ジェフリー・ミラーという人が書いた「恋人選びの心 性淘汰と人間性の進化」を電車の中で読んでいた。進化心理学のマジメな本である。ニワシドリという鳥の雄は求愛のときに巣を作るらしい。
http://www.nhk.or.jp/daishizen/fbangumi/azumaya.html
電車の中で下のニワシドリの文章に出会ってラッシュであるのにかかわらず吹き出してしまった。ぷぷぷっと笑いがこみ上げてきて止まらなくなって、それ以上読み進められなくなって読むのを断念。以下、ジェフリー・ミラー「恋人選びの心 性淘汰と人間性の進化」から抜粋。
ニワシドリは、動物が作る中では人間の美術にもっとも近いものを作り上げる。彼らの美術は、雌の選り好みによって進化した性淘汰の産物である。雄は、繁殖の上では遺伝子しか貢献せず、彼らの美術は、求愛以外では生存上も子育て上も何の貢献もしていない。あずまやの大きさ、左右対称の形、鮮やかな色彩は、雌の感覚のバイアスを反映しているのかもしれない。しかし、あずまやは作るのにコストがかかるので、それは、よい適応度指標でもある。巨大なあずまやを建設し、飾りを集め、色があせたら交換し、ライバルによる盗みや荒らしから防衛し、歌ったり踊ったりして雌をそこまで連れて来るには、時間もエネルギーも技術も必要である。繁殖期の間、雄は毎日、一日中、自分のあずまやの整備にかかりっきりである。
もしも「美術フォーラム」誌のためにアオアズマヤドリ(ニワシドリ)の雄にインタビューすることができたらなら、彼らはこう答えるに違いない。「色彩とフォルム、それ自体のために色彩とフォルムを操りたい。それで自己表現をしたいというどうしょうもない衝動を、とても言葉で説明することはできません。色彩の豊かさで飽和した視野を、堂々とした、しかもミニマリストの舞台設定の中に閉じこめたいという荒れ狂う渇望を、最初に感じ始めたのがいつだったかは覚えていませんが、この情熱に身をゆだねているとき、私は何か自分が、自分を超越したものと結びついているように感じます。木のてっぺんに美しいランが咲いているのを見ると、どうしてもそれを自分のものにしなければならないと感じるのです。自分の作品の中で1つの貝殻の置き所が悪いとき、それを直さずにはいられないのです。フウチョウは美しい羽を生やしているかもしれませんが、そこには何も審美的な心の働きは感じられません。そこにあるのは肉体の野卑な本能だけです・・・・
ニワシドリってすごい!(というかこの本の著者は天才だ!(笑))と思って帰ってから昔、録画したアッテンボローの鳥シリーズを見直したらチャイロニワシドリが紹介されているのを発見した。チャイロニワシドリの巣は生存上の役に立たないし、子育てをそこでするわけでもない。そこは自分の芸術のセンスを雌に見せるためのギャラリーで、ある個体は赤い花を積み上げたり、玉虫色の虫の羽を積み上げて展示していた。別の個体は、黄色い花を集めて積み上げたり、木の実をきれいに散らばせていた。
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