水曜日, 8月 30, 2006

明日の神話


汐留に、岡本太郎の「明日の神話」を見に行った。

月曜日, 8月 28, 2006

ネコとバッタ


部屋の窓を開けたら、屋根の上に猫が座ってた。
二十年以上住んでるけれど、生まれて初めて見る風景。
ブロック塀からハイ・ジャンプして、
屋根に飛び登ろうと思いついた、この猫はえらいと思う。


小田急線。窓の外側にバッタがいた。
電車に乗り始めて二十年はたってると思うけれど、
これも生まれて初めて見る風景。
電車と電車のすれ違いざまに生じる衝撃波にもびくともせずに、
はりついている。
だんだんバッタが、映画『ミッション:インポッシブル』のラスト、
フランス新幹線TGVの上にはりついているトムクルーズに見えてきて、
バッタ、すごい!と思う。

火曜日, 8月 22, 2006

スーパーにわとり

若冲展をみに上野へいく。
平日だけど、とても混でた。

「鳥獣花木図屏風」を3年ぶりぐらいにみる。
いつみてもポップな感じがする。

家に昔ハピネス展で買った「鳥獣花木図屏風」の
巨大ポスターが貼ってあって、
毎日見ているせいか、
今回はニワトリたちに目がいく。

若冲の描く生き物は、生命の「存在」に触れている、とよくいうけれど、
若冲のニワトリが、
小学校の飼育委員で毎朝世話してたニワトリよりも、
「ニワトリ」に見えるこの感じはなんなんだろう?

ラマチャンドランが「脳のなかの幽霊、ふたたび」で、
セグロカモメのヒナは、
親鳥の黄色のくちばしの先についている赤い斑点に反応して、
餌くれとつつくんだけれど、
全然くちばしに似てない、
赤色の線を3本引いた黄色の棒をヒナに見せたところ、
本物のくちばし以上にヒナはそれをつっついた!!
という話を紹介していて、
それを、くちばしを超えたくちばしという意味で、
「スーパーくちばし」と呼んでいた。

セグロカモメのヒナにとっては、赤色の3本線つきの黄色の棒が、
「スーパーくちばし」
であったように、
ヒトの脳にとって、若冲の描いたニワトリは、
「スーパーにわとり」
なのだろうか?

「紅白梅図屏風」に意図せずに足がとまった。



ありえない数の白色の梅の花が、屏風一面に咲き乱れていて、
それらが、あさ日から夕日までをイメージした1日の光の変化に
合わせて、いろいろな表情をみせる。

説明文には、作者不詳で、春の歓びをあらわしている、とかいてあった。

思考とは関係なしに、目が喜んでいる、という感じがして面白かった。
見ていると心が動かされて、それでずっと見入ってしまう感じ。

ふと、この感覚を絵なしで言葉だけで伝えることはできるのだろうか?
と思う。

屏風一杯に咲き乱れるように分布する白い梅の花のパターンが
脳に入力されると、 圧倒的な並列性をもった視覚システムは、
「花」という認識を成立させるほかに、 屏風のグローバルな
パターンから、 ある未知の抽象的なパターンも抽出している。
その未知の抽象的なパターンは、快感を引き起こす情動システムに
直結していて、 その結果、脳はそれを見ているだけで
「嬉しい」という感覚を引き起こす・・・

と脳科学的に表現してみても、きっとなにも伝わっていなくて、

問題は、
絵の「パターン」をどうすれば視覚的に描写できるのか?
それによって、読む人の脳にも、
その「未知の抽象的なパターン」なるものを引き起こすことはできるのか?
がポイントで、

これを、「目の喜びを言葉で伝える問題」と名付けよう。

木曜日, 8月 10, 2006

EEG

研究所にEEGがきた。脳波を測る装置。

今日が誕生日のヘライの頭に、みんなでよってたかって、
電極がついたネットをかぶせる練習をする。


このネット、これだけで40万する品で、
腫れ物を触るようで、練習する手が震えた。

一瞬、ヘライがジダンに見えて、
一瞬、タナベが竹○結子に見えて、
一瞬、セキネの落書きミッキーマウスがゾウシに見えた。

暑さのせいでfusiform gyrus(脳の顔認識をしている領野)
が過剰活動している可能性アリ。

なにはともあれ、これでなにができるかなーと
考えるだけで胸がワクワクする!!