日曜日, 5月 22, 2005

たからくじ

NIPSにだすことを決意。
ここ2週間のうちに
学振と理研ポスドクとNIPSの締め切りがある。
どれかひとつでも通れば就職問題が大きく前進する。
しかしどれも通らない可能性がいちばん高い。
宝くじは買わないと当たらない。
だから出すしかないだろう。

木曜日, 5月 19, 2005

ニッチ

理研へ研究室の見学にいく。
フカイさんにはじめてお会いした。
同じ業界だからか、とても話が合った。はじめてなのに居心地がいい。
もしいまの研究をポスドクでもつづけるならばこの研究室がいいなと思う。

一方で、なんというか、いまの研究をポスドクでもやりたいの?という問題がある。
この方向でほんとうに脳は理解できるのだろうか?よくわからない。

パソコンの父、アラン・ケイは「未来を予測する最良の方法は、未来を発明することである」といった。すでにあるニッチで競争するよりも、新しいニッチをつくりだすことのほうが重要な気がする。どんなニッチを心に描くのか?それが問題だ。

火曜日, 5月 17, 2005

つづき

久しぶりに小林秀雄の「信じることと知ること」と「信ずることと考えること」を聞いた。きくたびに新しい発見があるのはすごいことだなと思う。

信じるということ。
サイエンスでいえば、自分の直感を信じないとなにもはじまらない。
そして信じるということは責任をとること。
そして迷う。でも迷うからこそ人生に意味が生まれる。

きっとそうやって崖を登って行くしかないのだろう。

月曜日, 5月 16, 2005

ワタシ

 6月にあたまに就職関係の締め切りがいろいろあるのだれど論文はそれまでにはもう間に合わないだろう。なので開き直ってポスドクの研究計画を練るための知識を仕入れはじめる。ここ二日間は、論文を中断して、河本英夫さんの「オートポイエーシス」という本を読んでいた。
 プリゴジンのゆらぎ、ハーケンのシナジェティックス、自己組織化、創発システムなどたくさんの頭の中で関係が整理できないキーワードがあったのだけれども、この本はそれをシステム論の歴史として解説していて、ここまで体系立ててすごいな・・と思いながら読んだ。


数日前、新聞に短歌の歌集をだした斉藤斎藤さんの紹介があって

「たとえば斎藤茂吉みたいにコッテリした『われ』でいける時代ではない。みんなむき出しで放り出されて、『私って何?』を構築しなきゃならない」

という文に妙に惹かれた。

最近、人生についてよく考えるようになって、養老さんの「考えるヒト」の

人生は崖の途中に貼りついているようなものである。手を離せば、落っこちてしまう。そうかといって、上に登るのは疲れる。もう登る余力もない。それでも登るしかない。それが人生だ。そう思っておけば間違いない。

というくだりを読んで妙に安心する。

崖に貼りついていて、ふと気がつくと鼻の先のくぼみに一輪の花が咲いていて、思わずそれに見とれる。そういうことが大切なのかもしれないとふと思う。

日曜日, 5月 08, 2005

omelet2




ふたたびランチをたべに「ラピュタ」へ。
今日はシーフード・オムレツをたべた。

ネットでしらべると美味しいオムレツをつくるHow toサイトがたくさんあった。便利な世の中だな・・。
http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/2003q3/20030903.html
http://www.delicious.ne.jp/html/toku01/kiji01/kiji01_0203_01.htm

土曜日, 5月 07, 2005

darts

ひさしぶりにオクサワのカラキ亭へ飲みにゆく。
雨のなか6時頃いくとお客さんはひとりもいなかった。飲む約束をしていた友人たちに連絡してみると仕事で8時ごろになりそうと言われる。なにもすることがないので論文を読んでいると、マスターが「ダーツする?」と聞いてきて、戸棚を開くとダーツの的が出てくる。

生まれて初めてダーツをしたのだけれども、なんておもしろいんだ!
最初は全然、ダーツが的に刺さらなかった。毎回、精神状態が変わるし、ダーツの持ち方もフォームもかわってしまって、むずかしいのだけれど、だんだんコツがわかってきて、狙いたい数字を狙えるようになってくると、はまりだす。ヒトと競争をしているとさらに白熱してくる。的に当たるか当たらないかに一喜一憂する感じがとても新鮮だった。

「New darts life」というdartsの専門雑誌があることを知る。ここにまたひとつ、奥の深い世界があった・・と思う。

金曜日, 5月 06, 2005

焼け石に水

ゴールデンウィークはずっと家に籠もって論文をかいていた。ようやく骨組みができた気がする。
膨大な時間をかけて、数行の文章をひねりだす。意識的になにか考えているというよりは、こんな感じかな・・と必要そうなことをリストアップして、無意識のうちにまとまってくるのをずっと待っている。ちょっと考えては休み、ちょっと考えては休んでいて、頭をつかっているきが全然しない。意識的にグイグイとまとめるにはどうしたらよいのだろうか?それが問題だ。

