水曜日, 2月 14, 2007

twister


明日は博士審査の発表で、


現実逃避で昔mathematicaで作った


Penroseのtwisterを貼ってみる。


竹内薫さんの


ペンローズのねじれた四次元」に


数式が載っている。





脳における<私>とか「自己」の問題について思ったことの覚え書き。





1.


竜巻とか台風の中心にはかならず無風の


領域があって、それを数学的には「不動点」という。


台風を構成する空気は絶えず入れ替わっているのに、台風の中心は存在しつづける。





<私>=「要素がたえず変化している脳というシステムの中でなぜか変わらないもの」


とするならば


<私>とは「脳というネットワークに生じる不動点のようなもの」なのか?





2.


<私>という「不動点」に摂動を与えたときの脳活動の変化を計測することは可能か?



養老孟司 玄侑宗久 「脳と魂」より抜粋


養老:変わると思いますよ。システムっていうのは、逆に言えば、肝心なところ突かれるとガラッと変わる性質を持ってますから。システムの構成要素はしょっちゅう入れ替わるわけですよね。だけど一応それが変わらないように見えるっていうのがシステムの安定性なんですよ。それがガラッと変わっても、システムは本来安定性を持ってますから、別の安定平衡点をとることも出来るんです。






3.


そういえばオートポイエーシス理論が定義している「自己」は脳に適用できるのか?



ウンベルト・マトゥラーナ&フランシスコ・ヴァレラ 『オートポイエーシス』


 第2に、オートポイエーシスが自己言及しているということは、実は、あえていうなら同義反復によってシステムを作動させているということなのである。ということは、産出プロセスのネットワークが構成素を産出し、構成要素が産出するのは産出プロセスのネットワークなのである。つまり自己が自己を生んでいる。まさに自己創出システムなのである。こういう見方は、自己があって組織化が進むシステム理論とは異なっている。オートポイエーシスの自己は作用主体ではなく、システムの作動そのものを自己としているシステムなのだ。






4.


そもそも脳というコネクションで見ればフラットなネットワークに


なぜ「主体」と「客体」という非対称性が生じるのか?


(→「ボスの脳内現象」をもう一度読むか・・)








Penroseの「Road to the reality」を買った。


1000ページある。


輪講しようそうしよう♪


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