水曜日, 5月 30, 2007

夜行バス


ただいまpm23:00。


京都行きの夜行バスの中。


なんだかとても楽しくなってきて日記を記す。





最近見た映画で、タイムスリップが確立した未来から、


歴史的に「いま」しか見ることができないことがわかっている


(それより過去ではどこにあるかわからなくて、それより未来では消失してしまっている)


一枚の絵をどうしても見たくて未来人が現在にやってくる、


という設定があって、格好いいと思う。





人生を変える一枚の絵は存在するのか?





そんな一枚の絵に憧れて、


いま京都で100年ぶりに公開されいて今後いつ公開されるか分からない


若沖の動植さい絵を見に行こうと思い立つ。


ついでに竜安寺と京都に住んでいる姪にあってくる予定。


土曜日, 5月 05, 2007

姪の写真


子供の日。兄上が姪の写真を送ってきた。


どちらかというと姪姉はウチの家系似、姪妹はオクさん似。





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日々の実感だけど、脳ってどんどん変化している、と思う。


養老さんが「人間科学」のなかで、どんどん脳が変化してしまうヒトは


その不安とか、よるべなさをやわらげるために、


外に固定点をつくるのではないか?と書いてあって、なるほど!と思う。


建物も聖書も、脳の外に存在する安定したなにかであって、


それが、どんどん変化するヒトの脳にとって、自分とか、民族が


何者であるのかを確認するための固定点の役割を果たしてきたのではないか


と書いてあった。





身近に引き寄せて考えてみると、


研究で成果をだすとか、作品が賞をとるとか、


社会において一定の評価を得る、何ものかになる、


はたまた、組織に属するとか、きっと家庭をもつことも、


それらはすべて固定点の役割を果たすのだと思う。


外に存在していて、自分が何者であるかを保証してくれるもの、


自分が何者であるかを固定してくれるもの。





また、きっと固定点は外に直接存在していなくてもよくて


これはいける!と感じるアイデアとかコンセプトとか問いだって、


固定点になるのだと思う。





変化するとか、成長するという言葉は、


脳が固定点に向かって積極的に適応した状態を指すのかもしれないし、


脳が自ら積極的に新しい固定点を生成した状態を指すのかもしれない。





固定点があるから、脳は安心してどんどん変化できる。


固定点がないと、脳は不安で不安でたまらないけれど、やっぱりどんどん変化していく。





自分が変わらないと思っている人は、実は自分が変わらないように、


変わり続けているだけで、そして


自分が変わるということを肯定している人も、どの方向に変わっていくのかを


自分でコントロールすることはとても難しい。。





思考というのは、モグラのようにトンネルを掘っていくイメージに似ていて


それと、養老さんが、どん底のときは「底を掘れ!」と言っていたのを思い出して


それで最近、徹底的に掘ってみようと思いたつ。


固定点を見つけるために、すべてを動員して徹底的に掘ってみよう。