金曜日, 6月 29, 2007

CHEETOS&本居宣長&落書き


ノザワからもらったアメリカおみやげのCHEETOSをつまみつつ


コーラを飲みながら、ネットサーフィン。


f:id:toooru:20070629173002j:image:w200


このあじの組み合わせを生みだしたアメリカ人って天才かも!!と


茶の間でおせんべいをたべつつほうじ茶を飲むシアワセ感に


まさるともおとらないシアワセな気分に浸りつつ


と同時にハイカロリーゆえからなのか、タイハイ的な気分にもなる。


んー、これぞアメリカン。。





ここ数日、小林秀雄の「本居宣長」をひたすら読んでいて


やっと下の100ページまで到達。


この本はすごい。


「芸術」論であり、「言語」論であり、「人生の意味」論であり、


「学問するとは?」の本でもある。


いままでピースごとにあーでもないこーでもないと考えていたことが


まるでパズルのように組み合わさって、いちまいの絵になった気がして


「人生の無限大の起伏」を感じたかも(笑)。





あとどうでもいいけど


最近研究所で蒐集した落書きたち。


f:id:toooru:20070611134417j:image:w200


セキネの落書き。


f:id:toooru:20070621171747j:image:w200


セキネの落書き。


f:id:toooru:20070621171736j:image:w200


セキネの落書き。


f:id:toooru:20070621171814j:image:w200


おれの落書き。


日曜日, 6月 03, 2007

「動植綵絵」


5月31日(木)


AM 06:20、京都駅につく。バスのなかで一睡もできず京都御所のベンチで睡眠。


f:id:toooru:20020901000000j:image:w150





AM 10:15、展示場の相国寺につく。10:00開場のはずなのに


すでに行列ができていて待ち時間50分という表示があった。


平日にもかかわらず恐ろしく混んでいて驚く。





AM 11:20、第一展示室に入る。ふすまに書かれたふどうの絵がよかった。


第二展示室までの廊下でまた行列。





AM 11:40、やっと目的の動植綵絵のある部屋にたどりつく。


中央に釈迦三尊の絵が3枚あって


その周囲と左右の壁面いっぱいに30枚からなる動植綵絵が並んでいた。





(パノラマ動画→http://jakuchu.jp/jotenkaku/











量の変化が質の変化を生み出すという現象が確実にあって、





東大寺の大仏みたいに、10センチの大仏像を10メートルにしてみて


初めて生まれる何かがあり





三十三間堂みたいに、千手観音像を同じ空間に千体並べることで


初めて生まれる何かがあり





同様に


動植綵絵は若冲が10年という月日をかけて、一枚一枚に、


鶏、孔雀、オウム、鳳凰、雁、虫たち、貝たち、海の生き物たち、牡丹、アジサイ、菊、梅花、松・・


などなどの動植物を息をのむクオリティで描き込んだ作品群で


それらがひとつの空間に30枚並ぶことによって


初めて生まれている何かがあると思った。





なにも考えずにひたすら見るということをしてみる。


1周して、2周して、3周目から頭のなかでいろいろ言葉がでてきた。





去年上野で若冲展がやっていて、


若冲の描くニワトリはすごい存在感があるんだけど


なぜ若冲のニワトリは、本物のニワトリよりもニワトリらしいのか?


ということを疑問に思ふ。


http://d.hatena.ne.jp/toooru/20060822





その答えが今回わかった気がした!





