夢をみた。
中学時代の部活のハンドボールの練習の夢。
中学校のグランドでひとが全然いないから、
きっと日曜練習のワンシーンで、
メニューは3対3の試合形式。
おれのポジションはキーパーで
部長ふゆかわ君が速攻、6mラインからジャンプシュートをうってくる。
キーパー反応して、左に横っ飛び~~左足でセーブ!!
したところで目が覚める。
とっくの昔に忘れていた感覚が鮮やかによみがえって、
目が覚めたらなんだかとても心地よかった。
夢は情報を整理する働きがあるというけれど、
なんで、夢をよく見る人と見ない人がいるのか?
という疑問をずっともっていて、
論文を書いていて、行き詰まって、気紛れに
河合隼雄さんの「人の心はどこまでわかるか」をめくっていたら
偶然、それについての記述があった!!(以下抜粋)
外向的に忙しく働いている人は、夢を見ないのではなく、あまり夢を覚えてないということです。それは、夢をすべて覚えたりしていたのでは、ほかのことができなくなってしまうからです。外でバリバリやっている人の夢には、その人の盲点とか裏側が出てきますから、それをいちいち覚えていて、あれこれ考えていたら日常生活ができなくなります。そこで心のはたらきとして、そういうのをほとんど忘れてしまうわけです。だから、これはむしろ当たり前と言っていいでしょう。
それから、このごろ私はよく考えるのですが、どうも人間には内側を見るほうが好きな人と、外を見るのが好きな人とがいるような気がします。自分の内側を見る傾向がある人は夢で考えるし、自分の視点が外の世界に向いている人は、現実の中で考えるということではないでしょうか。したがって、夢を見るかどうかということを、それほど深く考える必要はないのではないかという気がします。
夢で考える、という表現がいいと思う。夢の思考。
羽生さんは、夢をあまり見ないらしい。
将棋も夢には出てこないらしい。
ボスの説では、起きているときに情報の整理を一生懸命しているから、
夢のなかで整理する必要がないのではないか、と言っていたけれど、
たしかにそうなのかしれない。
羽生さんにとって将棋は「外側」にある、ものであって、
その整理に「夢の思考」は必要ない、
ということなのかもしれない。
最近、夢をよく見るようになった。
それは、脳に「夢の思考」が必要になっている、
ということなのだろうか?
何でなのか考えよう。
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