土曜日, 2月 25, 2006

一週間。

月火。研究会の準備にいそしむ。

水。研究会。
発表は不発だったけど異分野交流は刺激をうけましたでござります。

木。一人反省会をしていて、
マインド・マイニング構想を思いつく。
自発発火の研究は、マインド・リーディングやサイボーグの研究に
つながると思う。

金曜。
ゼミ&ながしまん飲み。
偏った知識が新しい価値を生むということを証明しまする。

Yahoo!動画でアニメが無料でみられることを知って
タイムボカンシリーズのゼンダマンの第1話をみた!

http://yahoo.tv-bank.com/ch00048/

オープニングの企画のキャプションで父の弟の茂おじさんの
名前が出ていて、おおおぉーと思う。
タイムボカンシリーズの黄金時代におじさんはタツノコプロで働いていた。
小さい頃、タイムボカンシリーズのロボットをおじさんから
よくもらって遊んでいて、その後のロボット好きの軌道に乗せられた
気がする。ドラエモンとガンダムの影響も絶大だけども。。
メイに、あれがあったからいまの私があると言われるような
何かをプレゼントせねば。

「説明しよう」というナレーションで、ストーリーが
どんどん都合よくすすむのがなんだか新鮮だった(笑)

今日。
悪寒と頭痛がする。
風邪をひいてダウン。。。

土曜日, 2月 18, 2006



2/16
在学延長届けを出しに1ヶ月ぶりにすずかけキャンパスにいった。
キャンパス自体が秘密基地みたいなところだけれど、その中央には沼がある。
昔、就職かD進学かを悩んでたり、アイディアが思い浮かばないときに
この沼をよくぼーっと眺めていた。そんなどんより気分な記憶しかない沼が
今日はなんだかとても映えていた。

2/17
ゼミ。当番。
自発発火とfMRIの研究が融合して業界に新しい流れが生まれていることに
気がつく。いいじゃないか!水曜日のイケガミ研との合同研究会の題目を
「自発発火から見た脳というシステム」に決める。内容を考えないと。

オリンピック。
スノーボードクロスはおもしろい。先頭の3人が団子状にコけて、
ビリだった選手が突然先頭にたったりするところがいい。

モーグルもおもしろい。モーグルをみてどきどきするのは、
脳が、ミラーシステムによって、他者がつくりだす回転や3Dの運動を、
自分の身体系でなぞっているからではなかろうか。
きっと、8本の腕を自在に動かす人の映像をずっと見続けたら、
脳内でなにかが再構築される気がする。たぶん。

保坂和志の「小説の自由」を読み始める。おもしろい!
仮想世界の構築の仕方について述べている、と思う。
言葉のアーキテクスト。

CGとかゲームでは、Virtual Realityといって、人の脳にいかにして、
「仮想現実」を体験させるかということが研究されているけれど、

言葉で風景をどう描写するかという問題は、「仮想世界」をいかに構築するか
という問題で、この本は、それについて考えるということが
可能であるということに気づかせてくれているところがすごいと思う。

「仮想現実」と「仮想世界」はちがう、と勝手に定義する。
「仮想現実」は感覚体験(感覚野の活動)が必要で、
「仮想世界」はイデアでありイメージの世界である、とする。

小説の作り出す世界は、イメージの世界で、
感覚化・現実化は伴わない。それが感覚化してしまう
ということを幻覚をみるというんだけれども、普通は、小説を
感覚化するために、映画化というプロセスがある。

創造において、抽象的な思考・アイディアを具象化・具体化させる
プロセスにもっともコストがかかるように、
脳にとって、外界に頼らずに、イメージを感覚化する・イデアを実在化させる
プロセスには、かなりのコストがかかるのではないか?(情報理論的にも)

なのに、脳は、夢の中で、小説で体験した「仮想世界」の記憶から、
軽々と「仮想現実」を生み出すことができる。そこがおもしろいと思う。

木曜日, 2月 16, 2006

まんだら

マンダラをかきたい、とふと思う。
いまもっている脳のイメージをマンダラにしたい。

セキネに「マンダラかきたい」といったら、
「僕は止めませんよ」と言われる。


土曜日の日経新聞に南方熊楠が考案した
南方マンダラの話がのっていて、とても面白かった。


・・・「南方マンダラ」は1903年7月の書簡に熊楠が描いた図で、物事の因果関係を説明するモデルといわれる。原因、結果が一直線でつながる近代西洋科学とは異なって、複数の曲線と直線が絡み合う、様々な因果関係が相互に影響する様を描き、科学の方法論に、偶然や確率を導入したとされる。・・・