それは、実は自分は本物のニワトリがどういう姿・形をしているかを


本当は知らなくて、若冲のニワトリを見て、若冲の眼を借りて、


はじめてニワトリがどういう姿・形をしているかを知る


ということなのではないかと思う。





一般的な話になるけれど、普段われわれは、ニワトリを見ているようで


実は記憶のなかのニワトリを見ている。なので絵のトレーニングを受けていない人は


ニワトリを描いてと言われると、記憶のなかのニワトリを描くのだけれど


それはぜんぜん現実のニワトリからは程遠い形をしている。





だから絵画を専攻する人はデッサンでひたすら対象を「見る」訓練をするわけで


芸大生のハッスーは卒展で鳩のマンガを描いていたけれど


その鳩を構成しているシンプルで味のある線は


彼の膨大な実物の鳩の観察と写生からしか生まれえないもので


http://i-mind.blogspot.com/2005/01/blog-post_28.html





同じく芸大生のウエダ君のアニメの味のある線もやはり


膨大なリアルなモノの観察とデッサンの積み重ねからしか生まれてこない。








要は、記憶でモノを見ないためには、ひたすら見る、観察するということが


重要で、若冲も庭にニワトリを飼っていて、何年もひたすら観察していたという。





具象と抽象の間の問題というのがあって、この前NHKの新日曜美術館で


藤原正彦さんが福田平八郎について語っていて


福田平八郎もひたすら自然を写生しつつ、その上で


対象を抽象化・シンプル化して本質的なものだけを残すのが上手くて


福田平八郎は、なにげない日常のなかで絶えず新しい視点を発見をしていて、


だれでも見ている風景を、だれもみたことのない視点でとらえて、


見ている人に、なるほどそうだった!と気付かせてくれる


という解説にグッときた。





たとえば、これ。「美の巨人 福田平八郎 『漣』」


http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/f_060107.htm





要は、膨大で具体的な体験の集積によってはじめて


うまれてくる抽象というものがあって


これはいま科学の分野で、脳とか細胞とか生態系とか経済とかウェブという


超複雑なシステムを、いかに観察して、そこから、


いかに本質だけを抜き出して対象を理解するか?


という問題ともリンクしていると思う。





若冲は「鶏図押絵貼屏風」のように


墨の線だけで存在感のあるニワトリを描くことができたのだけれど


動植綵絵のニワトリのすごいところは、


「若冲的な抽象化された線」と「具体的な細部」が共存しているところに


あるのではないか、と思った。





どうしょうもない比喩だけど、もしリラックマに細部を描き込んでしまうと、


リラックマではなくなってしまう感じがするけれど


若冲のニワトリは、そこに見事な毛並みが羽に描き込まれていたり、


しかも点のドットでできた真っ赤なトサカとか、


黒いニワトリの黒い毛並みが微妙な違う黒で描かれていたりとか、


茶色・白・黒によって織りなされた毛並みとかのように、


極彩色で構成される細部の色彩感覚も素晴らしくて


そういう細部によって、ニワトリの存在感が生まれている感じがする。





作品が放つ「存在」感を支えている細部の集積というものがあって、


その「集積」は、単純な加算の集積ではなくて、


おそらく、有機的に絡み合った集積というかたちをとっていて、


しかも、細部としてなにを作品に持ち込めるかは


芸術家がなにを集積していて、なにを抽象化できるかということに拘束されている、


というところが面白いと思う。





と、ニワトリだけみても、なんだかいろいろと思うことがあるけれど、


植物も素晴らしくて、細部はどちらかというと


花のなかのひとつひとつの花びらとかのほうがすごく細かく描き込まれていて


「紫陽花双鶏図」の青と白のアジサイ


「向日葵雄鶏図」のひまわりとアサガオ


「牡丹小禽図」の30個以上の赤、白、ピンクの牡丹が咲き誇る様子、


「梅花皓月図」の梅花が咲いた枝が幾重にも重なることでつくりだされる奥行き間


それと、月の存在によって生み出される幻想的な雰囲気


「老松鸚鵡図」のオウムがのっている蛇のウロコみたいな妖しい松の幹


などなど、植物だけで十分絵として素晴らしいところに


動物もいる!という感じで、その上、その構図もすごいという


なんというか、これもすごい!あれもすごい!全部すごい!という印象をうけた。





個人的には若冲の描く植物がとても新鮮だったせいか


「牡丹小禽図」と「梅花皓月図」がよかった。


よくあることだけど、実物と図録の写真は色が全然違っていて


きっと図録の写真だけみたら、そうは思わなかったと思うけど


実物を見ていたら、


「牡丹小禽図」は構図の中心らしきものがないなかで牡丹が


圧倒的に咲き誇る感じがよくて


「梅花皓月図」は梅花の不思議な奥行き感と月が生み出す


幻想的な感じがよいと思った。





きっと「動植綵絵」を次に見たらまた全然違う発見があるはずで、


3時間粘って見ていろいろ考えてみたところで、結局


とても限定的で部分的な要素にしか注意は向けられなくて


しかも「動植綵絵」はいくらでも分析したくなる要素を提供しながら


一方で、1枚1枚が分割できない全体として強烈な存在を生み出していて


さらに、30枚+釈迦三尊像の3枚が


ひとつの全体してなんだか拝みたくなる雰囲気があって


これはすごい作品だ、と思ふ。