水曜日, 12月 31, 2008

年の瀬


自己表現欲が温暖化した北極の氷河なみに減退してしまった2008。


今年はブログが全然書けなかった。


あっという間だったけど、おおくの気づきはあった。


が、書くにあたわず。


ブログを書こうとすると、満足したなにかを書こうとすると


1-2時間は費やしてしまうので


その時間があったら、ネットサーフィンしていたほうが楽しいみたいな


そういう易きに流れるマインドでいいのかと反省しかり。


羅針盤がぐるぐるまわる漂流状態の気分から


いまはとりあえずこの方向でやってみようという道が見つかる。


実際にはどうなるかはわからないけれども


問題が設定されただけでも大きな前進であろう。


サイコロをふるたびに一回休みがでる人生ゲームを


プレイしているような状況のなかで


おおくのひとにおわせになっていて、


感謝の意をあらわす暇もなく時間は流れてしまっていて


来年こそは自分のなかに蓄積されたものを還元できたら、と思う。





f:id:toooru:20081229224404j:image


月曜日, 9月 15, 2008

神津島


久しぶりの日記。





先週、研究室の合宿で、JTBオンゾーに導かれるようにして神津島へ。


行くときに乗ったボーイング製のジェットフェリーは


水中翼をもっていて海上を滑るように走る光景はかなり衝撃的。


神津島は東京都なのに、沖縄のような南国の島の


雰囲気をもっていて驚く。


沖縄の渡嘉敷島のときもそうだったのだけど、


個人的には、宿を出たすぐのところ道から


海がのぞいている風景があれば


もうそれだけで幸せ・・と思う。こんな感じで。。





f:id:toooru:20080916020852j:image:w300





以下ベストショットを列挙。





ビールを飲みながら長浜からのサンセット。


太陽の光が波の上でゆらゆら揺れいて、


モネがキャンパスに写し取りたいと思ったのは


こういう光だったのではないかと思ってパシっと撮影。


f:id:toooru:20080916021738j:image:w300





苦行のようにして登った天上山から見下ろした神津島港。


頂上は霧が立ちこめていてまるで黄泉の国みたいだった。


降りるとき港がまるで山頂のように見えてパシっと撮影。


f:id:toooru:20080916021855j:image:w300





長浜の目の前にある阿波命神社。海に面した道から歩いていく。


神社は周囲が山で囲まれていて、


静寂に包まれた境内がとても印象的。


f:id:toooru:20080916023526j:image:w300





旅というものの目的が日常とは異なる空間と時間の


流れを経験することであるならば


神津島はまさにそういう時間の流れているところで、


そういう感覚の変性が引き起こされることが


とても不思議で面白いことだと思った。


水曜日, 7月 30, 2008

伊豆


リ研のF研の研究室旅行で伊豆へ。ただいま2日目の夜の飲み会。F、N、S、Tさんが麻雀で無言の心理戦をくりひろげているとなりで暇なのでわれここに日記を記す。


弓ヶ浜(たしかそんな名前の海岸)で昨日の半日と今日の丸1日を海岸で過ごした。肌は丸焼けで、日焼け止めを塗り忘れた鼻先が真っ赤になった。弓ヶ浜の海は水質がめちゃくちゃ汚くて視界がゼロで海藻が足にまとわりついているような海なんだけど、波が大きいのですよ!それでボディボードで波に乗る快感を覚えた。遠浅の海で足がぎりぎりつくぐらいのところで大波を待ちかまえる。大波は進行方向前方の水を吸い上げながら進むのか、気持ち前方の水面が押し下げられているように見えて迫力がある。波頭が崩れかけるときに背後に波頭を背負うようにして波に乗るのがコツである。波に飲み込まれるところをボードの浮力で持ちこたえ波頭に乗り続けているとスーッと砂浜まで゙滑空゙していくことができる。その滑空感がイイ!!(゚∀゚)!!その大いなる力に逆らわずに身をまかせる感覚がたまらなく面白くて、かなりハマる。時代の流れに乗るって表現があるけど、なんかそういう流れって個人の力ではどうすることもできなくて、でもその流れに乗ったら自分が予想もできないような場所まで連れて行ってくれるようなそんなメタファーが立ち上がった。


