志はあるのだろうか?」でも「リンゴもまた宿命から逃れられない」でも「落ちるタイミングが絶妙だった」でも「どうしてそういうことが気になるのだろう」と考えるのでも何でもいい。できる限り多くの疑問や仮説を出して、作者と読者がこの世界を限定して見ないようにする場所に連れていくもの、それが小説だ。それは幼年期から持ちつづけた疑間にとても近い。そしていまの日本では、想像力が磨耗した大人からは、やけに遠くなってしまった……。






と書いていて、この


「世界を限定して見ないような場所」を目指して「できる限り多くの疑問や仮説を出す」


という思考のプロセスって、ジョークのオチをみつけるために


ひたすら考えることに似てないか!?と思った。


火曜日, 4月 10, 2007

ポンテギ記念日


研究室の帰り、久しぶりにセキネ、ヘライ、オンゾウとチェゴる。


チェゴヤは五反田で一番人気の韓国料理屋で(たぶん)、


おれはいつも石焼きカルビ丼ばかりを頼んでしまうのだけれど、


研究室一のゲテモノーズ(ゲテモノを好んで食す人種)のセキネが


ポンテギをオーダーして、生まれて初めてポンテギなるものを食べる。











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蚕のさなぎを油で炒めるとこうなるらしい。


腹部のシマシマ模様をみた瞬間にこれはだめだ・・と思ったけれど


となりのヘライが美味しそうに食べはじめたのを見て、


モノは見ないようにして、勇気を出して食べる。





こっ、これは!





表面はカリカリしていて、しかし中身は柔らかで複雑な味がした。


例えるならば、表面はココナッツで、その中にココナッツ・ミルクが


入っているような。。





これにふさわしい説明はなんなんだろうと考えているうちに


だんだん、豊潤(ほうじゅん)な味、という表現ってこのためにあるんじゃないか!


と思われてきて、


最後には、これこそ、大地の恵みだ!と思った(笑)。


某大先生ならば「ポンテギは大地の宝石ですね」、、と言うかもしれないと


勝手に想像をめぐらしつつ、3つほど食す。











帰り、別々に精算をして、セキネがレジの人に


「ポンテギと生ビール」と言ったら


レジの人がセキネの顔をはっと見て、


生まれて初めてみるような笑顔でほほえんだらしい。





ひょっとしたら、ポンテギと生ビールという組み合わせは、店員さんに


チェゴヤ・マスターであることを示す秘密の暗号だったのかもしれなくて、


もしかしたら、セキネはその組み合わせを幸運にも探し当ててしまったのかもしれない


とかと勝手に想像をめぐらす。











最後に、セキネのココロのうたを一首。





この味がいいねとあなたが言ったから


4月10日はポンテギ記念日


木曜日, 4月 05, 2007

目黒川の桜


五反田駅から中目黒駅まで、目黒川沿いを歩いた。


目黒川の桜並木たち。





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桜を見ながら、川沿いの歩道を歩きながら、物思いにふける。


頭は絶えずフロー状態っぽいけども、かなり煮詰まり気味。


どうにかして、道をつくらねば・・と思う。











そういえばこんなホームページをみつけた。


ポール・グレアム 知っておきたかったこと


http://www.practical-scheme.net/trans/hs-j.html



ぼくの友達の一人は、学校で提出するレポートに苦しんでいると母親が「それを楽しむ方法を見付ければいいのよ」っていうんだとぼやいていた。でもそれが、やるべきことなんだ。世界を面白くする問いを見つけ出すんだ。素晴らしい仕事をした人は、ぼくらと違った世界を見ていたわけじゃない。ただこの世界の中の、ほんのちょっとした、でも不思議なことがらに気づいただけなんだ。












世界を面白くする「問い」を見つけたひ。