水曜日, 2月 15, 2006

道草

川上弘美のエッセイ、「ゆっくりさようならをとなえる」をよみおわる。
帯紙に 道草したい、日もあるさ と書いてあった。
道草、道草。ずっと、道草。

日常を描いているところが、とてもいい。
というか、すごいと思う。
みならって、日常を描いてみる。

久しぶりに頭痛のない朝だった。

でも喉がいたい。かりんののど飴を一日中なめる。

朝ご飯。ゆで卵とキャベツのみじん切りと納豆ご飯。

小林秀雄を聴きながら、海老名駅まで車で通う。

新宿のビックカメラでDVD-Rを買う。次郎ラーメンにいくかどうか
迷ったけど思いとどまる。

五反田駅から研究所まで10分の道。火曜日は読みたい雑誌がないので
ファミリーマートをスルー。
歩きながら、ネンデルタール人は言葉を話していたのかどうか、とか
友人が教えてくれた「折りたたみナメクジ」という言葉について考える。

研究所。
半袖姿のタナベをみて、はじめて今日は暖かい日であることに気がついた。

松屋で牛丼350円。

自発発火の研究は停滞中。とっかかりを見失う。道草もいいじゃないか、
とつぶやきながら言葉について考える。

日経サイエンス 「人類の文化の夜明け 早かった象徴表現の起源」をよむ。
シンボルをつかいはじめたのは進化のどの時点からか?
イヌも200個の単語をおぼえる。チンパンジーも教えれば記号を使いこなす。
でも彼らは自発的に世界を分節化し、記号をつくりだし、
それを用いてコミュニケーションをとるようなことはしない。
非言語コミュニケーションと言語コミュニケーションの
中間形態はどのようなものだったのか?

ネアンデルタール人はヒトと同じ脳の大きさをもっていて、おそらく言葉を
話していた。彼らは、氷河期のヨーロッパ大陸に適応し、一時期は50万の
人口を誇ったという。彼らはどんな社会をつくり、どんなコミュニケーションを
とっていて、そして、3万年前、どこへ消えた?
「あなたのなかのサル」を読んでからそういうことが気になる今日この頃。

「折りたたみナメクジ」はおもしろい。セキネにそのはなしをしたら、
「おばあちゃん座礁」に似てるという指摘をうけて、いろいろつながる。
ランダムでもなくレギュラーでもない言葉の意味の組み合わせ領域があって、
脳の「わかる」状態を捉えるには、その領域が利用できる気がした。

思いつきではじまった共同プロジェクトもセキネがやる気で進行中。

タナベが、オマケイ、セキネと3人でわけてねーといって、
ロッテパイの実と、その他チョコ2種類をくれた。

10時30帰宅。父親が大量に持ち帰ってきたチョコレートをかじりながら
オリンピックをみる。

そしていまここにいる。おやすみなさい。

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