火曜日, 11月 30, 2004

L&R

 中部大のミウラさんという方が研究所にいらしてミウラさんが考案した英語の革新的な勉強法についてトークをしてくれた。体操を通して英語の発音をマスターできてしまう。生まれて初めて正しいLとRの発音がわかった。すでに無意識になってしまったプロセスを運動や視覚のフィードバックによって意識の上にあげ、さらに矯正してくれる効果にかなり驚かされた。個人的にはピタゴラスイッチの体操のレパートリーに新しく加わることを期待(笑)。

 意識は表象で満たされている。ちょっとまえまで「表象」という言葉にいまいち実感がわかなかったのだが、山鳥さんの「わかるとはどういうことか」を読んで、いろいろな表象の「わかる」があることを知って、表象というのは外の世界に物として存在しているものだけではなく、印象とかそれに伴う情動の変化とかちょっとした違和感とかそういった”あいまい”な内なる感覚も空間に存在しているわけではないけれども確かな実体として意識の中に存在するもの、と考えるようになった。
 認知実験でもゲームでもアートでも求められているのは「新しい表象」を見つけることであると思う。まあ認知科学は表象の原理を研究する学問だがそれを考えるために必要な思考回路はかなり重なっていると思う。ゲームクリエータが快楽曲線をデザインしているという話
http://www.axisinc.co.jp/forum/mizuguchi-src.html
もあるし、実験心理学的な作品をつくるアーティストもいる。

 ミウラさんの体操は、確かな表象の変革があった。そしてそれは英語をマスターしたい人にとっては切実な問題である。だれもが当たり前すぎて意識していないこと、またはあきらめて忘れてしまっていることにも新しい表象の種はあるのだなーと知ったことがとても新鮮だった。

日曜日, 11月 28, 2004

仏像

 中国の仏教美術は鎌倉仏教美術よりも宗教性があるとフセさんが話していたとオンゾーから聞いていて、中国国宝展もあと残り2日だったので中国国宝展を見に上野へ行った。

 正直にいうと興福寺の仏像からうけた衝撃に比べるとなにかもの足りない感じがした。それはクラシックよりもテクノのほうがいいという次元の話なのか、ファミコンよりもPS2のほうがいいという次元の話なのかはよくわからない。なので、こういうときはふつう何も書けないのが常なのだが、文章修行のために今回はもう少し「言葉」を探してみよう。

 創造にはつねに拘束条件がついてくる。そして創造の価値とは、拘束条件という枠組みからどれくらいジャンプしたのか?というところにあると思う。仏教美術の場合、仏像をつくるというのがメインの拘束条件であろう。仏像が仏像であるためには多くの様式・型・約束事がある。興福寺の仏像がすばらしいと思ったのは、写実性の追求によって、そういった型を超えた生命力や精神性が仏像から感じられたからだと思う。そういう視点からみると中国国宝展はなにか物足りない感じがした。年代的に後からいいものが出てくるのは当たり前ではないかといわれればそうなのだが・・。

 しかし個人の主観的な宗教的体験という視点からみると違った考え方ができるとも思った。
 世の中には仏像を趣味で作っている人がたくさんいる。その人たちはどうして仏像をつくるのか?

「心に刻む」という本の中に仏像彫刻の真髄がかかれているらしい。http://www5c.biglobe.ne.jp/~tom-hal/newpage1.htm

”迷妄を忘れ ただ 芸術と宗教の統一であり ほとけとの対話あるのみ 心頭滅却 幽玄の境地 あるときは不均衡に悩み あるときは抽象化して ほとけの象徴を具現せん 魂の世は永遠なりと  わが魂もほとけの心に合して 刻み込む無限の歓喜 仏像とともに 久遠に 生き続ける命の喜び 実在感を持ちて迫り来る 思索と創造は人ののみに 与えられた 仏の恩恵ならん”

 どうも仏像をつくるという行為はそれ自体が宗教的な体験を生むらしい。そうすると中国国宝展に展示されていた仏像にはすべてその時代その時代の仏師という製作者がいるわけで、その仏師たちがそれぞれ独自の主観的な宗教的体験の結晶として彫りだしたのがこの仏像たちなのか・・と思いを馳せると、仏像をみる目がまた全然変わるなぁと思った。

土曜日, 11月 27, 2004

talby

携帯をついに変えた。
ソニーの携帯は30ヶ月つかっていたことを知った。

auは格好いいデザインの携帯はすべてWinにいってしまってCDMA 1.x.のデザインはいまいちだな・・と思いずっと買うのをためらっていた(Winは学割がない)。

それでニュースでtalbyを見てこれだ!と思い衝動買いをした。
とても格好いい。シンプルなつくりがいい。薄いのもいい。機能選択画面の動物君たちがする変なアクションもいい。
でも空間が歪んだように見える壁紙や、色鮮やかに回転する縞模様のスクリーンセイバーをみるとこれをデザインした人はドラッグがはいってるな・・と思ふ。

新天地

気分を変えるためにブログに移転することを決意。
最近めっきり日本語力が落ちている気がする。なにか書こう。

googleでいまの日記の名前を調べると、
モノクロ日記 811件
だった。なのでブログのための新しい名前をいろいろ考えた。

Yanagaweb
YanaBlog

うーん、微妙・・。やっぱり脳科学系でしょっと思い列挙

Network mind
brain web
mind's trajectory
mind's history
visual thinking

うーん、どれもぱっとしない。
Attractor mindは?と思いググると日本語圏どころか英語圏も一件もひっかからない。きっと自分が期待している力学系のアトラクターが無数に集まってココロを形成する・・といったような語感はないのであろうと思い却下。
そうだ、twisted mindってペンローズのtwisterチックでなんか格好良くない?と思い辞書でしらべたらひねくれ者という意味だった・・。

そんなこんなで英語は語感に対する直感が働かないからダメだ、さとーさんを見習って日本語でいこうと思いピタゴラスイッチにならって思いついた名前は・・

デカルトール

・・・・。自分にはネーミングの才能がないということがはっきりわかった瞬間であった。

とにかくmindを使いたいと思ふ。アラン・シュナイダーのホームページの

Center for the mind

のようにシンプルだけどもかっこいいのがいいなーと思って考えついたのが

i-mind

うーん・・。もういいや、これにしよう。