月曜日, 1月 31, 2005

first contact


byebye

アーノ一家を地元の八菅神社と宮ヶ瀬ダムに連れていった。
八菅神社は幼い頃から遊びにきていて今まであまり気にしなかったのだけれども、うっそうとした林の中を長い石段が上まで続いている感じがとてもいい感じだなと思う。宮ヶ瀬ダムも湖が緑っぽい青い色をしていてよかった。

家に帰ってきたら兄夫婦がきていた。姪とルーのファーストコンタクトは不発におわる。ルーはナーサリーに行っていて他の子と遊ぶのに慣れているのだけれど、姪はなれていなくて親から離れようとしなかった。残念。

夜は愛甲石田にある日本料理店「都屋」へ両親と一緒にいく。父親が英語を話している姿はなぜか新鮮であった。都屋の料理は高いけどもとてもおいしい。

土曜日, 1月 29, 2005

鎌倉


瑞泉寺

アーノ一家をつれて鎌倉へ行ってきた。
藤沢から江ノ電にのって海を見ながら鎌倉へ。

鶴岡八幡宮→荏柄天神社→鎌倉宮→瑞泉寺→鎌倉武士というそば屋さん→覚園寺→「こ寿々」というわらび餅屋さん→高徳院の大仏

の順でまわる。総歩行距離は5kmぐらいであろうか。とにかく歩いた。2人は歩くのが好きらしい。そういえばパリにいったときも一日中あるいていた気がする。古い町並みがとても気に入ったらしい。

荏柄天神社や覚園寺もよかったのだけれどとくに瑞泉寺がよかったと思う。なんとも言葉にしがたいのだけれども、よいものに触れたという感覚が残る。アーノもアドリーンもとても喜んでくれたのでよかった。

金曜日, 1月 28, 2005

らくえん


hato

芸大の卒展をみにいった。
汚れた校舎の汚れた部屋部屋の中に大きな絵が何枚も展示されていた。
その雰囲気が高校時代の学園祭を想起させていい感じだなと思った。
ここはアートの「楽園」なのだなと思う。
植田君のラブリーな絵を拝み、蓮沼画伯の鳩の絵をみてほほえむ。
昔、伊藤若沖の鶏の水墨画をみてから線のすごみというものがあるということに気がついた。線の世界で勝負をしている人々。彼らの絵にゆるい線はなかった・・と思う。

シミュレーション。パラメータ空間を完全に掴めた気がする。

火曜日, 1月 25, 2005

感想文

天外さんの「運命の法則」をよんだ。
エンジニアの教育を受けてきたせいかとても共感した。エンジニアの本懐ここにありという感じであった。
新しいことをするということは、いかに波に乗るか?という比喩がよくあうきがする。
そこでは運と実力が複雑にからみあう。新しいパラダイムシフトがおこるとき、それを切り開くだけの専門性がなければ前進はできないだろう。一方、いくら努力しても自分の分野には一生パラダイムシフトは起きない可能性もある。
波に翻弄されながらいかに心を平静にたもてるか?いかにすればそういう波とうまくつきあえるのか?創造法とか発想法の本はたくさんあるけれど、いかにそういう行為を人生と調和させるか?ということが言語化されている本はなかなかなくて、そういうところがこの本にはかかれてあっておもしろいと思った。

土曜日, 1月 22, 2005

脳とデザイン

 アーノは今日から北海道へいっている。来週の金曜日からウチに泊まりに来る。

 ゼミの当番の日。朝研究所にいくとなぜか天外伺朗さんの「運命の法則」が机の上に載っかっていた。それもサイン入り!昨日セキネにこんな本があるようだという話をしたら、ボスの部屋に転がって(?)いるのを見つけて置いておいてくれたらしい。早速読まねば(笑)。

 ゼミの後、朝カルへ。ボスと原研哉さんの対談を聞いた。「脳とデザイン」という題で3700円とられたけど、その価値はあったと思う。原さんが「物の潜在性を意識化する」と言っていて、カントもこんなこといってなかったか?と思う。デザインの最先端で活躍している人はある種の哲学者なのだなと思う。infomationとexformationの話とかも意味論・コミュニケーション論の文脈で出てくる話なのだが、それがデザインの文脈で語られていて新鮮だった。デザインの最先端で活躍している人の物に対する考え方・感じ方はなんておもしろいんだ!と思う。しかも、脳科学の世界の問題がそのままパラレルにデザインの世界に存在している!ということがなんとなくわかってエキサイティングであった。

