土曜日, 2月 18, 2006



2/16
在学延長届けを出しに1ヶ月ぶりにすずかけキャンパスにいった。
キャンパス自体が秘密基地みたいなところだけれど、その中央には沼がある。
昔、就職かD進学かを悩んでたり、アイディアが思い浮かばないときに
この沼をよくぼーっと眺めていた。そんなどんより気分な記憶しかない沼が
今日はなんだかとても映えていた。

2/17
ゼミ。当番。
自発発火とfMRIの研究が融合して業界に新しい流れが生まれていることに
気がつく。いいじゃないか!水曜日のイケガミ研との合同研究会の題目を
「自発発火から見た脳というシステム」に決める。内容を考えないと。

オリンピック。
スノーボードクロスはおもしろい。先頭の3人が団子状にコけて、
ビリだった選手が突然先頭にたったりするところがいい。

モーグルもおもしろい。モーグルをみてどきどきするのは、
脳が、ミラーシステムによって、他者がつくりだす回転や3Dの運動を、
自分の身体系でなぞっているからではなかろうか。
きっと、8本の腕を自在に動かす人の映像をずっと見続けたら、
脳内でなにかが再構築される気がする。たぶん。

保坂和志の「小説の自由」を読み始める。おもしろい!
仮想世界の構築の仕方について述べている、と思う。
言葉のアーキテクスト。

CGとかゲームでは、Virtual Realityといって、人の脳にいかにして、
「仮想現実」を体験させるかということが研究されているけれど、

言葉で風景をどう描写するかという問題は、「仮想世界」をいかに構築するか
という問題で、この本は、それについて考えるということが
可能であるということに気づかせてくれているところがすごいと思う。

「仮想現実」と「仮想世界」はちがう、と勝手に定義する。
「仮想現実」は感覚体験(感覚野の活動)が必要で、
「仮想世界」はイデアでありイメージの世界である、とする。

小説の作り出す世界は、イメージの世界で、
感覚化・現実化は伴わない。それが感覚化してしまう
ということを幻覚をみるというんだけれども、普通は、小説を
感覚化するために、映画化というプロセスがある。

創造において、抽象的な思考・アイディアを具象化・具体化させる
プロセスにもっともコストがかかるように、
脳にとって、外界に頼らずに、イメージを感覚化する・イデアを実在化させる
プロセスには、かなりのコストがかかるのではないか?(情報理論的にも)

なのに、脳は、夢の中で、小説で体験した「仮想世界」の記憶から、
軽々と「仮想現実」を生み出すことができる。そこがおもしろいと思う。

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