日曜日, 4月 30, 2006

マトリックス計画

アンドレア・ロックの「脳は眠らない 夢を生みだす脳のしくみ」
を読み終わる。

夢の研究がいまあつい。

夢の機能は、いろいろあるようだ。
夢は日常で経験した記憶を整理している、とよく
聞くけど、夢は特に記憶の感情面の整理をしている
という話がおもしろくて、

激しい感情を伴う体験をすると、脳は夢の中で
記憶のデータベースからメタファーを探してきて、
激しい感情の記憶を、ポジティブな体験の記憶に
統合しようとする。
その過程に、自己セラピーの効果があるらしい。

(以下抜粋)
たいがいは、トラウマ体験が皮質の神経ネットワークによって過去の体験なり感情的に関連のある想像上の事柄と結びつけられるにつれて、悪夢はしだいに形を変えていく。数週間、または数か月の間に、トラウマの要素は夢からしだいに消えていき、心をかき乱す体験が他のポジティブな体験の記憶に統合され、それに付随していたネガティブな感情が収まって、夢の内容はノーマルなものに戻っていく。

また、明晰夢という種類の夢があって、
夢をみているときは、普通「私はいま夢をみている」
という自覚はないけれど、なんらかのきっかけで
「これは夢だ」ということに気がつくと、
その夢は明晰夢になる。
明晰夢の中では、五感がはっきり知覚できて、
思いのままにバーチャルな世界をコントロールする
ことができるという。

明晰夢をみるノウハウがいろいろ書かれているのが
おもしろくて、コツが3つ。

1. 普段よりも、1-2時間早く起きて、30分から1時間起きていて、
二度寝をすると、明晰夢を見る確率が15倍から20倍高まる。

2. 明晰夢を見るには夢のなかで「これは夢なんだ」という
ことに気がつくことが重要で、その訓練として、1日に少なくとも、
5-6回、「これは夢か現実か」と自分に問いかける。すると、
夢の中でも自問する習慣がつく。この「リアリティ・テスト」と
寝る前に夢を見ている自分をイメージして、
「夢を見ているときも意識を保つぞ」と自分に暗示をかけることで、
明晰夢を見る回数が1.5倍上がる。

3. 明晰夢は、意識が半ば覚醒している状態で夢を見続けている
状態で非常に不安定。夢が消えそうになったら、夢の中で
コマのようにくるくる回ると、夢の世界に引き戻される効果があって、
夢が続く確率が約22倍上がる。

本当なのか!!

そして、何のために明晰夢を見るのか?

(以下抜粋)
何のためにわざわざこうしたテクニックを習得してまで明晰夢を見るのかと聞かれたら、ラバージは即座にこう答える。とにかく新鮮な体験だし、面白いのだ。「自分がつくりだした世界に遊べたらどうだろう。明晰夢を見るとはまさにそういう体験だ。多くの人が高揚感を味わい、とても感動する」また恐怖心を克服したり、現実の問題に対する新しい戦略を試してみたりするために、明晰夢を活用することもできる。

明晰夢が見たい!!と強く思ふ。
というわけで明晰夢を夢みて、
「マトリックス計画」をスタートさせることを決意。。

木曜日, 4月 27, 2006

そうまとう・じろう

映画のシネマ・パラダイスのラストは、
つなぎ合わされた、たくさんの
映画のキス・シーンが、いっきに
あふれるように映し出されて、
とても印象的で記憶に残っているの
だけれども、

全然関係ないんだけれど、ラーメン次郎に
いくと、いつも写真をとってしまうクセが
あって、

ふと、
ここ一年間とり貯めた次郎の写真をつなぎ
合わせたら、ひょっとして記憶が走馬燈の
ようにあふれ出す感動的な映像になる
のではないか?と思いついて作ってみる。


・・が、なんなんだ、、これは!!

(笑)

金曜日, 4月 21, 2006

モコモコした木

限りなく正午に近い朝、車で駅に向かっていたら、
突然、目の前にモコモコした木が飛び込んできて、
なんだ、ありは!!!と思い、
急いで携帯を取り出して、走り際に写真を撮る。

モコモコ感が、鳥山明がドラゴンボールの背景でよく
描いていた木々の感じに似ている気がする。

青空を背景に、まるで緑が燃えているみたいに映えていて、
なんだかすばらしい!と思う。


ゼミの日。
ボスからカステラをいただく。
皇族しか食べられない皇族御用達のカステラをゲットしたらしい。
庶民には一生に一回、食べる機会があるかどうかの
一品を目の前にして、 思わず写真撮影。

味わって食する。舌触りがとてもまろやか。
庶民カステラよりも甘い感じ。
中には、甘くて苦みがまったくないマーマレード(?)がはいっていた。
上品な味わいでござりました!ご馳走様です。