金曜日, 1月 21, 2005

湯葉湯葉湯葉

 アーノ来日四日目。今日は表参道にある豆腐料理店「梅の花」で夕食を食べた。純和風な高級料理店で個室をサヅカさんが予約してくれていた。梅の花というコースが4500円したのだけど、こんなに美味しい豆腐料理は食べたことがない!というぐらい美味しかった。アーノとアドリーンもとても喜んでいた。なんというかとても喜んでいる2人をみていてら、こんなに素晴らしい料理をつくってくれたご先祖様ありがとうという感謝の気持ちでいっぱいになったのであった。昨日まではウツ気味だったのだけれど美味しいものをたべたら元気がでてきた。

木曜日, 1月 20, 2005

Lou


sekine撮影

毎日アーノと夕食を食べる。今日は表参道のとんかつ屋「まい泉」で夕食を食べた。とんかつはさくさくしていて、それでいてじゅわーと口に広がる食感がとてもよかった。ルーは今日も元気全開でアドリーンとアーノは落ち着いて食べる暇がない。子育ては体力勝負なのだな・・と思う。会話はほとんどサヅカさんにまかせていて、たいして英語を話しているわけではないのに頭がとても疲れて電車の中で寝てしまう。接待も体力勝負である。

火曜日, 1月 18, 2005

アーノ来日



 アーノが日本にやってきた。サヅカさんが忙しいのでかわりにホテルまで案内するために赤坂駅へ迎えにいった。ちかごろめっきり英語を話す機会がなくて、かつ電子辞書も忘れていることに気がついて内心どきどきして待っていたら、待ち合わせの5時を15分すぎても現れない。うろうろしていたらアーノから電話がかかってきていま赤坂見附駅にいるよ!といわれ赤坂見附駅へダッシュする。
 
 3年ぶりにアーノとアドリーンと再会。アドリーンはあいかわらず凛としていた。ルーはベビーカーの中で眠っていた。とったホテルはいま人気のウィークリーマンションで、一泊二人で1万2千円でとてもよい部屋だった。ベビーカーからルーを起こしているのを見ていたらなんとルーが歩き出すではないか!姪と月齢がほとんど同じなのでおどろいた。うちの姪はまだ歩く気がぜんぜんない。ルーはラ!ラ!ラ!とことばをはっしたり歌らしきものを口ずさむ。うちの姪よりもいろんなことができるな・・と思う。
 
 その後、サヅカさんとその彼女と合流して、和風居酒屋、箸丸へ。サヅカ・アーノトークを聞いていた。まだまだあのスピードにはついていけない・・。ルーはご機嫌であった。アーノが日本に滞在している間にすこしでも英語が上達すればいいなぁと思う。

月曜日, 1月 17, 2005

Reality

 正月に放送されていた佐藤雅彦さんの番組をビデオみた。
"animation for concept"というコンセプトで、映像によって「考え方」を理解してもらうことをねらっていて、すばらしいと思った。(以下抜粋)
 
・・entertainmentからinterestへ。これまでのentertainmentの作品では、みる私たちが受動的に娯楽を与えられてました。それとは異なり「考え方」をもとにした作品では、それに接する私たちが主体的に作品に関わるよう導いてくれます。分かる楽しさ、知りたい気持ち、つまり、interestを重視する方向へ。見る人と表現の新しい関係を提案しているのです・・

hotwiredに「ゲームに熱中しすぎて現実との区別が曖昧に」という記事があって
http://hotwired.goo.ne.jp/news/20050113202.html

何にリアリティを与えるのか?という問題があると思った。
脳が感じるリアリティは現実の日常の生活だけではない。脳はなんにでもリアリティを感じることができる能力を持っている。問題は、感覚レベルの脳活動にリアリティを与えるのか?抽象レベルの脳活動にリアリティを与えるのか?ということで、

