月曜日, 5月 29, 2006

田舎

ばあちゃんが亡くなって仙台にいった。
正月頃から腰が痛いといっていて、骨粗鬆症かと思って
治療しても、直らなくて、5月になって、実はガンだとわかって、
気がついたときには、すでに骨髄に転移してしまっていて、
あっという間に亡くなった。

小学生の頃、夏休みは仙台に帰るのが楽しみで楽しみで
しょうがなかった。家が農家をしていて、
おじいちゃんが生きていた頃は、朝早く起きて、
トオモロコシを巨大ミキサー機械で切り刻んで、それに黄粉と砂糖を
まぶしたエサを牛にあげたり、トラクターの荷台にのっかって、
草を刈ってつむのを手伝ったり、夜になると、
田んぼに蛍を捕まえに行って、
長ネギのなかに閉じこめて寝るときに眺めていた。

葬儀で、ばあちゃんの弟さんとおじいちゃんの弟さんが
弔辞をはなしていて、おじいちゃんは、東大を出ているのだけれど、
戦争から帰ってきてから、ホワイトカラーにはならず、
仙台の荒れ地を開墾しはじめた。かなりの頑固者だったらしく、
周りの人は一年でやめるだろう、二年でやめるだろう、
と思っていたけれど、
じいちゃんは、やり続けて、
広大な土地を切り開いて、そこで農業を一生つづけた。

ばあちゃんのお兄さんが、おじいちゃんと友人で、
戦争から帰ってきたら、妹を嫁にもらってけろ、
という約束をしていたらしく、ばあちゃんは、
お嬢様育ちだったらしいのだけれど、開墾中のじいちゃんの
ほったて小屋に嫁いできたらしい。
「大草原の小さな家」なみの苦労の連続だったはずなんだけれど、
そんな環境でも、娘4人を立派に育てたのだから偉いと思う。

葬儀が終わって、お骨もって、
久しぶりに田舎の家にいった。
古びた家と広大な畑、
自然に囲まれた田舎が生みだす特有の匂い、
そして思い出が構成する、
独特な「田舎クオリア」というものがあって、
思い出を確かめるように、家や畑を歩き回る。

高校生の頃、おじいちゃんが亡くなって、
家族で帰郷することもなくなって、
1人で、ばあちゃんの家に泊まりに帰るということも
まったくせず、でも、田舎はずっと存在していると
感じていたんだけれど、

歩き回るうちに、ふと、
この何とも言えない、懐かしくて愛着に満ちた空間は、
実は、この土地と、そこにおばあちゃんが生きている
ということによって、支えられていて、
それは、有限な時間においてのみ存在する有限な空間であって、
おばあちゃんが亡くなれば、消えていってしまうものであることに
気がついた。

なんで、おばあちゃんが生きているときに、もっと
この空間を味わいに来なかったんだろう!!と
思ったら、なんだか急にとても悲しくなった。

孝行したい時には親はなし、とはこのことなんだなぁと思ふ。

土曜日, 5月 27, 2006

五月

久しぶりの日記。
さまざまなものが頭を過ぎ去っていったんだけれど、
言葉にできない病。

カンブリア紀みたいな進化の爆発が起きたときに出てくる
多様性に満ちた生物群のことをhopeful monsterといって、
ボスが芸大の授業で、
我々ひとりひとりがhopeful monsterなのだ、
といっていたけれど、
いまの気分はオパビニア。
進化の袋小路にはまったレッドリスト入り絶滅危惧種。

要は、あたまの中のモードが、行き止まり感で満ち満ちていて、
これはどうしたものかな。。と思っているうちに
気がつくと五月がおわりかけている。

生物の進化可能性と、脳の創造性の関係を
考えることはおもしろい。

生き物は、進化することによって、
過酷な環境の変化に適応してきたのだけれど、
1人の人間の脳はどうなんだ?という問題。
1コの脳は、過酷な環境下で、いかに適応していくのか?
生き物の進化のように世代をバトンして適応して
いくわけにはいかない。

というようなことが、我が身の切実さによって、
頭からはなれずに、ずっと考えていたら、

ふと、生物の進化可能性に対応する脳のアナロジーは、
養老さんがいっている、自分が変わる、
ということなのではないか?と思い当たる。

生物が、遺伝子の組み替えによって、非線形かつ劇的に
適応性をアップさせるように、
脳は、神経系が生みだす「自己」を再構築(?)することによって、
劇的に適応性をアップさせる。。