・・・「南方マンダラ」は決してとっぴな発想ではなく、法龍との交流から得た密教の抽象的な概念と、熊野の山を歩き回って得た具体的な自然の観察結果を融合させ、「実世界を理解するモデルを作ろうする試みから形成されてきた」。・・・

・・・熊楠はもともと聖の世界の論理である曼陀羅を使い、俗界を説明する道を開いた。彼のおかげで実世界の様々な関係性を曼陀羅で読み解くことが可能になった。・・・


社会学では、南方マンダラはいまでも社会を理解するための、
汲めども汲めないインスピレーションをあたえてくれているらしい。
これはおもしろい!と思い、中沢新一の「南方マンダラ」という本をかう。
紹介文があつい。

楽しいかな学問。「南方曼陀羅」の全体構造をあたえられた学問は、宇宙の不思議を前にして、驚きと喜びにみたされている。・・熊楠は一生涯、そういう学問しかやらなかった。そうでない学問などには、何の関心もしめさなかった。「南方曼陀羅」は、そういう人によって、人生の至高の楽しみを与えるための極意として、考えだされたものなのだ。



熊楠は、上の図を生み出すのに10年かかったらしい。
いったいどんな理論なんだ!(笑)

南方熊楠って、南紀白浜の南方熊楠博物館にいったときは、
粘菌の研究をした人っていう印象しかうけなかったけど、

マンダラがだんだんネットワークにみえてきて、
そうしたら、熊楠は実は、いまサイエンスで勃興している自然界をモデル化した
複雑系ネットワークの先駆け的な研究をしてたんじゃないのか?
と思うようになる。

マンダラ脳理論を想って今日一日が終わる・・・。

水曜日, 2月 15, 2006

道草

川上弘美のエッセイ、「ゆっくりさようならをとなえる」をよみおわる。
帯紙に 道草したい、日もあるさ と書いてあった。
道草、道草。ずっと、道草。

日常を描いているところが、とてもいい。
というか、すごいと思う。
みならって、日常を描いてみる。

久しぶりに頭痛のない朝だった。

でも喉がいたい。かりんののど飴を一日中なめる。

朝ご飯。ゆで卵とキャベツのみじん切りと納豆ご飯。

小林秀雄を聴きながら、海老名駅まで車で通う。

新宿のビックカメラでDVD-Rを買う。次郎ラーメンにいくかどうか
迷ったけど思いとどまる。

五反田駅から研究所まで10分の道。火曜日は読みたい雑誌がないので
ファミリーマートをスルー。
歩きながら、ネンデルタール人は言葉を話していたのかどうか、とか
友人が教えてくれた「折りたたみナメクジ」という言葉について考える。

研究所。
半袖姿のタナベをみて、はじめて今日は暖かい日であることに気がついた。

松屋で牛丼350円。

自発発火の研究は停滞中。とっかかりを見失う。道草もいいじゃないか、
とつぶやきながら言葉について考える。

日経サイエンス 「人類の文化の夜明け 早かった象徴表現の起源」をよむ。
シンボルをつかいはじめたのは進化のどの時点からか?
イヌも200個の単語をおぼえる。チンパンジーも教えれば記号を使いこなす。
でも彼らは自発的に世界を分節化し、記号をつくりだし、
それを用いてコミュニケーションをとるようなことはしない。
非言語コミュニケーションと言語コミュニケーションの
中間形態はどのようなものだったのか?

ネアンデルタール人はヒトと同じ脳の大きさをもっていて、おそらく言葉を
話していた。彼らは、氷河期のヨーロッパ大陸に適応し、一時期は50万の
人口を誇ったという。彼らはどんな社会をつくり、どんなコミュニケーションを
とっていて、そして、3万年前、どこへ消えた?
「あなたのなかのサル」を読んでからそういうことが気になる今日この頃。

「折りたたみナメクジ」はおもしろい。セキネにそのはなしをしたら、
「おばあちゃん座礁」に似てるという指摘をうけて、いろいろつながる。
ランダムでもなくレギュラーでもない言葉の意味の組み合わせ領域があって、
脳の「わかる」状態を捉えるには、その領域が利用できる気がした。

