土曜日, 11月 25, 2006

名探偵・メカ・奇想


ヤフー動画でアニメ「名探偵ホームズ」を見た。


http://streaming.yahoo.co.jp/p/t/00114/v00630/





面白くて、懐かしくて、3話すべてみてしまった。


小学生の頃、早朝に放送していて、朝早起きして見ていたのを思い出した。





記憶の中でエンディングテーマソングのサビの部分の


「24時間あたまのなかでなにかが」


という歌詞がリピート再生されるんだけれどその先がなくて


ずっと気になっていたところ





「24時間あたまのなかでなにかがダンスしている人なんだから」


という歌詞だったことが判明して頭がすっきりした。





「24時間あたまのなかでなにかがダンスしている人」


という言葉に親近感を感じてしまって、いい表現だ・・と思う。。











第三話の監督が宮崎駿だった。





登場するからくりメカを見ていると楽しい。





「想像力に満ちていて、見ているだけで喜びを与えてくれるメカ」


というものがあると思う。





ふと、天空の城ラピュタのキャッチフレーズを思い出した。



機械がまだ機械のたのしさを持っていた時代、科学が必ずしも人を不幸にすることは決まってないころ、そこはまだ世界の主人公は人間だった・・・。






ここでいっている「機械のたのしさ」というのは


きっと宮崎駿の「奇想なイメージをもったメカたち」が


もたらしてくれるもので、


それは名探偵ホームズのなかにも息づいていると思った。











「機械のたのしさ」をもっている作品を思い浮かべてみる。





ラピュタのロボット兵とか乗り物のメカたち


タイムボカンシリーズの毎週変わるロボットたち


ピタゴラスイッチのピタゴラ装置


映画のスチームボーイ


のっぽさんの「できるかな」(ちょっとちがうか・・)





これらは何かこの「機械のたのしさ」を持っている気がする。





あと最近、保坂和志の「小説の誕生」を読んで


レーモン・ルーセルの「ロクス・ソルス」


という小説の存在を知って即買いをしてしまった。


アマゾンの内容の紹介文がすばらしい。






ブルトンが熱讃し、レリスが愛し、フーコーがその謎に魅せられた、言葉の錬金術師レーモン・ルーセル。言語遊戯に基づく独自の創作方法が生み出す驚異のイメージ群は、ひとの想像を超える。―パリ郊外はモンモランシー、天才科学者カントレルの奇想の発明品が並ぶ広大なロクス・ソルス荘へ、いざ、―。





ブルトンが熱讃し、レリスが愛し、フーコーがその謎に魅せられた、言葉の錬金術師ルーセルの代表作。言葉と創造力だけで創られた瞠目の奇想イメージの数々は、ひとの想像を悠に超えてゆく。



早く読んでみたいけど時間がない。。





・・・といろいろ列挙してみて、


最近「奇想イメージ」がもたらす


楽しさとか気持ちよさの構造に興味あり、と思う。


木曜日, 11月 09, 2006

いつもの道を


五反田駅から研究所に向かって歩いていると、


男の人が後ろから小走りで追い抜いていった。





その男は日本代表の青いユニフォームをきていた。


日に焼けた顔、伸びた髪を後ろで結わえて、年齢は30前半ぐらい。


詰まったリュックを背負っていて、


その両脇からビニール袋がぶら下がっている。





小走りにあるきながら、並ぶ自販機の釣り銭口に


ひょいっひょいっと手を突っ込んで釣り銭をチェックしていく。


コンビニ前のゴミ箱の中身も丹念にのぞいていく。





一連の動作がかれの小走りの動作のなかに


なめらかに組み込まれていて


なんだかその道を極めた達人に見えてきて、


面白いと思った。





そうしていたらネットサーフィンで


養老さんと甲野さんの


古武術の発見―日本人にとって「身体」とは何か


という本を発見して、思わず購入。


月曜日, 11月 06, 2006

しあわせのくつ


「しあわせのくつ」という言葉に


20年ぶりぐらいに出会った。





漢字で書くと「幸せの靴」。


「しあわせのくつ」は、ゲーム・ドラクエⅢで出てくるアイテムで



装備すると1歩歩くごとに経験値が1上がる。レベルアップする経験値に達した場合は、次の戦闘に勝利したときにレベルアップする。(しあわせのくつとはより)






たしかバラモンを倒して、アレフガルドに行って


ラスボス・ゾーマに挑戦しようとするぐらいの、


ゲーム終盤で手に入るアイテムだった記憶がある。





歩くだけで経験値がたまっていく様子を見ていると、


たしかになんだかとても幸せな気分になった記憶があって、


その感覚が20年ぶりにふっとよみがえって、


「しあわせのくつ」って


なんて絶妙な言葉の組合せだったんだ!と思う。





このまえの仏像展で見た、


円空の仏像の笑みがつくりだす


雰囲気というか空間についてずっと考えていて、


パンフレットの





「一木にこめられた祈り」





という言葉を見たら、


「祈り」という言葉の意味が、


円空仏の空間にふっとくっついた。





最近、宇多田ヒカルのcolorを聞いて


「黒い服は死者に祈るときだけ着るの」


という歌詞を聞いたときに、


「死者に祈る」という表現が格好いいと思ったんだけど


ふとそういえば意識して死者に祈りを捧げたことってない


ということに気がついて、


「祈る」という言葉の意味が未知化したんだけど、


それがなんかカタチを得た。





それと「恵み」という言葉。


ボスの「科学の恵み」という題の講演を聞いて以来、


「恵み」という言葉にはまっていて、


ネットの恵み、脳科学の恵み、妄想の恵み


とかいろいろ試してみるのだけれど、





あの空間を指し示すのに


「仏教の恵み」という言葉が


なんだとてもしっくりくると思った。





円空仏の笑みは、


仏教の恵みを感じさせてくれる


祈りの空間を生み出している


と思う。





「恵み」という言葉は、なんだか、


暖かな雨が無条件にふりそそぐというイメージがあって、


それによって、生命がぐんぐん成長するというイメージもある。





この


恵みの雨が無条件にふりそそぐ、という感覚は、


じつは


「しあわせのくつ」をはいて


1歩歩くごとに経験値が1上がるときに


味わう感覚と同じものなのではないか


ということにふと気がついて、





「しあわせのくつ」という言葉が与えてくれる


なんだかとてもしあわせな感じは、


じつは


円空仏の笑みがもたらす「恵み」と「祈り」の空間と


同質のものなのかもしれない、と思う。