月曜日, 9月 18, 2006

未来思考


ある日、


ヒトを幸せにする脳科学をやりたい


とオマケイにいったら、


「お~い、(現実世界に)戻ってこ~い」


と言われた。





オンゾウに同じことをいったら、


「まずあなたが幸せになりなさい」


と言われる。うっ。





最近、脳の計測技術が、いうなれば、


fMRI1.0がfMRI2.0になりつつあって、


サイボーグ技術とか、ウソ発見機とか、想起している記憶を当てるとか、


さまざまな「心を読む(マインド・リーディング)」研究が


立ち上がりつつある。





脳がなにを表象しているかをリアルタイムで当てることが


できるということは、科学の視点でみると、


とてもエキサイティングなんだけれど、





「マインド・リーディング」の技術がもたらすであろう、


社会への影響についても、倫理の視点から議論が始まっていて、


それらが描いている未来は、心を読めてしまうと、


プライバシーがなくなるとかなんとかで、とても暗い・・。





「マインド・リーディング」の社会的応用で


すぐ思いつくのは「ニューロ・マーケッティッグ」で、


資本主義→商品を買ってほしい→広告を見て欲しい→商品を見て脳がどう感じるか知りたい


というニーズによって、お金には困らない研究領域になると期待される。





でも、おもいっきりお金のサイクルに取り込まれてしまっていて、


なんだか違うんだよなーという思いがあって、


最近よく、ヒトを幸せにする脳科学について考える。


脳科学がうみだす「幸せ2.0」の可能性の問題。


他者を幸せにすることによってこそ、自分も幸せになれるのではないか?


の問題でもある。





そんなことを考えていたら、


ゲームクリエイターの水口さんがブログで、


ゲームを肯定的に語っているのを読んで、


おおお!と思う。



水口哲也の地球万華鏡:紅茶の国からコネクト 英国


 ゲームの面白さとは、人間が持っている本能や潜在欲求をどう再デザインするかということだ。面白いゲームは世界中の人とつながれる。面白いゲームは世界中の共通体験となる。(中略)何か事件が起こると、よくビデオゲームが攻撃される。(中略)だけどちょっと待て。もしその人間の欲求や本能のポジティブな部分を使ってデザインすれば、ゲームはポジティブな力を持ち得るのではないか?というのが、僕の制作者としての信念だ。もし、パレスチナ人の子供と、イスラエル人のおじいちゃんがゲームで対戦したとする。面白さにハマっているときの表情は、たぶん2人とも同じように無邪気なはずだ。面白いゲームは、人を無防備の状態にする「力」がある。このゲームの「力」をポジティブな方向に使えないだろうか。文化や思想や、先入観や人種的偏見を超えて、つながる本能。面白さの中で、ハイブリッドのように溶け合っていく意識。ゲームで人に力を与えることができないものか。そんなことを夢見て僕はいまだゲーム制作の仕事をやめられない。






ゲームの「面白さ」を言語化していて、かつ社会的な視点からみて、


ゲームがヒトを幸せにする可能性について言及されていて、


ゲームを肯定しているところが、なんだかとてもグッときて、


これだ!!と思う。





脳科学の「面白さ」を言語化し、肯定する道筋を見つけよう、


と想う。


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