水曜日, 4月 19, 2006

神の一手

先週の水曜日に某社で人生(?)をかけたプレゼン&ブレストをして、
それまではその準備でずっとネットと脳の関係について考えていて、

その余波でいまだに、「みんなの意見」は案外正しい、という本を
読んでいたりする。"The wisdom of crowd"(集合知)の本。

ドラエモンをつくるのは難しいけれど、
ネット上で何億人という人間が
生み出すデータを集めて、
"collective brain"(集合脳)をつくってしまえ、
というアイディアがいまあつい。

なにはともあれ、本当は、論文をかかなくてはいけないのだけれども、
頭が切り換えられないでいて、なにをしよう・・と迷っているうちに、
1日がすぎる。

大海原をイカダにのって漂流していて、
方向を指し示すべき羅針盤がぐるぐる回っている・・・
みたいなイメージに近い。

下條信輔さんが昔、
朝日新聞に暗黙知と独創性の関係について書いていて、

 問題の答えは、あらかじめ暗黙知の深淵に存在している。独創的な発見とは、その問題の所在に気づき、答えを自覚化することに他ならない。・・・とはいうものの、暗黙知をことあらためて述べればなんでも独創的、という訳ではない。・・・囲碁やオセロを知っている人なら、わかりやすいだろう。碁盤目の一点に石を置いて、それだけで周囲が変わらないなら、価値の低い手だ。同じ手でも妙手は盤面全体の状況を変え、新しい展望を与える。科学者やデザイナーでも、まだ打たれていない目だからといって、しらみつぶしにひとつずつ試していくのは凡手。達人はグローバルな文脈から俯瞰して、その文脈自体を変えてしまう一手を放つ。結局、独創的な人とは「全体的な状況を把握し、暗黙知と顕在知の間を行き来できる人」ということになろうか。・・・

知識というのは、増えれば増えるほど、
逆に実は直感が重要になってくる
という性質をもっていて、
グローバルな文脈を理解するには、
ネットワーク化された知識が必要だけれども、
そこから、
文脈を変える一手をくりだすのは直感の働きだ。

盤面全体を変えられるような神の一手がほしいよ~

火曜日, 4月 18, 2006

移転します

http://d.hatena.ne.jp/toooru/

そうじ×情報×睡眠

本が3ヶ月で40冊ほど増えて本棚におさまらなくなる。
また、部屋にはここ3年ぐらいかけて溜め込んだ高さ20cmほどの
論文の山が6つほど並んでいて、部屋に足の踏み場がなくなる。
これはいい加減整理しないと二階の床が落ちる・・と思い、
土日をかけて部屋の掃除をした。

もう読まないであろう本を段ボール3箱分詰め込んだら、
本棚にすべての本を収納できた。




積み重なった論文をひとつひとつみる。ぱらぱらだけれども、
おっ、と思ったものはメモしていく。

自分の頭だけでは決して思い出さないような記憶も、
外の記録媒体を通して、ふたたびアクティブになって、
しかも、昔とは全然違う視点で気がつくことがたくさんあって、
いろいろ考えていたら、結局、2日かけて、
論文2山分しか処分できなかった。

でも過去に自分が溜め込んだ資料というのは、
決してゴミなどはなく、情報の宝庫ではないか!
ということに気がつく。
ただそこから意味ある情報を取り出すには、
整理するのにまる2日かかったように、
コストがかかる。

養老さんの説によると、脳は覚醒しているときに
増えたエントロピーを処分するために、
眠らなければならないのだという。

図書館に例えると、覚醒しているときは、
いろいろな体験をして、そのたびに、
本棚から本(=記憶)をとってきては
机の上にどんどん広げていき、
そこに新しいことを書きこんでいく。

本が散らかっていく = 無秩序が増大する = エントロピーが増える、
となる。

そのような散らかった本を、また本棚に戻して、
秩序を取り戻すために、
夜になると、脳は意識をオフラインにして、
せっせと本を片づけるらしい。

でも元の場所にただ本を戻すのではなく、新しくできた本や、
新しく書き加えられた本を新しいカテゴリーの棚をつくって、
もどしたりして、たくさんの編集が加えられる。
その結果として、たとえば、夢のなかで閃いたり、
夜悩んでいた考えが、一晩寝ると整理されていて、
答えが見つかっていたりする。

というわけで、脳であれ、おれの部屋であれ、
情報は日々増えて溜まっていき、
無秩序な方向に向かっていくわけで、
かならず整理する必要性が生まれる。
そのために、脳には睡眠があって、
部屋には掃除がある。

