土曜日, 8月 27, 2005

スーパーくちばし

台風がすぎて暑い一日だった。
朝、日経新聞のやさしい経済学で
企業が組織改革で自立分権型経営を重視した結果、
部分最適化が蔓延してしまったという記事をよんで
これは脳の問題そのものだ!というAhaがきて、
一日、自発発火をもつスモールワールドネットワークにおける
全体最適化と部分最適化の問題を考えていた。

概念の砂場で概念をこねこねいじって遊んでいる・・そんな感じがする。

金出さんの本を読み返していたら、英語の上達法がかいてあった。
脳の活動をさげて、日本語に決して翻訳しないこと。
英語を英語のまま理解する。前から理解していく。
これがポイントらしい。

それで、この頃、BBCのラマチャンドランのトークの
The Artful Brainをずっと聴いている。
スーパーくちばしの話がとてもいいと思う。
セグロカモメのくちばしは黄色くて先っぽに赤い点がある。

http://www.gt-works.com/yachoo/zukan/tori/kamome/segurokamome.htm

ヒナがどうやって母親を認識しているのかを調べた科学者がいて、ヒナは
黄色いくちばし+赤い点というパターンを母親と認識していることをつきとめた。
長い進化の歴史で、セグロカモメの脳の神経回路には
黄色いくちばしに赤い点というパターンを検出するモジュールが発達したらしい。
次に、科学者は、赤い線を3本引いた黄色い棒をヒナにみせたらしい。
すると、ヒナは通常のくちばしよりも激しくその棒をつっついたのだという!
赤い3本線つきの黄色い棒はヒナにとって「スーパーくちばし」だったのだ!!
もしもセグロカモメのアートギャラリーがあったら、みんなきっと
その赤い3本線つきの黄色い棒を見て大喜びするにちがいない。
そして、ラマチャンドランは、ヒトがキュビズムや抽象的な現代アートをみて
心が動かされる理由も、まさにこれと同じなのではないか?と推論する。
ヒトの脳にも、ある抽象パターンに対してつよく反応する部位があって、
それがヒトにリアルな絵よりもキュビズムの絵のほうがいいと思わせる・・らしい。

金曜日, 8月 26, 2005

まとめ日記2



8/20(土)
地元海老名のビナウォークへ行く。ちんちん電車が走ってた。
おわってしまう前に見よう見ようと思っていたエピソード3をみにいった。
アクションはすごい爽快なのに、なんで人間ドラマには感情がぜんぜん揺れないんだろう・・と思いつつ、でも謎がすべて明らかになってとてもよかった。

ユニクロにいったら、コラボTシャツがなくなっていて、秋物になっていたのをみて
夏の終わりを感じた。

8/21(日)
保坂和志の「季節の記憶」をよんだ。
子育てをしている主人公の視点が認知科学の視点そのもので、おもしろかった。

8/24(水)
須賀敦子の「ヴェネツィアの宿」をよんだ。
最初のペンギンをめざしたひとりの女性の人生を
そのまま追体験したような気分がしてとてもよかった。

8/25(木)
研究の解析がいきづまっていて、かつ台風がきていて東京にいくのを断念して
家にいた。こういうときはかならず一日中ねてしまう。
布団に寝っころがりながら考えようとしてねっころがると
いつのまにか寝ている。そして気持ちがよくてずっと寝てしまう。

最近の脳科学の知見によると、
脳は寝ているときも決してなにもしてないわけではない。
寝ている間も脳は記憶を整理しようとしている。
そしてただ整理しているのではなくて、さまざまな心像を
ひとつにまとめよう、まとめようと、なにか
ひらめきがおきやすいように情報処理をしてくれているらしい。
だから、膨大なパラメータをもつ問題に出会ったときは、
とりあえずすべての情報をアタマのなかにインプットしたあとは
寝てしまえばいい・・。ほんとうか!

