火曜日, 3月 06, 2007

不在の知覚


五反田駅から研究所に歩いていく途中、


ふっと左手を見ると、サラ地があった。


ここに何かが建っていた感覚はあって


あるべきところに、あるべきものがない感じは


はっきりするのだけれど、あるべきものがなんだったのかは


まったく思い出せない経験をして、おもしろい!と思う。





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別の角度から。











それで、ふと「ウェブ進化論」に


グーグル・アースで家を調べて、数ヶ月前まではプールに色つきのシートが


かかっていたはずなんだけど、写真にはそれが写ってなかったことから


グーグル・アースの写真は数ヶ月ごとに最新の衛生写真に更新している


らしいことがわかったという話が書いてあったのを思い出して、


グーグル・アースで調べてみると、「あるべきもの」が映ってた!!





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一軒家だった(画面中央、ビルの隣り)。





これはおもしろいと思い、


オマケイ、セキネ、ヘライ、タナベにサラ地の写真を見せたけれど


だれも、そこに何があったのか思い出せなくて


そもそも、なくなっていたことに気づいていなくて


これは天然のchange blindnessかも!と思う。





change blindnessはいま認知科学業界でホットな話題で


間違い探しみたいに一部分だけ変化している二枚の写真


を交互に見せて、でもそのとき写真と写真の間に1秒間ぐらい黒い画面を挟むと


たとえ写真の中心部分が大きく変化していてもなかなか気がつかない、


という現象で





従来の仮説だと脳内には、外部世界を完全にコピーした表象が


保持されているのではないかと考えられていたけれど、


change blindnessの結果から、脳は外部世界の完全なコピーなど


保持しておらず、意識が注意を向けたときに部分部分の情報を


動的にup-dateするような、計算量とかメモリーを節約する戦略を


とっているのではないかと考えられはじめている、らしい。





change blindnessは、変化に気づくことがそもそも難しいわけだが、


今日のサラ地は、変化には気づいたが、その内容は思い出せないという点で


change blindnessとはちょっと違う気もする。





どちらかというと、旅行先で団体行動をしていて、


だれかがいない気がするのだけれど、だれがいないのか分からない・・


という感覚に似ている気がする。





高層ビルの写真を数秒間みせて何階建てかを当てるタスクをさせると


サヴァン症候群の人がもつような写真記憶がないと正解できない。


という意味で、普段我々は日常のなかで、風景の細かいディテールなど記憶していない。





毎日同じ道を歩いていると、脳がだんだん風景に注意を向けなくなるということは


脳が「この風景は知っている」と了解するポイントが存在することを意味していて、


その了解ポイントを支えているのは、どうも全体的なパターンの記憶のようで


しかし、脳は意識的にはその「全体的なパターン」の内容を


把握してはいないのではないか?


ただ、なにかが「ない」ときに、その変化を「全体的なパターン」をつかって


無意識的・直感的に検出することができる。





もしかしたら、ヒトの脳にとって、進化的には、


風景はディテールを把握するよりも、変化したものに注意を向けるほうが重要で、


だから全体的なパターンを把握するほうが都合がよかったのかもしれない。





とすると、他の動物はどうなんだろう?


ヒトの視覚記憶システムを例えばチンパンジーに当てはめることは可能なのか?


ジャングルを歩くチンパンジーは、ジャングルの風景を


サヴァン症候群の人のような写真記憶的に把握している可能性はないのか?


ヒトのように全体的なパターンで把握しているのか?


そもそもチンパンジーにchange blindnessは起こるのか?


etc...





と収拾がつかなくなったところでおしまい。。


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