養老さんの「無思想の発見」にかいてあった文章がとてもよくて
以下抜粋。

・・・未知がイラクにあるのではない。「自分が同じ」だから、世界が同じに見えるのであろう。それで「退屈だ」なんで贅沢をいう。知らない環境に入れば、自分が変わらざるをえない。だから未知の世界は「面白い」のである。

 「変わった」自分はいままでとは「違った」世界を見る。自分が変われば、世界全体が微妙にずれて見える。大げさにいうなら、世界全体が違ってしまう。それが「面白い」。つまり「未知との遭遇」とは、本質的には新しい自分との遭遇であって、未知の環境との遭遇ではない。そこを誤解するから、若者はえてして自分を変えず、周囲を変えようとする。・・・・自分で自分を変えればいい。そのノウハウを覚えたら、天下無敵ではないか。随所に主と作り、行住坐臥、どこにいたって楽しむことができる。・・・

世界全体が違って見える、とか、未知との遭遇は新しい自分との遭遇
あたりが個人的にはグッとくるんだけれども、

そういえば、
ボスがいっている「super nova」と
ベイトソンのいっている「学習Ⅲ」は、
このことかなと思う。

そんなことを考えた日の夜、夢を見た。

畳の部屋。オマケイと一緒に正座していて、
目の前に養老さんが座っている。
おれ:「自分が変わるっていうことの本質はなんですか?」
養老さん:「正解がないことだね」
なるほど!と思って、その夢は終わる。

起きたあとで分析してみると、その夢の1日前にボスの
講演をきいていて、不確実性における学習には正解がない、
というはなしが、自分のなかでは印象的で、
それらが融合して夢のなかに出てきたっぽい。

まあ、とにかく、そんなことを考えていたら、
なにかがふっと変わったきがして、
最近、テンションが上がってきて、
また難しい問題に挑戦しよう、と思う。

木曜日, 5月 04, 2006

日常の未知化

月曜日に芸大で荒川修作さんの講義を聞く。
衝撃的な人だった。
自分なりに良かったところをまとめると、

言葉が介入できないものをつかむこと。
それは、認識の生を外在化することであり、
ヒトの脳のイマジネーションは無限大なんだよ!

みたいなことだったのではないかと思う。

アートに必要なものは、いかに、認識の生に
寄り添うことができるか、であり、
アーティストを見ると、みんな、現実と認識の生の間の
微妙なバランスを保っているんだろうなーという
感じがするんだけども、

荒川さんは、完全にバランスが認識の生の側に
振り切れている人で、
向こう側にいってしまっている感じがした。

そして、だからこそ、荒川さんの話を聞いていると、
脳のモードが、無意識のうちに、向こう側に
引き寄せられる感じがして、
それは、なんだかすごいことだと思う。

その影響で、この頃「日常の未知化」について考え始めた。

無印良品のコンセプターの原研哉さんがデザインの基本は、
日常を未知化することだと言っていて、

普段、わかっていると思っているコップでも、
じゃあ、コップをデザインしてください、といわれた瞬間、
途端にコップというものがわからなくなる。
日常のなかに新しい問いを発見していくことが、
デザインの基本で、

とくに面白いと思うのは、

ゼロから新しいものを生みだすことも創造だが、
既知のものを未知化することもまた創造である。

ということで、

脳科学的に考えれば、日常の刺激が同じなのに、
脳の中が変わることで、その刺激の受け止め方がかわる。

川上弘美さんのエッセイのなかの日常が面白い!と思うのは、
川上さんの日常が絶えず未知化されているからだと思う。

「脳は眠らない」が面白いのは、
眠るという日常のありふれた行為が、
未知化されるからだと思う。

「マインド・ハック」がおもしろいのは、
日々当たり前なものとして存在している認知という営みが
突然、未知化されるからだ。

そもそも、他者の心というものは、
絶えず未知化されていくもので、
それが、自分の脳の中の他者に対する認識に
絶えず変化を引き起こしていく。

それを、日常のあらゆるものに広げることができれば、
ただすぎる1日が、もっと鮮やかな1日になるのではないか?
と思った。