まとめ日記




8/19(金)
暑い一日。
すずかけにいく。
汗ばむなかこの坂道が、まるで試練の坂のように感じられて
写真をとった。

うえだ君と夕食をたべる。
五反田の歩道橋の下にはメニューが麻婆豆腐一品だけという
お店があるんだけども、5年間五反田に通っていて一回しか行ったことがなかった。
そのお店にいったらとても美味しいことが判明する。

芸大生というか芸術を専攻するひとたちがまなぶデッサンについて
おどろきの事実をしった。
ヒト(というか猫もサルもみんな)の視覚システムは環境の中から
図と地を分離して図に注意がむかうようにできている。
それでAha! pictureのダルメシアンの犬とかをみると
はじめは単なる点の集まりにしかみえなくて、点のあつまりがつくりだす犬の図が
生成されない状態がつづくんだけども、どうもデッサンをみにつけるというのは、
意識的に世界を図と地を融合した状態でみられるように脳を訓練することらしい。
図と地に分離する以前の、そして遠近感もすべて一つの面につぶれたようなフラットな視覚世界。つまり、世界を意識的にAha! pictureのように眺めることがデッサンで身につけなくてはならないスキルなのだという。
これはすごいことだ・・と思う。

土曜日, 8月 13, 2005

ピタゴラ装置

佐藤雅彦さんの研究室の展示会をみに銀座へいった。

上映会で、ピタゴラスイッチのピタゴラ装置の映像をまとめてみることができた。
さまざまな仕掛けのある通路をボールが転がっていき、
ボールがころがることで、さまざまな仕掛けがオンになって、動きがつながっていく。

むかし、映画のグーニーズでもピタゴラ装置のようなワンシーンがあって
大好きだった。

きっと、あーいう物理的な因果の連鎖にとても惹かれるのは
その動きの連鎖のなかに、脳がひらめきを感じるからではなかろうか?

ピタゴラ装置をつくるには、脳が予測する展開をいい意味で裏切らなければ
いけないはずで、つくる人はすごいひらめきが要ると思う。
そして人は、ボールと仕掛けがつくりだす、その創造的な因果の連鎖を見ることで、
きっとそのつくった人の脳が感じたであろう”思考のひらめき”を
追体験しているにちがいない・・と思う。

プラチナ・チケットの佐藤さんとボスのトークショーをみることができた。
佐藤さんがふってくる魔球のようなアタックをボスがすべてちゃんと返しているところがおもしろかった。
佐藤さんは脳が気持ちいいを感じることができるルールを探究している人だった。
自分の感覚やひらめきによりそっていて、かつ非常に客観的に分析して、
ルールを見つけてしまうところがすごいなーと思う
話を聞いていたら、ムクムクとインスピレーションが湧いてきて、なにかmovieをつくりたくなった!

金曜日, 8月 12, 2005

夏のある一日

無気力。
11時に研究所につく。
ラボのメンバーはだれもいない。
無気力で眠くてうとうとしているとTさんが出勤。
うきうきモードでNewコンピュータのセットアップをしている模様。

午後3時、なにもしないよりはましと思い、
ラマチャンドランの「脳の中の幽霊、ふたたび」
をおもむろによみはじめる。なんておもしろいんだ!
共感覚の研究をアートの普遍性や言語の起源につなげてしまうところがすごいと思う。
メタファーと創造性についていろいろ考える。

午後5時。セキネとオマケイが重役出勤。

午後6時。だんだん、やるきがわいてくる。
シミュレーションの解析を少々。

いつのまにか午後8時。帰宅。

夜、NHKで「そして日本は焦土となった~都市爆撃の真実」をみた。

焼夷弾が降伏を早めると思い、アメリカは都市の縦断爆撃を計画する。
将校のなかには、無差別爆撃をしたらアメリカの信頼をなくすと主張し、軍事基地のピンポイント爆撃にこだわった人もいたという。しかし、アメリカは無差別爆撃を実行した。
はじめに軍事基地のあるおもだった10都市ぐらいを爆撃し、その後、ドイツでの無差別爆撃は効果がないという報告があったにもかかわらず、軍事基地のない都市も、人々が疎開した先の小さな都市も無差別爆撃をつづけることになる。結局六十ぐらいの都市がターゲットになった。その間、メディアには、アメリカ軍は無差別爆撃をするつもりはない、軍事基地をピンポイント爆撃する方針はかわってないといっていたという。そして、戦後の裁判でも無差別爆撃の罪を問われることはなかった。