火曜日, 5月 03, 2005

omelet




 最近、母親のオムレツの腕が上がっていて、近所の美味しいオムライスのお店で食べたオムレツに感動して研究をはじめたらしい。それで、そのお店にブランチをたべにいってきた。
 名前はラピュタという名のお店で、どこかで聞いたことがある名前だなと思って入ったら、店内にアニメのラビュタの絵が飾ってあった。このことか・・。
 ほーれんそうのオムライスをオーダー。かなり待ったのだけれど、わくわく感があって、こーいうささやかなわくわく感って重要だなと思う。
 オムライスはとても美味しかった!肉厚のオムレツの中は黄身がとろとろしていて、すごい!と思う。どうやったらこんな風につくれるのだろう?オムレツといえども奥が深い・・と思う。

月曜日, 5月 02, 2005

はるうらら

近所の中華料理屋でブランチをたべようと車を走らせていて、春の柔らかい差日差しをぼーっと見ていたら、とつぜん、

ひさかたの 光のどけき 春の日に
静心(しづごころ)なく 花の散るらむ

という歌が頭に浮かんできた。

小学生のとき塾で百人一首の暗記をさせられた。歌の内容など理解せずにただひたすら語感をたよりに暗記していた。

意味もわからず暗記していた歌がとつぜん十数年ぶりに頭のなかに浮かんできて、
くちずさみながらきっとこの歌はこんな春の日に詠まれたに違いないと思う。
それで家に帰って意味をしらべてみたら紀友則の歌で前半の句はやはりそういう意味だった!
こういう経験はなんだかとてもうれしい。

日曜日, 5月 01, 2005

hop step slip

4/28(木)
武者利光さんの話を聞きにすずかけキャンパスへ。
とてもおもしろい講演だった。

EEGで10コの電極からデータをとる。2個の電極間の相関を計算すると45個の組み合わせがあり、さらに3つの周波数帯でわけると135個の相関係数がでてくる。その135個のデータに135×4のマトリックスをかけてストレス・喜び・リラックス・落ち込みを表す4つの指標に線形変換できることを発見したらしい。

普通の人に好きな音楽を聴かすと、ストレスはほぼ一定の値をとって遷移し、喜びと落ち込みはお互いにシーソーのようにゼロサムの関係を保って時間遷移する。音楽を聴いているとき感情は喜びと悲しみの間を揺らいでいる・・ようだ。

おもしろいと思ったのは、自閉症の子供がなにかにはまっているときの感情を測定すると、ストレスと喜びが一定の値をフラットに保ったまま時間遷移するらしい。自閉症の子供がなにかに集中しているとき、脳の中は喜びに満ちている!!ことが示唆される。

 武者さんは値がフリーズすると表現されていた。感情がある相でフリーズするということ。日常会話をしているとき、ノーマルなヒトはつねに相手の心をマインド・リーディングしている。そのときもし例えば怒りの感情で心が一杯だったら、相手の言動をすべて怒りという色眼鏡を通して理解してしまうおそれがある。相手の気持ちを読むためには自分の情動はひとつの相にフリーズしていてはだめで、オープンでなくてはならない。そして、相手の感情に動的に適応するためには、自分の情動はつねに揺らいでいるほうが都合がいいのかもしれない。

そのほかにも認知症の早期診断のはなしもおもしろかった。脳波の分布の形から正常と認知症の区別ができることを発見したらしい。正常のヒトの頭のα・β波の空間分布の等高線の曲線はなめらかなのだけれど、認知症のヒトはあちこちでカクカクになっている。でも、アートセラピーをさせるとそれが2時間しかしてないもかかわらず正常の脳波にもどるらしい!でも一週間すると元のカクカクにもどってしまうらしい。脳のダイナミクスと可塑性の関係についていろいろ考えさせれられるデータであるなと思う。

4/29(金)
いとこの家族がきて恒例の家族テニスの日。一年ぶりにテニスをした。ちょっとうまくなっていた。運動記憶、おそるべし。

り三に通っているいとこはいま解剖の授業があるらしい。壁に耳をつけて、「壁に耳あり」事件は本当にあったらしい・・。「障子に目あり」が起きなくてよかった・・。脂肪よりも神経繊維って強度があるので、組織を引っ張ると脂肪だけがちぎれて、神経繊維をとりだすことができるとか、まだ顔をみてないけれどももし顔をみてしまったらきっと解剖できなくなると思うとか、いろいろリアルな話を聞かせてくれた。

4/30(土)
ここ2日、論文執筆を中断して、ジェフ・ホーキンスの「考える脳、考えるコンピューター」を読んでいた。とてもおもしろかった。自発発火の研究から、脳の活動にウチもソトもないことは明らかだ。視覚野ですら外部入力がなくとも自発的に活動をしている。そこから示唆されることは脳のなかには外界を取り込んだなんらかの内部モデルがあるということなのだけれども、ではその内部モデルって何?というのがずっと問題になっている。ひとつの流れとして認知とは外界の入力と内部の予測のマッチングであるという仮説があって、複雑系のヒトのリカレントネットワークモデルとか、ベイジアン・ネットワークとか、いろいろ理論が提案されてきたのだけれど、脳は本当にそんなことやってるの?という疑問がずっとある。ホーキンスは神経生理学に基づいた枠組みを提唱した。そこがこの本のえらいところだと思う。「現象学的意識」はこれではだめだと思うが、大きな枠組みを提案していておもしろい。それでいけるところまでいってみればいいのだと思う。