金曜日, 1月 13, 2006

迷走

ここ10日ばかり、なにもD論に手をつけれなくて、ここ数日ようやく
新しい投稿論文をかくために必要なシミュレーションを走らせはじめる。

10日間、(偏ってるけれど)たくさん本を読んだ気がする。

養老さんの「無思想の発見」をよんだ。
本のテーマは、日本人がもっている思想の話なんだけど、
意識に関する考察がとてもおもしろかった。
養老さんの本の中で、「唯脳論」、「人間科学」に次ぐ、
意識についてインスピレーションのあふれた本だったと思う。

とくに、意識とは「点」であるという話が、自分のなかで、
立花隆の「臨死体験」という本の中で、立花隆が実際に感覚遮断タンクに
入ったとき、感覚がすべて遮断されると、五感はもとより、身体イメージも消失して、
意識が点になる体験をしたという話とつながって、
メタコグニションの実体ってこのことか!と思う。

たまたま本棚にあった、ニコラス・ハンフリーの「喪失と獲得」を手に取って
みたらはまった。「心身問題の解き方」という章がおもしろくて、
ずっと、表象の進化的シナリオが描けるはずだと思っていたんだけれど、
おれがイメージしていたシナリオはこれだ・・と思ふ。
あまり関係ないけれど、「Conscious Machine」なる業界があるらしい。

ボスからCytowicの「共感覚者の驚くべき日常」をもらって読んだ。
ラマチャンドランは、共感覚は、V4と角回の間に混線があって、それが
cross-activationされて、共感覚がおこるという説をいっているけれど、
この人は、辺縁系が共感覚のソースだといっている。どういうことなのであろう?

辺縁系はイベントの突出性を検出しているという概念がとてもグッときて、
創造性の理論を考えようとすると、システムに絶対必要な要素として、
いま直面している体験が、新しい問題なんだということを検出することで、
それは、regular(既知のこと)でもなく、random(意味不明なこと)こでもなく、
ボスのいうcontingency(偶有的)な事象なんだと思うけれど、
それを主にしているのは辺縁系だというところがおもしろいと思う。
まあ、ACC(anterior cingulate gyrus)が新奇性に対して光るという話もあるけれど。

そして、清水博の「生命を捉えなおす」をつまみよみする。

生命システムとは、環境の中で絶えず情報を生成しつづけるものである

というくだりにグッときた。すごいインスピレーションにあふれた本で、
出版がおれの生まれた翌年で、27年前にこのレベルに到達していた
この人は天才だ・・と思う。

まあ、なんというか、要はD論ほったらかしにして、思いっきり迷走をしていて、
今日は、こんなオブジェをつくって喜ぶ。



こーいうときは次郎にいくしかないね、次郎に。ということで、
セキネと新宿の次郎ラーメンに行って、ブタ入り大盛りをたべた。
                 

                 

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