子どもを肩に乗せた親子の形をした炭が道路に転がっている写真とか、B29からの映像で、爆弾がぱらぱらおちていく。長撮りで、十数秒秒みていると、眼下で爆弾が炸裂して地面がピカピカひかっていた。

そういう衝撃の映像をみていたら涙がでてきた。

結局、アメリカ軍の本質は今も昔もかわらないのだなと思う。おなじ軍隊がずっと存続しているんだから当たり前か。情動に従うならば、いまのイスラム社会のように怒るのが当然なきがする。しかし、ゲーム理論的にみると、いまの日本の選択はきっとナッシュ均衡にちがいない。日本は感情をもたない合理的なプレイヤーとして意志決定を下している・・おそらくそういうことなのだろう。

水曜日, 8月 10, 2005

重力を体感する

研究所の1階のエレベーターに乗って
3階ボタンを押して
なにを思ったのか、突然ふくろはぎを鍛えようと思い
片足つま先立ちでかかとの上げ下げ運動をはじめたら
エレベータの上昇とともに急激にGがかかるのが
ふくろはぎを通して体感できた!体が重たく感じた。
これは発見だ!(笑)

火曜日, 8月 02, 2005

皇帝ペンギン

映画の皇帝ペンギンをみた。
皇帝ペンギンの生態を追ったドキュメント。

皇帝ペンギンは子育てのために海から百キロあまり離れた陸地をめざす。
そこでパートナーを選ぶんだけど、皇帝ペンギンは、雄の数よりも雌の数のほうが多いので、雄を巡って雌が闘っていた!といっても手(ヒレ?)でお互いの体をたたきあうだけなんだけど、雄は呆然と見守っていた・・(笑)。

雌が子育てをすべてする鳥の場合、雌にパートナー選びの選択権があって、優れた雄が1人勝ちする形態が多いんだけど、皇帝ペンギンは一匹の雄が必ず一匹の雌の卵を守らないといけないのでこういう自体になるのだろう。進化論の性淘汰の理論では、雌の好みが種の形態の進化を促進させるというけれど、そして男女の比率は当然変動しているんだろうけども、皇帝ペンギンはどうやってこのスタイルを進化させてきたのだろうか?ゲーム理論的にみると、きっと奇跡的な均衡解に収束しているにちがいない・・。

雌は卵を生んだ後、二ヶ月ほど雄に卵をあずかってもらい、産卵でエネルギーをつかった雌はまた海にもどってエサをたべる。

そのときの雌から雄に卵をわたすシーンがよかった。
極寒の南極では、数秒放置しておくだけで卵は死んでしまう。それで雌はなるべく素早く卵を雄に渡さなくてはならない。

ある若いカップルはうまく受け渡しができなくて卵を死なせてしまう。
そのシーンのあと、ふたたび、雌から卵をわたされて、雄は卵を地面につけたまま、モソモソしている。そのままじゃまた卵死なないの?とハラハラして見ていると、突然、両足の内側で卵をはさみこんでヒョイっと上にもちあげ卵全体を体で包み込む。その瞬間、ジーんときた。

あとブリザードのなか、雄は卵を抱きながらじっと耐えるシーンもよかった。

個体は厳しい自然に敗れて次々に死んでいくけど、種として生き延びていく。
映画はふつうひとりの主人公の体験を描くけど、この映画は個体はつぎつぎに死んでいく。でも種としては生き延びていく。まるでサイエンスのようだけど感動があって映画として成立しているところがすごいなーと思った。