例えば、ゲームでは、特にカーレースとか、フライト・シミュレーターでは、脳の感覚レベルの脳活動にリアリティを与える。これらのゲームの体験は感覚入力・運動出力・情動の報酬が密接に絡み合っているのだけれども、それを体験することによって、世の中の見方が変化するようなものが得られることは稀なのではなかろうか。その理由はそれらの刺激が主に脳の動物的な部分しか活性化させてないからなのだと思う。
 
 もしも日常の生活に影響を与えるようななにかをつくりたいならば、脳の抽象レベルの脳活動にリアリティが形成されるようデザインする必要があると思う。さまざまな日常で経験する具体的な体験をある共通の「見方」「考え方」でくくれるような、抽象レベルの知識に脳がリアリティをもてたとき、ヒトの創造性は活性化されるのではなかろうか。

そんなことを考えていたら、佐藤さんの方向はすばらしいのではなかろうかと思った。

地震対策

 昨日地震の番組がやっていて、鎌倉の大仏には昔は大仏殿があったことを知る。それが明応四年(1495)の大津波で流されてしまったらしい。海から1キロも離れているのになんと津波は川を逆流して大仏殿を流してしまったらしい!大仏の肩がすこしへっこんでいるのは、そのとき柱が倒れたときについたものだという。
 明日からフランス人の友人アーノが奥さんと子供と一緒に観光で日本にやってくる。うちにも3泊する予定で、もしそのとき鎌倉にいくことになったら教えてあげようと思う。

 東海地震は30年以内に80%の確率で起きると言われていて、関東直下の地震はなんと2005年±5の確率で起きると予測している研究者がいるらしい。これはやばいなぁと思い始めていろいろとシミュレーションを始める。

 とりあえず簡単にできることとしてパソコンのバックアップを毎日取るということを考えて、フラッシュメモリーがほしいと思い、いろいろ調べたら、1GBのコンパクトフラッシュが8000円で買えるらしい。これは安い!と思ったのだけれど、でもどうせならiPod shuffleを買ったほうが得じゃないか?と思いはじめて調べたら1Gタイプが16000円だった。でもiPod shuffleは液晶がないのでパソコン内でiTuneのライブラリーを充実させてないとあまりうれしくなくて、俺のPCのハードディスクの大部分は研究データに占められていてiTuneのライブラリは全然ない。それでiPod shuffleを買ってもうれしくないなーと思い始めて買うのを断念。そんなことを考えていたら半日が過ぎていた・・。

もし電車の中で地震が起きて、バックをなくしてしまったら、PCの中のデータはすべて消える・・。
もし家が地震で火事になったら、家にある本やバックアップのデータがすべて消える・・。

なんでパソコンのデータのことばかりなんだ!と自分につっこみをいれつつ、でも考えておいたほうが良い問題がたくさんある気がした。

金曜日, 1月 14, 2005

blueprint

 地元の図書館で湯川秀樹全集4の「科学文明と創造」を借りた。湯川秀樹はかなり創造性について発言していて「同定の理論」と言っている。要はひらめきは比喩によって支えられているということで、それはいま考えているメタファーネットワークにつながる・・と思う。あと小林秀雄全集から小林秀雄と湯川秀樹の対談をコピーした。

 考えを整理しているうちに、ついにpaperのブループリントが頭の中で完成!!したっぽい。オチがつきそう。「spatialな確率共鳴」でいくしかないかな。

木曜日, 1月 13, 2005

微速前進

 朝起きたら鬱だった。脳内麻薬がきれて禁断症状っぽい。
 余計なことを考えずに無心に本テーマである自発発火の研究をしていたら波に乗り出した。
 タナベがおもしろい結果をだしたっぽい(^0^)/。後輩はみんな優秀ですね。
 最近いろいろ今後の進路のことについて考える。「新しい分野を切り拓く」というイメージをなによりも大事にしたいと思ふ。

水曜日, 1月 12, 2005

high tension

頭が脳内麻薬でラリラリ状態。頭がよく回る。かといって本テーマではなくて副テーマについて考えているときになる。なんというか考えるに値する素晴らしい問題がある!・・ような気がしている。これは躁状態か。現実逃避ともいう。ファインマンのエッセイ、「ご冗談でしょう、ファインマンさん」にあるファインマンが遊びで計算を始めると止まらなくなるというくだりを思い出した。(以下抜粋)

