月曜日, 10月 30, 2006

のど飴


先週の水曜日から風邪を引いて、


今回の風邪は喉にきて、咳が止まらないので


ずっとのど飴をなめてました。


ここ6日間、1日中、ずっと。





気がつくと


コンビニとキオスクに並ぶすべてののど飴を制覇してました。





いつのまにか


お腹のおニクがひとつまみ分、増えたきがします。





そして


左の下の歯が虫歯になりました。





ふと、ぺこちゃんのことが頭をよぎりました。


飴ばかりなめているぺこちゃんの歯は


無事なのか?





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工大祭にいきました。


屋台で不思議なマレーシア料理に出会いました。


名をロティジャラというクレープのような料理。


カレー粉をつけてたべます。


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どこか魅惑的な、この色カタチ。





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東京国立博物館に仏像を見に行きました。





家に持ち帰って毎日拝みたいと思うような


仏像がたくさんありました。





仏像の笑顔がよかった!





仏教の恵み。





色即是空。空即是色。





仏教のこの徹底した<無>の世界観を受けいれた先に


むかしのひとはこの笑顔にたどりついたのだろうか


と思いました。


月曜日, 10月 23, 2006

夢と妄想と空想のはざまで


ディテールは思い出せないんだけど


強盗系の犯罪をして、場所を転々としながら


逃走する夢をみた。


なんだか夢全体がとても息苦しい感情に支配されていて、


そうしたら、朝起きたら気分がとてもブルーだった。


しかし、しばらくして、


逃走犯になったならば抱くであろう感情を


virtual realityの中で


生まれてはじめて体験したことに気が付いて、


なんだかとても新鮮な気分になる。








ここ一週間ぐらい、ずっと


頭が自動発散モードで、妄想が止まらない・・。


いままではこの状態を楽しんでいたんだけれど、


最近、これは病的だなと思いはじめてきて、


ふと、このような発散した事態を収束させることが


できる人こそ真のプロフェッショナルなのではないか?


ということに気がつく。








それはそうとして、


今日は、post mixiのアイディアを思いついた。。





CNETで江島健太郎さんが、ウェブの展望を語っていて






Web 2.0の挑戦者:超軽快なウェブチャットLingr


 ウェブは実世界に近いものになってきています。これは文字通りの意味です。


 われわれは、ウェブがリアルタイムなものに変わっていくという展望を持っています。実世界と同じように、仮想空間の中を動き回ると、そこでは生放送のブログや絵を描くライブパフォーマンス、ジャムセッションなどが見られ、拍手のような観衆からの反応もリアルタイムに伝わる--そんなことが未来には可能になるだろうというのが、われわれの夢です。






と書いてあるのを読んで、


自分もこの方向は正しいと(今日)思った!





数年前、Nintendo64用に開発されていた


Mother3というゲームは、


プレーヤーのアクションによって


物語を自在に分岐させていくという野心的な計画


をもっていたんだけど、


作り込まなくてはならない物語の数が爆発的に


増えてしまって開発中止になった。





閉じたシステムのなかで、


無限に展開していく物語をつくるのは、


クリエーターが物語を作り込まなくてはいけなくて、


工程数の爆発が起きてしまいとても難しい。





でも、ゲームという視点からみると、


mixiは、実は、


クリエーターが作りこむことなしに、


ネットという開いたシステムの性質を利用して


自然に人と人の出会いやコミュニケーションが


生成されつづける、初めての


「終わりのないゲーム」とみなせるのではないか?





仮想空間で閉じていたゲームが、いつのまにか


現実のエンドレスな世界に接続してしまっている。





開いたシステムであるウェブが


どんどんリアル・現実に近づくということ





問題はその先になにがあるのか?ということで、





その先を





脳科学×コミュニケーション×物語×遊び





の視点で眺めると、なんだかたくさんの


おもしろい切り口があるきがする!!


