水曜日, 4月 19, 2006

神の一手

先週の水曜日に某社で人生(?)をかけたプレゼン&ブレストをして、
それまではその準備でずっとネットと脳の関係について考えていて、

その余波でいまだに、「みんなの意見」は案外正しい、という本を
読んでいたりする。"The wisdom of crowd"(集合知)の本。

ドラエモンをつくるのは難しいけれど、
ネット上で何億人という人間が
生み出すデータを集めて、
"collective brain"(集合脳)をつくってしまえ、
というアイディアがいまあつい。

なにはともあれ、本当は、論文をかかなくてはいけないのだけれども、
頭が切り換えられないでいて、なにをしよう・・と迷っているうちに、
1日がすぎる。

大海原をイカダにのって漂流していて、
方向を指し示すべき羅針盤がぐるぐる回っている・・・
みたいなイメージに近い。

下條信輔さんが昔、
朝日新聞に暗黙知と独創性の関係について書いていて、

 問題の答えは、あらかじめ暗黙知の深淵に存在している。独創的な発見とは、その問題の所在に気づき、答えを自覚化することに他ならない。・・・とはいうものの、暗黙知をことあらためて述べればなんでも独創的、という訳ではない。・・・囲碁やオセロを知っている人なら、わかりやすいだろう。碁盤目の一点に石を置いて、それだけで周囲が変わらないなら、価値の低い手だ。同じ手でも妙手は盤面全体の状況を変え、新しい展望を与える。科学者やデザイナーでも、まだ打たれていない目だからといって、しらみつぶしにひとつずつ試していくのは凡手。達人はグローバルな文脈から俯瞰して、その文脈自体を変えてしまう一手を放つ。結局、独創的な人とは「全体的な状況を把握し、暗黙知と顕在知の間を行き来できる人」ということになろうか。・・・

知識というのは、増えれば増えるほど、
逆に実は直感が重要になってくる
という性質をもっていて、
グローバルな文脈を理解するには、
ネットワーク化された知識が必要だけれども、
そこから、
文脈を変える一手をくりだすのは直感の働きだ。

盤面全体を変えられるような神の一手がほしいよ~

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