 僕は引き続きぐらぐらする動きの方程式をつくりだしたあげく、相対性理論では電子の軌道がどのようにして動き始めるかを考えた。しかし電気力学にはディラック方程式があり、量子電気力学があるではないか。こうして僕は自分でもきがつかないうちに(あっという間だった)、ロスアラモスに行くために中止した、あの僕のお気に入りの問題を相手に「遊び(遊びというよりほんとうは仕事だったが)」はじめていたのだった。それは僕の卒論に似たタイプの、あの旧式ですばらしい問題ばかりだった。・・・こうなると努力なんぞというものはぜんぜん要らなかった。こういうものを相手に遊ぶのは実に楽なのだ。びんのコルク栓でも抜いたようなもので、すべてがすらすらと流れ出しはじめた。この流れを止められるものなら止めてみようと思ったぐらいだ。そのときは何の重要性もなかったことだが、結果としては非常に大切なことを僕はやっていたのだ。後でノーベル賞をもらうもとになったダイアグラム(ファインマン・ダイアグラム)も何もかも、僕がぐらぐらする皿を見て遊び半分にやりはじめた計算がそのそもの発端だったのである。

 もしも自分の脳が物理の数式にリアリティを感じることができたのならばきっとこれに近い状態になれたのかもしれない。残念ながら、自分の頭は、どちらかというと、統合失調症のヒトが、思い出したくない嫌な記憶を隠すために新しい偽の記憶をどんどん作り出してしまうというスクリーン・メモリーの状態に近い気がする・・。ふぅ。

火曜日, 1月 11, 2005

いろいろ

 自分と同じことをしているかもしれない論文を読むのは苦痛である。とてもストレスがかかる。それでだらだらと読んでいたら連休が終わってしまった。でもまだ読めてない。

 金曜日の夜、計見さんの「統合失調症あるいは精神分裂病」という本をアマゾンでオーダーしたら日曜日に届いた。昨日、新聞で「進化しすぎた脳 中高生と語る「大脳生理学」の最前線」という本を天外さんが絶賛していたのでオーダーしたら、翌日の今日届いた。なんて速いんだ!でも読む暇がない。

 日経新聞の「美の美」という欄でセザンヌが紹介されていてとてもよかった。(以下抜粋)

・・・セザンヌは3次元の現実世界を、いかに2次元の平面空間に収めるかと言うことをとことん追求した人である。・・・セザンヌは、こうした表現物の巧みなデフォルメを駆使する2次元空間の革命的表現者であり、創始者であった。ピカソはもちろん、ブラックもマチスもその追随者となった。・・・

 セザンヌは表象の革命者だったことがとても新鮮だった。紹介されていた「マンシーの橋」はオルセー美術館にあるらしい。2年前に行ったけれどまったく覚えてない・・。もったいないことをした。
 セザンヌが3次元の現実世界を、いかに2次元の平面空間に収めるかということをとことん追求したように、脳科学者は、現実の世界をいかに「イデアの世界」に収めるかということをとことん考えなくてはならないのではなかろうかとふと思う。

金曜日, 1月 07, 2005

停滞

 「情報は物理である」という言葉にひかれてLandauとBennetの日本語の資料を集めにスズカケとオオオカヤマの図書館をまわった。シセンでねぎ胆湯麺を食べた。

 白髪の抜け毛を生まれて初めてみた。まじまじとみた。とっておくべきかすててしまうべきかとても迷ったけれど捨ててしまった。

 明日のゼミの準備をした。論文を読んでいると「A」というデータと「Not A」というデータがある。悩ましい。

木曜日, 1月 06, 2005

微妙に前進

電車の中で脳の創造性における意識・理性・情動の関係を表すおもしろい図式を思いついた。
これをゼミで発表すればpaperのためのfigureの遅れを許してもらえるであろうか・・。

やっと、自発発火に頭がカムバック。生理学の論文のデータを眺めていたら、考えるとっかかりを得る。

水曜日, 1月 05, 2005

氷が融けたら温暖化

 東工大名誉教授の森政弘さんの本:「機械部品の幕の内弁当 ロボット博士の創造への扉」がアマゾンから届いた。
 おもしろい話がかいてあって、昔、森さんが東工大で授業をしていたときしばしば学生に「氷が融けたらなんになる?」と質問していたらしい。そうすると誰にきいても東工大生は「水です!」と答えたという。森さんは「氷が融けたら春になる」ぐらいなぜ言えない?と思ったらしい。