思いつきではじまった共同プロジェクトもセキネがやる気で進行中。

タナベが、オマケイ、セキネと3人でわけてねーといって、
ロッテパイの実と、その他チョコ2種類をくれた。

10時30帰宅。父親が大量に持ち帰ってきたチョコレートをかじりながら
オリンピックをみる。

そしていまここにいる。おやすみなさい。

月曜日, 2月 13, 2006

笑いと心の理論の共進化

母親が楽しそうにメイのはなしをする。
メイは食いしん坊で甘いお菓子に目がない。
食べ過ぎないようにタンスの上にお菓子のお皿を移動してしまうと、
メイは、自分用の小さな椅子をタンスの下にもってきて、
その上に乗って、一生懸命、タンスの上に手を伸ばす。
と同時に、こちらの様子をうかがって、クスクスと笑うのだという。

このエピソードから2つおもしろい!と思ったことがあって、
一つは、メイは自分の行為を見て、他人がどう思うのかということが
すでに分かっているということ。もう一つは、自分の行為によって
おばあちゃんとの間に生じた緊張を、
メイは笑いによって解消しているということ。

そうおもったら、正高さんの、笑いは個体間の緊張を解消するために
進化したという説を思い出した。

群をつくって生きていく類人猿にとって、個体間の緊張を和らげるというのは
死活的な問題で、チンパンジーも笑うらしいんだけれど、
チンパンジーが個体間の緊張を解消する方法は、主にグルーミング
(相手のノミをとってあげる行為)をすることだという。

ヒトは、チンパンジーよりも、積極的に、笑うという行為を進化させた。

きっと、「心の理論」が進化すればするほど、他者の心がわかるようになって、
自分の欲求と他者の欲求の衝突が、頭のなかで思い描けるようになる。
笑いはきっと、その緊張・ストレスを解消する重要なコミュニケーション
ツールとして進化してきたに違いない!メイのはなしをきいてそう思った。

日曜日, 2月 12, 2006

思考・感情・感覚・直感

最近、河合隼雄の「ユング心理学入門」を読んでいて、
人のタイプ論の話がおもしろい。
ユングは、人は思考・感情・感覚・直感の4タイプで特徴づけられて、
思考と感情、感覚と直感は対立の関係にあると考えた。

この分類は、脳科学的にはどうなんだろうと思うところもあるんだけれど、
日頃感じている感覚とすごく合っていて、いろんなことが整理できる
見方だと思う!

同じく最近ユングにはまっているオンゾーに俺ってどう見える?と聞くと

思考 > 直感=感覚 > 感情

と言われて、あー、自分のイメージと一致している・・と思う。

東工大の名誉教授で、森政弘さんというとてもユニークな先生がいて、
「機械部品の幕の内弁当」という本の中で、森さんが授業で、
「氷が融けたら何になる?」
と東工大生に質問したら、みんな当たり前な質問をするなという顔をして、
「水ですよ」と答えたという。

森さんは、エンジニアは物事を物理的に把握する見方に慣れすぎていて
詩人や文学者のように物事を心理的に把握する視点が弱い傾向にあることを
問題だと思っていて、前者の見方を外側発想、後者を内側発想と呼ぶと、
森さんは、実は
「氷が融けたら春になる♪」
みたいな内側発想の視点が、エンジニアリングにおいても
重要なんだと言っていて、ずっと気になっていた。

森さんの外側発想と内側発想が対立するという話と、ユングの
思考と感情に対立するという話が同じことを言っている気がして、

そうしたら、ここ2年ぐらい、ずっと気にしていたのは
思考にいかにして感情を統合させるか?という問題だったんだ!
ということに気がつく。精神分析はおもしろい。


内側発想的なことば。
ふと思い出したのが、昔飲み会で耳にしたこのセリフ

君のハートをダブルクリック

これを思い出すといつも笑っちゃうんだけれど、
どれくらい普及しているのかなーと思って、ググってみると、
57件のヒット。

ハッ!と思いついたのがこのセリフ

君のハートをハッキング

ググると1件のヒット(笑)。

もっと、どっかーんってわしづかみな感じのセリフはないのか!と
思案して思いついたのがこれ

君のハートをビックバン

グーグル、0件。

うーん・・。

木曜日, 2月 09, 2006

今夜はボノボ



メイが土曜日にやってきて、
日曜日に、早くおうちに帰りたいよーと泣きながら帰ったんだけど、
車のなかでずっと寝ていて、家についてもそのまま寝てしまった。
そして、朝起きると、自分がどこにいるのかはじめ分からない様子で、
家に帰ったことがわかると、朝からずっと、
「ジージとバーバの家にいきたいよー」と騒いでいたらしい。

2歳と3ヶ月。1日前の非日常的な体験のエピソードを
思い出すことができるようになっていて、いまいる「現在」に過去の
エピソード記憶がどんどん入りこんできて、「現在」の行動に影響を
与えるようになってきているところが、おもしろいと思う。