金曜日, 10月 20, 2006

チンパンジーのはなし


よくあることなんだけれど、


オマケイと電車のなかで


ヒトの道徳の起源について


性善説 vs 性悪説の議論になって、


気になって今年の1月に読んだ


フランス・ドゥ・ヴァールの「あなたのなかのサル


を読みなおしてみた。





霊長類研究者の間では、「今夜はボノボするぜ」である意味が通じるらしい





というような、どうしょうもない記憶しか思い出せなかったんだけれど、


読み直してみたら、いろいろ再発見があっておもしろかった。





去年、


奥田英朗という作家のインタビューが新聞に載っていて、





あふれる寸前のコップの水に一滴垂らしたとたん、どっと水がこぼれるような瞬間を描きたい





という言葉が妙に印象的で、心のなかに残っていたんだけれど、


それに相当するような話を見つけた!(気がする。)





クロムというメスのチンパンジーが


ローシュという赤ちゃんを産んだんだけれど、


クロムは耳が聞こえないので、


メスのチンパンジーのカイフに代わりに育ててもらうことにした、


という話で、長いけど以下抜粋。



・・・カイフは養母の条件にぴったりだった。彼女は自分の子どもを母乳不足で死なせた経験があるし、当面ローシェと競合する実の子もいない。それにカイフは、赤ん坊に並々ならぬ興味を持っていた。クロムが赤ん坊の叫び声に気づかないとき、カイフもいっしょに声を出した場面を私たちは何度か目撃している。


 カイフはわが子が死ぬたびに、激しくふさぎこんだ。食べ物を受けつけず、悲痛な声をあげる。身体をずっと揺らしたり、自分の身体を強くつかむといった行動も見られた。哺乳瓶を使う練習をはじめたとき、カイフは赤ん坊を抱きたくてしかたなかったが、私たちはけっして彼女とローシュを接触させなかった。練習中、カイフは不満だらけだったはずだ。哺乳瓶から自分が飲むことは許されず、私たちが抱いたローシュに、ケージの向こうからミルクを飲ませなくてはならないからだ。それでも数週間の訓練で、カイフは哺乳瓶扱いがとても上手になった。私たちは次の段階に進み、カイフの夜用ケージに敷いたわらの上に、手足をばたばたさせるローシュを寝かせてみた。最初のうち、カイフはローシュの顔をのぞきこむだけで、手を触れようとしない。赤ん坊は私たちのものだという認識なのだ。チンパンジーにとって、ほかの誰かの赤ん坊に許可なくさわるのは、好ましくない行いだ。飼育係と私はケージのすぐ外で、座って様子を見守っていた。こちらに近づいてきたカイフは、ケージ越しに私たちにキスをし、ローシュと私たちを交互に見た。まるで許しを求めているようだ。私たちは「ほら、赤ん坊を抱いてごらん!」と言いながら、手を振ってローシュのほうを示した。ようやくカイフは赤ん坊を抱きあげた。その瞬間から、カイフは子どもを守り、いつくしむ理想的な母親になり、こちらの期待したとおりにローシュの子育てをしてくれた。


・・・ローシェを養子に迎えてから、カイフと私の関係に変化が起こった。私に感謝の念が向けられるようになったのだ。それまでカイフと私はつかずはなれずの付きあいだったのに、ローシュの一件以来、カイフは私の顔を見るたびに、ありったけの愛情を浴びせるようになった。それは、30年近くたったいまもまったく変わらない。カイフは、久しく会わなかった家族を迎えるように私の両手を掘りしめ、私がその場を去ろうとすると、泣きそうな声をあげる。こんな風に接してくるチンパンジーは、この世でカイフだけだ。カイフは哺乳瓶を使う訓練を受けたおかげで、ローシュだけでなく、実の子どもたちも無事に育てることができた。何年たっても、彼女はそのことをけっして忘れない。



本では、動物は感謝をするのか?という話題の中での


エピソードなんだけれど、


帰りの電車のなかでここを読んでいたら、


「その瞬間から、カイフは子どもを守り、いつくしむ理想的な母親になり・・・」


というくだりが、なんだか奥田英朗さんの


「どっと水がこぼれるような瞬間」に感じられて、


最近涙もろいのか、目頭が熱くなった。


チンパンジーなのに泣かせてくれるぜ、と思ふ。