水曜日, 5月 07, 2008

日曜日, 5月 04, 2008

悪夢日記


ナウシカに出てくる巨大イモムシの


オームが出す黄色い触手のようなものを口からはきだす


シロナガスクジラみたいなデカい生き物が、


イルカの如く海面から空中に10mぐらい跳躍しては


その黄色い触手を高速にムチみたいに伸ばして


船の上の建造物を破壊してはまた海に戻っていく・・


そんな船の甲板上を逃げまどう夢を見た。


久しぶりのナイトメアだったのだけれど


妙に想像力を刺激するものがあったので夢日記。


火曜日, 4月 22, 2008

モえる木


いつもは殺風景でただ通り過ぎるだけの道路の風景に


この時期になると突然、燃えるような緑の木が出現して


いつもその異様な存在感を写真におさめてしまう。





昨日撮影した木。


f:id:toooru:20080415112935j:image:w200





二年前に撮影した木。


f:id:toooru:20060421111929j:image:w200





二年前の日記を読み返すと



http://d.hatena.ne.jp/toooru/20060421


青空を背景に、まるで緑が燃えているみたいに映えていて、


なんだかすばらしい!と思う。



と書いてあって、二年前も燃えていると感じていたのか、


と思ったのだけれど、今年はたまたま万葉集の





石激(いしばし)る垂水(たるみ)の上のさ蕨(わらび)の


萌え出づる春になりけむかも





という歌が頭をよぎって、この状態のことを


「萌える」というんだ!とわれ直覚す(笑)。





春先の新芽が芽吹いてまるで緑が燃えているような印象に感動した


万葉時代のご先祖様が、萌芽とか芽吹くという意味があった「萌」


という漢字を「もえる」と訓読みしてしまったんじゃないか、とか





「萌」を草かんむりに明るいって書くのはまさに、新芽が出て


草の色が明るくなる変化の様子を表しているのではないか、とか





この木を見たときに胸にこみ上げてくる感覚と


現代のオタクの「萌え」は、実はまったく同じ心の動きで


現代では都市化してしまったので、心を動かされる対象が


自然現象から女の子の微妙なしぐさとかかわいらしさに


移ってしまっただけで、オタクの萌え文化って、


日本人古来の自然の変化に対する繊細な感受性の、


姿・形は変われども全く同じ精神のあらわれなんじゃないか、


とかといろいろ思った。





「萌え」深し。。


火曜日, 2月 19, 2008

学問の方法


なんというかブログをまったく書かないでいると


それがふつうになってしまうもので


それではいかんと思いたってブログを再開。





実体論から関係論へ


というスローガンを立てて


脳・組織・ウェブ・人間関係・金融などなどの


複雑ネットワークに属するものを


すべて関係論に視点から再構築してみようと


考えていたら一ヶ月以上過ぎてしまった。





非常に粗い議論だけれど


これらすべてに共通していることは開放系であるということ。


開放系で一番おもしろいと思う性質は、


「部分」は「全体」をコントロールすることはできない


というところで、そのなかで


コントロールできない「全体」からうまく協力を


引き出せた「部分」だけが進化できる。





たとえば


経済のグローバル化とは、要は国々が相互に強く連結して


開放系になってしまったということで、その結果、


お金が世界中を自由に駆けめぐり


外からお金が入ってきてまた出ていくので、


もはや日銀がどんなに頑張ってみても日本国内のお金の流れを


コントロールすることはできないという。


そしてグローバル化した世界では、いかに外国から投資を呼び込み


お金を呼びこめるかが、その国が栄えるかどうかを決める。





ヒトとチンパンジーを隔てる大きな能力の差は共感能力にあるという。


共感の能力の進化も、開放系という文脈で解釈すると面白くて


共感能力というのは、ヒト同士の結びつきをものすごく強めるので


ヒト同士の関係性のネットワークを特別な開放系にする。


そのなかでは、ヒト同士の中でいかに優位な関係性をつくれるか


という能力に対して、進化の選択圧が働いたと思われる。


でもそれは、他人を力づくでコントロールするという能力ではなく、


むしろ本質的にコントロールできない他者といかに協力関係を築けるか


という能力であったはずで、その結果ヒトは最強の協力種となった。





脳に目を向ければ、どんなローカルな領野の計算結果も


脳全体をコントロールすることはできない。


むしろ、自分の活動が、いかに他の領野の活動を誘起できたか?


協調できたか?という側面が、新皮質が正常に


自己組織化するための本質的な拘束条件となる。





そして


今度は逆に脳にだけに存在する拘束条件について考えてみた。


なぜ脳にだけ意識が宿るのか?


それは脳にだけしか存在しない拘束条件があるからで


それは(数ステップのロジックをすっとばして結論を言うと)


sensorimotor couplingがあることだと思った。


sensorimotor couplingが


脳に意識が宿り、時間が生成されるための基点であり錨となる。





それで、ALVA NOEの"ACTION IN PERCEPTION"を読んで、


今はベルクソンの「物質と記憶」(岡部聡夫訳)を読んでいる。


二回目の挑戦だけど、ようやくベルクソンの言いたいことがわかった!