日曜日に友達に誘われて、江戸東京博物館で歌川広重展にいく。
両国駅で、お相撲さんが駅前のコンビニに買いものをしにきている
風景をみて、いとをかしと思ふ。

広重の名所江戸百景はすごい良かった。江戸東京博物館の常設展示も
江戸時代の暮らしから昭和の暮らしまで展示していておもしろい。



売店でみつけた広重の「大はしあたけの夕立」のポストカードが
なんだかとてもいいと思う。



大胆な構図がいい。エメナルドグリーンの明るい川によって
雨が優しく降り注いでいるように見えるところもいい。そして、
雨の存在で画面全体に動きが感じられて、行き交う人々もなんだか
動いているように感じられるところがいい。
ゴッホが模写するわけだ!




ここ数日、道徳について勉強しようと思って、フランス・ドゥ・ヴァールの
「あなたのなかのサル」を読んだ。
権力闘争に明け暮れるチンパンジーと、乱交で平和主義のボノボ。(以下抜粋)

ここヤーキースでは、オスたちの権力闘争、チンパンジー社会のネバーエンディング・ストーリーが展開されている。争いの原因は、突きつめればメスだ。ヒトにいちばん近い類人猿の、決定的なちがいがここにある。いっぽうはセックスのごたごたを力で解決し、もういっぽうは権利争いをセックスで解決しているのだ。

・・・・・
チンパンジーの社会は競争に重点がおかれ、
ボノボの社会は協調に重点がおかれている。
ヒトの社会は、どちらの種の特徴も包含しつつ、
父親が育児に関わる核家族というしくみを生み出すことで
独自の社会を進化させてきたという。

類人猿の心の理論、共感、道徳の起源の話がとてもおもしろい!

霊長類研究者の間では、「今夜はボノボするぜ」である意味が通じるらしい。

藤原正彦さんの「国家の品格」や、この「あなたのなかのサル」をよむと
世界は、いまポスト資本主義を模索している。どうもそういうことらしい。




今日、「思考」について考えていたら、
なにを言っているかわからない他人が書いた文章っていくらでもあるけれど、
自分が理解できない文章を自分でかくのは結構難しいということに気がついた。

例えば、

そこにあるリンゴが、スカート吊るしている

のようなイメージが全然つながらない文章。

アハ!センテンスを考える難しさの一因はここにあるような気がする。

山鳥さんが「「わかる」とはどういうことか」という本で

わかる、とは自分のものにすることです。長々と文に表現されているものが自分の概念(心像)としてひとつのイメージにまとめられることです。

と書いていて、

思考が生み出すイメージの連続は、「わかっている」ことの連なりで、
そして、意識は「わからないこと」に出会うと、「わかろう」とする。

意識というものがそもそも、無秩序から生成されている秩序そのもので、
その意識が生み出す思考という運動は、
秩序をもった「わかっている」ことの連続によって構成されている。
だから、意識的に、無秩序なデタラメな文章を
つくろうとすると、難しいのかなーと思う。

金曜日, 2月 03, 2006

道徳&笑い

「道徳を守るアシモ」をつくるための理論を思いついた。

いや、ほんとうに。

私はようやく、すべてを理解しました。このときをずっと待っていたんです。
不意にすべてがのみこめました。

(笑)

だから、頭痛がとまらないのか・・?


笑いはロマンスへの扉を開きます
というニュースをみつけた。

女性達はユーモアを持つ男性達を高く評価(彼は楽しい人だわ)し、
男性達は冗談を理解する能力を評価(彼女は僕のジョークを判ってくれる)

という研究が発表されたようだ。研究者のコメントがおもしろくて、

これは、愛を探し求めている人々にとっては何を意味するのでしょうか?
人間関係を扱うセラピストでは無く科学者であるBresslerにとっては、これはいささか答えるのが難しい問い掛けです。しかし重ねて尋ねた時、彼は女性達の為にそれを簡単な忠告へと縮めてくれました。「相手に関心が無いなら、彼の冗談に対して笑いを返さないでください」

アホみたいにシンプルなんだけど、
社会への貢献度が非常に高い、こういう研究がとっても好き(笑)。


二年前ぐらいから笑いについて考えていて、
セキネと共同研究をやろうと意気投合して、
そのまま立ち消えになっていた笑いの研究を、
この記事に感動して、もう一度トライしようと決意(笑)

