木曜日, 2月 16, 2006

まんだら

マンダラをかきたい、とふと思う。
いまもっている脳のイメージをマンダラにしたい。

セキネに「マンダラかきたい」といったら、
「僕は止めませんよ」と言われる。


土曜日の日経新聞に南方熊楠が考案した
南方マンダラの話がのっていて、とても面白かった。


・・・「南方マンダラ」は1903年7月の書簡に熊楠が描いた図で、物事の因果関係を説明するモデルといわれる。原因、結果が一直線でつながる近代西洋科学とは異なって、複数の曲線と直線が絡み合う、様々な因果関係が相互に影響する様を描き、科学の方法論に、偶然や確率を導入したとされる。・・・

・・・「南方マンダラ」は決してとっぴな発想ではなく、法龍との交流から得た密教の抽象的な概念と、熊野の山を歩き回って得た具体的な自然の観察結果を融合させ、「実世界を理解するモデルを作ろうする試みから形成されてきた」。・・・

・・・熊楠はもともと聖の世界の論理である曼陀羅を使い、俗界を説明する道を開いた。彼のおかげで実世界の様々な関係性を曼陀羅で読み解くことが可能になった。・・・


社会学では、南方マンダラはいまでも社会を理解するための、
汲めども汲めないインスピレーションをあたえてくれているらしい。
これはおもしろい!と思い、中沢新一の「南方マンダラ」という本をかう。
紹介文があつい。

楽しいかな学問。「南方曼陀羅」の全体構造をあたえられた学問は、宇宙の不思議を前にして、驚きと喜びにみたされている。・・熊楠は一生涯、そういう学問しかやらなかった。そうでない学問などには、何の関心もしめさなかった。「南方曼陀羅」は、そういう人によって、人生の至高の楽しみを与えるための極意として、考えだされたものなのだ。



熊楠は、上の図を生み出すのに10年かかったらしい。
いったいどんな理論なんだ!(笑)

南方熊楠って、南紀白浜の南方熊楠博物館にいったときは、
粘菌の研究をした人っていう印象しかうけなかったけど、

マンダラがだんだんネットワークにみえてきて、
そうしたら、熊楠は実は、いまサイエンスで勃興している自然界をモデル化した
複雑系ネットワークの先駆け的な研究をしてたんじゃないのか?
と思うようになる。

マンダラ脳理論を想って今日一日が終わる・・・。

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