 養老さんの「考えるヒト」に、科学の実証とは脳の中の規則と、外の世界の規則を対応させる行為である、とかいてあって、この言葉にいたく感動してそれからずっと脳の中の規則について考えていた。脳の中の規則では、氷が融けたら春になってかまわない!それを水にしてしまうのは外の世界の規則にばかり注意が向いているからだろう。もしも、笑いの法則というものがあるのなら、それは脳の中の規則がそのような性質をもつ、ということができるだろう。それは外の世界の規則とはまったく対応してないのだけれど、脳の中の規則のなかには確かに実在するなにかなのだ・・と思った。

火曜日, 1月 04, 2005

小さなウェブ

google desktop searchにうつつをぬかしているうちに一日がおわる。
どうも*.txtにかかれている日本語はindex化してくれないらしく、検索してもひっかからない。つかう意味がない!と思いながらもいじっていると、どうも*.txtの中の英語の単語を検索で引っかけて、IEで*.txtを開くと、google desktop searchはそれをhtmlと認識してくれて中の日本語もindex化してくれることが判明。でも数千あるtxtファイルをすべてその方法で開くのは不可能なので、次のversionに期待するしかないという感じである。

パソコンの中に情報をためていくと、パソコンのなかに小さなウェブができあがってくる。問題なのは検索して表示するときの優先順位をどうやって計算するかで、googleはページの被リンク数をつかって優先順位を計算しているのだけれど、それはウェブがリンク構造でできているから可能なのであって、PC内のデータ間にはそのような明確なリンク構造はない。頭の中の記憶&概念のネットワークだけが、PC内のデータ群にウェブ構造があることを保証する。なので、どんどんパソコンの中にデータを蓄えていって、PCの中の小さなウェブがどんどん拡大しつづけたとき、PC内を検索したときにどうやって優先順位を計算するか?は重要な問題になるのではなかろうか。




月曜日, 1月 03, 2005

いろいろ

 朝日新聞の正月版の「ひらめきの一瞬」という特集で川上弘美さんの文章がよかった。以下抜粋。

 小説は架空の物語。考えるときは自分のまわりを空白にする。テレビや電話など普通の生活から離れ、家で寝そべって何もせず、じっとしています。
 書き出しが浮かぶと内容が追いかけ、それを文章が追いかけてくる。でも、感じたことを言葉に定着させるのはけっこう論理的な作業だし、書き上げるには構築も必要。その意味で小説を書くには理屈っぽい面があった方がいいかもしれない。
 ただ、科学でもノーベル賞のような大発見は偶然や直感によるものが多いという。小説でも役に立たないことや好奇心の積み重ねから、たまたまうまく書けることもある。通じるところがあるのではないでしょうか。

 小説が書きたくていいと思ったのではなくて(笑)、言語化するときの内観がリアルに描写されていて、創作というのは無意識と意識の共同作業なのだということが感じられて面白いと思う。

 電子メモ考察。1つのアイディアは同時に2つ以上のカテゴリーに属する場合があって、それは今つかっている「紙 copi」というソフトでは、1つのアイディアが1つのカテゴリーにしか属せないから、うまく整理できなくなっている。ジャングル化している。1つのアイディアをもってきたときに、それがもつ多義的なつながりを動的に整理して視覚化することはできないのだろうか?
 そんなことを考えながらネットを調べていたら、googleの「DeskTop Search」が日本語対応であることを知る!これはすばらしいかも。

日曜日, 1月 02, 2005

元旦

 新年あけました。今年は博士3年目。勝負の年。あと人生の分岐点の年。研究者として食べていける道が見つかればいいのだが。

はやく論文、まとめないと。年が明けて焦り始めた。

畑村さんの創造学によると、創造には抽象化のレベルと具象化のレベルがあって、双方を行ったり来たりしないといけないんだけれども、「アイディアのぷよぷよ連鎖」はきっと抽象化のレベルの話だったのだと思う。今年はいかに具象化・具体化するか?の問題について考えようと思ふ。

とりあえず英語で論文をかくスキルを身につけないと。