なんていうか100年前に書かれているのに、


個人的にはまったく古くないと思う。


これを読んでいてたら、ようやく、コモンセンス(常識)から


学問をするということの意味がわかったきがした。


小林秀雄も本居宣長もベルクソンも


養老さんも保坂さんも池上さんもボスも


要は、コモンセンスから学問をしているところが共通なのだと思った。


それがどういうことなのかということは説明が長くなるのでまたいつか。


土曜日, 1月 05, 2008

勝間和代 お金は銀行に預けるな


正月に読んだ四冊の本の感想文。


まず一冊目。





勝間和代 お金は銀行に預けるな





われわれの世代は年金をもらえないらしい。





年金の給付開始が70歳まで延びる?


http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/110/index2.html


年金は新制度を立ち上げるしかない


http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/a/102/





この真偽はいろいろ議論があるのだと思うけれど


直感的にはおれももらえないと思う。


なので自衛しなくてはならない、


という問題意識があって読む。





いままで金融の本を数冊読んだけれど


この本は一番わかりやすい。そしてウェブ進化論を読んだときと


同じようななにか世界が開かれる感覚がある。





ここ数年、長時間労働が問題になっていて


グローバル化とはなんなのか?資本主義とはなんなのか?


お金とはなんなのか?という問題意識があったけれど


お金とは勝手に増えるもの、お金って小人だったんだ!


というのがこの本の一番のきづき。





おれなりの理解だとグローバル化とは


ひとりひとりが資本家・投資家になって


世界を見渡して成長している地域・分野・ものに


お金を投資するということだ。


日本という局所的な部分だけを見ていると


どんどんやせ細っていくようにみえるけれど


世界全体をみると、どんどん太っている場所があって


グローバル化は、その太っている部分に


だれでも投資しリターンを得ることを


可能にするシステムであるということだ。


だから国内がもう成長しないならば


世界を見渡して成長している地域に投資すればいい。





お金がすべてという価値観に染まってしまうのが市場主義の弊害で


働く側から見ればお金がすべてってどういうことよ?って思うけれど


逆に立場を変えて投資する側の視点に立てばリターンをよこせ!


ってことになって、そうしたストレスと欲望が複雑に絡み合いながら


世界中を覆いつくしているのがグローバル化で、


だからストレスだけでなく、投資に対するリターンというメリットを


享受してはじめてグローバル化の恩恵を受けることができる





勝間さんによると年間リターンで10%はものすごく高くて、


5%いけば上出来らしい。


この前に読んだ


大前研一 マネーハザード金言集


によると、週に半日ぐらいの時間を投資して


勉強すれば10%はいくという。


勉強するには時間がかかるけれど弱者が


資本主義のなかを生きていくうえでは必須の知識だと思う。





そして、これ。






高城剛 「ひきこもり国家」日本


p145


人間がお金を使う対象はサービスやモノの購入にあるが、増殖され続けるお金はやがてサービスやモノの絶対量を超えていく。そうすると、売買する対象に自然が加わることになり、環境を浸食していくようになるのだ。・・・極論を言えば、現在の資本主義と環境の保全はまったく矛盾している。






いまの金融資本主義というシステムでは


お金は増え続けるものなんだけれど


いずれ資源が枯渇するから修正を余儀なくされる。


成長は物質的豊かさをもたらし世界のどこかが成長しているから


リターンがあるわけだけれど、いまの環境問題の本質は、


成長自体が環境を破壊する原因になっているということ。


そしてエネルギーの供給がなくなれば成長は止まる。


だからおれが年金をもらうころ(30年後ぐらい?)には


世界の金融システムはたぶんいまとは異なる姿をしているはずで


そのとき金融資本主義によって年金システムが支えつづけていられるのかは


なんだかグレーゾーンだと直感的には思う。


われわれは、変化につぐ変化の忙しい時代を生きていかねばならないわけだ。





四冊分の感想文を書こうと思ったんだけれど


長くなってしまったのでつづきはまたこんど。


火曜日, 1月 01, 2008

flying rat


あけましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

年賀状、今年は浮遊感のあるネズミってやつを追求して

去年と同じく、ムダに下絵をたくさん描いた。

白い紙の上に、自分のイメージをかたちにしていくプロセスが

面白くて元旦をつぶす。

というわけでこれが完成形の"flying rat"。

f:id:toooru:20080102125410j:image



おまけで今年も進化の様子を大公開!

メイキングっておもしろい!と思う。

1/10.左上の絵が一番初めの絵

f:id:toooru:20080102133212j:image

2/10.迷走中

f:id:toooru:20080102132927j:image

3/10.ネズミの鼻まわりの形を理解する。

f:id:toooru:20080102133357j:image

4/10.上を向いている顔が徐々にできてくる。

f:id:toooru:20080102133625j:image

5/10.顔がアトラクターに落ち込む。

f:id:toooru:20080102134224j:image

6/10.胴体を探索する。

f:id:toooru:20080102134651j:image

7/10.胴体を探索する(その2)。

f:id:toooru:20080102134848j:image

8/10.揺らぎ。口を開けたくなる。胴体が完成。

f:id:toooru:20080102135109j:image

9/10.手足の探索。

f:id:toooru:20080102135258j:image

10/10.すべて完成。

f:id:toooru:20080102134001j:image


リンク:

2007年の年賀状

http://d.hatena.ne.jp/toooru/20070107

2006年の年賀状

http://i-mind.blogspot.com/2006/01/blog-post_02.html