
メイが土曜日にやってきて、
日曜日に、早くおうちに帰りたいよーと泣きながら帰ったんだけど、
車のなかでずっと寝ていて、家についてもそのまま寝てしまった。
そして、朝起きると、自分がどこにいるのかはじめ分からない様子で、
家に帰ったことがわかると、朝からずっと、
「ジージとバーバの家にいきたいよー」と騒いでいたらしい。
2歳と3ヶ月。1日前の非日常的な体験のエピソードを
思い出すことができるようになっていて、いまいる「現在」に過去の
エピソード記憶がどんどん入りこんできて、「現在」の行動に影響を
与えるようになってきているところが、おもしろいと思う。
日曜日に友達に誘われて、江戸東京博物館で歌川広重展にいく。
両国駅で、お相撲さんが駅前のコンビニに買いものをしにきている
風景をみて、いとをかしと思ふ。
広重の名所江戸百景はすごい良かった。江戸東京博物館の常設展示も
江戸時代の暮らしから昭和の暮らしまで展示していておもしろい。

売店でみつけた広重の「大はしあたけの夕立」のポストカードが
なんだかとてもいいと思う。

大胆な構図がいい。エメナルドグリーンの明るい川によって
雨が優しく降り注いでいるように見えるところもいい。そして、
雨の存在で画面全体に動きが感じられて、行き交う人々もなんだか
動いているように感じられるところがいい。
ゴッホが模写するわけだ!
ここ数日、道徳について勉強しようと思って、フランス・ドゥ・ヴァールの
「あなたのなかのサル」を読んだ。
権力闘争に明け暮れるチンパンジーと、乱交で平和主義のボノボ。(以下抜粋)
ここヤーキースでは、オスたちの権力闘争、チンパンジー社会のネバーエンディング・ストーリーが展開されている。争いの原因は、突きつめればメスだ。ヒトにいちばん近い類人猿の、決定的なちがいがここにある。いっぽうはセックスのごたごたを力で解決し、もういっぽうは権利争いをセックスで解決しているのだ。
・・・・・
チンパンジーの社会は競争に重点がおかれ、
ボノボの社会は協調に重点がおかれている。
ヒトの社会は、どちらの種の特徴も包含しつつ、
父親が育児に関わる核家族というしくみを生み出すことで
独自の社会を進化させてきたという。
類人猿の心の理論、共感、道徳の起源の話がとてもおもしろい!
霊長類研究者の間では、「今夜はボノボするぜ」である意味が通じるらしい。
藤原正彦さんの「国家の品格」や、この「あなたのなかのサル」をよむと
世界は、いまポスト資本主義を模索している。どうもそういうことらしい。
今日、「思考」について考えていたら、
なにを言っているかわからない他人が書いた文章っていくらでもあるけれど、
自分が理解できない文章を自分でかくのは結構難しいということに気がついた。
例えば、
そこにあるリンゴが、スカート吊るしている
のようなイメージが全然つながらない文章。
アハ!センテンスを考える難しさの一因はここにあるような気がする。
山鳥さんが「「わかる」とはどういうことか」という本で
わかる、とは自分のものにすることです。長々と文に表現されているものが自分の概念(心像)としてひとつのイメージにまとめられることです。
と書いていて、
思考が生み出すイメージの連続は、「わかっている」ことの連なりで、
そして、意識は「わからないこと」に出会うと、「わかろう」とする。
意識というものがそもそも、無秩序から生成されている秩序そのもので、
その意識が生み出す思考という運動は、
秩序をもった「わかっている」ことの連続によって構成されている。
だから、意識的に、無秩序なデタラメな文章を
つくろうとすると、難しいのかなーと思う。
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