そう考えると、夢のなかでの閃きも、
論文を整理する過程でぱらぱらみながら、
いろいろ閃くのも、本質的には同じことだよね~、
というようなことを思ふ。

日曜日, 4月 02, 2006

まとめて日記

3/26(日)

メイがきた。
「おじいちゃん」と「おじちゃん」を
言い分けられるようになっていた。
言葉があふれだす寸前という感じ。
「おじちゃん!」といって、手を引いて、
部屋のあちこちにいって、遊びにつきあわそうとする。
兄が京都に転勤するらしい。しばしのお別れ。




3/27(月)

明日の予習をしようと思って、「ザ・サーチ」を読み始める。
グーグルの歴史。おれが大学院生をやっていた5年の間に、
ネット業界では大きな変化が起きていたことを知る。

ネット上でお金を稼ぐメカニズム、「検索連動型広告」を考案した
天才発明家ビル・グロスのはなしがとても面白い。
グーグルは創業当時は、どうやってお金を稼いでいいか分からなかったらしい。
でも、ビル・グロスが開発した検索連動型広告のサービスをみて、
その重要性にすぐに気がつく。そして、それから、のし上がっていくことになる。

高性能の検索エンジン ・ 検索連動型広告のシステム ・ 人気サイト

ある時点で、この3つをグーグルはもっていて、ビル・グロスはもってなかった。
そこが勝負の分かれ目だったらしい。そして、この3つがそろったとき、
そこには、まったく新しい可能性の地平が広がっていることに
グーグルは気がついた。

カンブリアの進化の爆発をおこした三葉虫の眼の進化はこれに
似ているところがあって、触覚や聴覚は、センサーの性能が
あがったとしても、性能は線形にしか進化しないんだけれど、

眼は、光センサーだった視細胞の集団がだんだん陥没して、
眼球のくぼみをつくること、くぼみの入り口にレンズの結晶ができること、
視細胞の情報が神経系につながること、というさまざまな要素がそろわないと、
眼としての機能を果たせない。

でも、いったんレンズが視細胞に光の焦点を当てられるようになると、
その生き物は、光の世界に気がつく。他の生物の存在に気がつく。
そのような、眼の部品がそろったとき、突然性能が100倍ぐらい上昇するという
非線形な大変化が、カンブリアの大進化の引き金を引いたらしいのだけれど、

グーグルも、ある条件がそろったとき、突然世界が開けて、
そして、いま情報革命の中心にいる。そんなことを思ふ。


3/28(火)

ボスに引率されて某会社を見学させていただく。
ネットと脳科学の融合の問題。
それは脳のなかの「情報」の問題。

帰りにグランドハイアット東京のイタリアン カフェで
食べたケーキはおいしゅうございました!




3/31(金)

研究室の花見。多摩川で花見BBQ。



鉄板奉行現わる。


季節の変わりめで、へんなひともいたけれど、


お酒と焼き肉と焼きバターきのこがおいしかった!


BBQの準備をしてくれた研究室に皆様、ありがとう!!


4/1(土)

いまはやりのweb2.0の本質は、「創発の制御工学」なのではないかとふと思う。

そういえばドラクエ4で「進化の秘法」というのがあったのを思い出す。
ラスボスが「進化の秘法」によってどんどん進化して強くなってしまう。
でもファミコンは漢字表示がなくて「ひほう」という表示だったので、
ずっと「進化の秘宝」だと思っていた。

ふと、マンガのナウシカを一気読みしたら、古代文明の技術って、
すごい!と思う。巨神兵とか自己修復する建物などの生き物の性質を備えた
工学物たち。もしオートポイエーシスの理論を工学に応用できるようになったら、
こんなものがでてくるにちがいない、と思うものばかり。

今のところ、材料的な制約によって、生き物の性質をもった人工的な工学物を
つくるのは難しいのだけれど、おそらく、いま非常に、生き物的な発展をしている
工学物が一つだけあって、それが、インターネットなのではないか、と思う。
なんというか、物理的な制約をほとんどうけずに、ネットワークの複雑さをどんどん
ますことができる。そして、そこにさまざまな生態系がうまれている。
そこで、どんな創発を引き起こすことができるか?
創発の制御工学は、それに答える理論でないといけない、と思う。


4/2(日)
4月になって気分がブルーになって、ふと、二、三日前の日経新聞の
私の履歴書の早石修さんが書いていた座右の銘を思い出した

一燈を掲げて暗夜を行く、暗夜を恐るるなかれ、一燈に頼れ。

この言葉がなんだかとてもいい。

Gyaoの無料動画配信にはまって、明日のジョーをみた。
負けるな、ジョー!立つんだ、ジョー!

明日から頑張ろう。。