ちまたではアハ!センテンスなるものがあるらしいけれど、
ラフ・センテンスというものを考える。

例えば下のジョーク。[脳と心の地形図 リタ・カーター(著) から抜粋]

一頭のカンガルーがバーに入ってきてスツールに腰かけ、ビールを注文した。
バーテンダーはびっくりしながらも、ビールを出してやった。
「いくらだい?」とカンガルーがたずねる。気を取りなおしたバーテンダーは、
カンガルーがどれくらい賢いか試してやろうと、法外なお金を請求した。
カンガルーはおとなしく支払う。やっぱり人間さまのほうが一枚上手だと安心した
バーテンダーは、つい口をすべらせてしまった。
「このお店にカンガルーはめったに来ないから・・。」

このジョークの落ちは次の3つのうちどれだろう。
(a) カンガルーは銃を出してバーテンダーを撃ち殺した。
(b) 隣の椅子に座っていた男が、自分は腹話術師でカンガルーが
ビールを飲むように仕込んだのだとうち明けた。
(c) 「そりゃそうだ。ビールがこの値段じゃね」とカンガルーは言った。
 
答えは当然(c)。でも右脳に障害を持つ人は、
当たり前ずぎておもしろくも何ともない(b)を選び、
左脳に障害がある人は、脈絡のない結末である(a)を選択するという。

落ちをブラックボックスにして、なにがきたらジョークが完成するかを考えている時、
ひねりのない落ちを示す時、そして、本物の落ちを示す時の3つの状態における
脳活動を計りたい。

きっとアハセンテンスにおける脳活動とかなり似た脳活動がでるきがする。
創造性と笑いの脳活動は類似していることから
ヒトの性淘汰において、笑いは重要な適応度指標となりうると結論!
論文完成。ぱちぱちぱち。

って、そんなんでいいのか!

木曜日, 2月 02, 2006

頭痛・ビジョン・持続

土日にすべてを投げうって、
司馬遼太郎の「功名が辻」全四巻を読破する。
その罰があたったのか、ここ2日間、頭痛がする。
左脳・上側頭溝あたりがずっと痛い・・。

心配になって、スッきりんのバイバイ頭痛講座というH.P.をみつけて
頭痛のタイプを判定するチャート診断をやってみた。
生まれてこのかた、頭痛というものをほとんど経験したことがなく、

「突然、今までにないほど激しい頭痛が襲った!」「Yes/No?」
「Yes!!」
と答えたら、

「診断結果 危険な頭痛の可能性」

と出て、いきなりかい!と思う。
くも膜下出血の可能性ありと出て、驚いて病院にいって、
くも膜下出血でしょうか?と先生に聞いたら、一笑にふされて、
炎症止めの薬をもらう。
それを飲んだら頭痛がおさまった。
医学ってすごいじゃん!と思う。


「功名が辻」は面白かった。
主人公は山内一豊の妻の千代で、千代を通して、
夫の上司である秀吉の異才さがよくわかるんだけれども、
第三巻、秀吉が最晩年に、景気づけにお花見を企画した場面で、
雄大なお花見を体験した千代の感想が面白くて、

秀吉は古今類のない園遊会好きなだけに、その構造の雄大さ、巧みさも比類がない。
遊びにも、
「企画力」
があるのだ。千代はこの醍醐の花見をみて、つくづく、
(この人が天下を取ったはずだ) 
と思った。たとえば家康の構想力など、秀吉が月だとすればすっぽんどころか、泥がめでしかないであろう。
天下取りも構想力なのである。夢と現実をとりまぜた構想をえがき、あちらを押さえこちらを持ちあげ、右はつぶして左は育て、といったぐあいに、一歩々々実現してゆき、時至れば一気に仕上げてしまう、その基礎となるべきものは、構想力である。

とあって、あー、天下取りもビジョンなのかーと思う。

昔から研究するにはビジョンが重要だと思っているんだけれども、
でも最近は、もっと重要なのは持続することなんじゃないのかなーと思いはじめる。

羽生さんも「決断力」のなかで、
才能とは、同じ情熱、気力、モチベーションを維持することである
といっていて、例で、

奨励会の若い人たちを見ていると、一つの場面で、発想がパッと閃く人はたくさんいる。だが、そういう人たちがその先プロになれるかというと、意外にそうでもない。逆に、一瞬の閃きとかきらめきのある人よりも、さほどシャープさは感じられないが同じスタンスで将棋に取り組んで確実にステップを上げていく若い人のほうが、結果としては上に来ている印象がある。

と書いていて、そうなのかーと思う。

持続しないと!